(二十九)対局
夕食のあと、楊脩は父から一局求められた。
楊脩がまだ許都で郎中として帝の側近くに仕えていたころ、宮廷から下がって実家を訪ねた日の晩に父と碁盤を囲むのは常のことであった。
今では楊脩のほうがだいぶ上手になったことに父子それぞれが気づいてはいるが、父からは「加減するな」と言われているので、あまり見え透いた手心を加えないようにしながら、極力勝負を引き延ばし、最後にはやはり彼が勝った。
不自然にならない程度の負け方も心得てはいるが、父は眉をしかめながらも息子に負かされることを―――追い抜かれてゆくことを内心で喜んでいる。
楊脩はそれも知っていたから、おそらくは十代のころから既に、父を喜ばせるためだけに碁の技量を磨いていた。
「してやられたな」
楊彪はだいぶ白くなった顎鬚を指に絡ませながら、すでに勝負がついた碁盤に目を落としていた。
どの時点でなら巻き返すことが可能だったか、時を遡って考えているのかもしれない。
いつものようにもう一局求められるだろうかと楊脩は思っていたが、父は思いがけないことを言った。
「鄴では、臨菑侯の碁のお相手も務めるのか」
「はい。―――務めることもありますが、さほど多くはありません」
「碁はあまりお好きではないのか」
「そうですね。盤を使う遊戯なら、弾棋がお好みのようです。兄君が―――五官中郎将がたいそうお上手なので、好敵手になれるように練習もされているようですが」
楊脩自身は、弾棋はさほど趣味ではない。
五官中郎将こと曹丕が賦まで作って弾棋の奥深さを詠じていることは知っているが、緻密な戦略と大局観を要する碁に比べれば、文字通り児戯のたぐいだと思っている。
だが、曹植から求められればともに盤を囲むこともある。碁においてそうであるように、弾棋においても、楊脩はほどよい勝ち方、負け方を心得ていた。
「ならば、兄弟仲はよろしいようだな。―――鄴から聞こえてくる不穏な噂よりは、よほど」
楊脩は声に出しては肯定せず、ただ目礼した。
父のことばは間違っていない。
曹丕と曹植の兄弟は―――少なくとも曹植の側は、長兄に対して手放しの親愛を抱いている。
長兄を差し置いて自分が父の継嗣の座を勝ち取るなどという野心はおよそ持ちあわせないであろう。
長兄を追い落とせ、とけしかけるようなやり方では曹植の心には響くまい。
ならば、自分にできることは、曹操の目に曹植ならではの美質が―――何よりも文藻が―――最も純良な形で映るように手を尽くすこと、そして曹操に継嗣選定の決意を促すことだ。
すなわち、父から名指しされた以上は辞退は許されない、というところまで曹植を追い込まなくてはならない。
(臨菑侯が、望もうと望むまいと)
楊脩は心の中でつぶやいた。
だが、兄弟同士で競いたくないという曹植の意思を尊重する姿勢を彼に示すこともまた重要である。
その姿勢を守っているからこそ、楊脩はひときわ篤い信頼を彼から勝ち取って来たのだといえる。
(丁兄弟の轍をふむつもりはない)
丁兄弟―――丁儀と丁廙もまた、曹植からとくに親しい友人として遇されている者たちである。
彼らは文筆の才に秀でていることに加え、沛国曹氏が代々姻戚関係を結んできた沛国丁氏の出身であり、そのうえ彼らの父親丁沖は曹操の若いころからの親友であるという、いわば家ぐるみの紐帯を曹植との間に築き上げている。
ほとんど身内のようなものであるから、丁兄弟が曹植と面識を持ったのも楊脩より遥かに早い時期のようだ。
それでも、曹植が自分に向ける信頼の深さは彼らへのそれを凌いでいる、と楊脩は認識している。
彼の目には、丁兄弟のやり方―――曹植がいかに継嗣の地位にふさわしいかを曹操に吹き込んでいることが曹植の耳にも届くようなやり方は、全く稚拙なものと映る。
むろん、曹植はだからといって丁兄弟への態度を硬化させたわけではないが、兄上と対立したくない、という自身の真情を彼らには十分に理解してもらえないことへの寂寥を感じている。
彼がその寂寥を訴えた相手もまた、楊脩であった。
曹植が自らの真情を託せる友として最も心を許しているのは他でもなく自分であると、楊脩は淡々と受け止めていた。
(丁兄弟のやり方では、敵を増やすだけだ)
曹植を曹操の後継者の地位に押し上げようとする点では楊脩と丁兄弟の利害関係は一致しているが、両者は曹植を通じてのみ接点をもっている。
同じく鄴の文壇に名を連ねる間柄ではあるが、べつだん親しいわけではなく、まして共同で謀議しているわけでもない。
丁兄弟の側には楊脩に近づこうとする気配もあったが、彼はやんわりとその機会を辞退しつづけ、いまに至っている。
ひとつには、いま頭に浮かんだとおり、丁兄弟のやり方は露骨に過ぎるためだ。
それは単に曹植の意向に反するだけでなく、曹丕とその支持者からの反感を不必要に煽り立てるものである。
だが、これは決して丁兄弟が浅慮だからというわけではなく、自分が彼らの立場なら同様に直截な方法を選んだかもしれないな、と楊脩も思い、自戒する。
彼らの立場というのはむろん、曹家から、ひいては曹操から特別に目をかけてもらえるその出自である。
楊脩の見る限り丁兄弟は文筆の才だけでなく官僚としての実務にも長じているが、たとえそこまで優秀な兄弟でなくとも、曹操は彼らを捨て置かなかったに違いない。
同じ郷里で幼なじみとして育ち、今上帝の擁立を曹操に強く勧めて早世した丁沖に対する曹操の思い入れは余人の想像以上に深いものがあり、ゆえに丁沖の忘れ形見である丁兄弟が少しくらいの―――あるいは相当な規模の不手際を犯したところで、曹操が彼らを峻烈に罰することはないだろう。
それを思えば、楊脩にとって丁兄弟は手を結んでもよい、あるいは結ぶべき相手である。
だが彼はそうするつもりはない。
最後の目標まで視野に入れたとき、丁兄弟は共闘できる者たちではない―――むしろこちらに仇を成し得る、と楊脩は考えている。
が、その段階に至る前から彼らと好き好んで対立するのは得策ではない。
さしあたりは穏便な関係を結んでおくに越したことはない。
重要なのは、彼らではなく自分こそが、曹植から尊重や共感を最も強く引き出せる立場を築き上げることだ。
それは現に達成されつつあるし、今後もいよいよ固めてゆかねばならない。
楊脩にはそれを成し遂げられる確信があった。
「人間は駒ではないぞ」
楊脩は目を上げた。
父はまだ碁盤に目を落としていた。
しかし、漫然と視線を泳がせるのではなく、石と石との間、ある一点を凝視していることは楊脩にも分かった。
しばしの間を置いてから、楊脩は静かに父に呼びかけた。
「父上」
「どうした」
「このたび帰省いたしましたのは、父上母上のご健康を伺いにまいりましたほかに、理由がございます」
「理由」
「伏将軍と父上がこれまで交わしてこられた書簡は、いずこに」
伏将軍といえば、今上帝のもとでかつて輔国将軍に任じられた亡き伏完、すなわち現皇后の父を指すことは楊彪にも明らかであった。
実際には伏完は、かつて楊彪が就いた三司(司空・司徒・太尉)の位に並ぶほどの特別な待遇を付与された輔国将軍の官を中途で辞退しており、最終的に得た官職は屯騎校尉であるが、今上帝からの篤い信任を表す輔国将軍の名で通っている。
その伏完も、今から五年前の建安十四年に、今上帝を擁した曹操による権力占有を目の当たりにしながら没していった。
楊彪にとって伏完はかつての同僚のひとりである。
それだけではなく、董卓ら軍事実力者の手に翻弄されてきた今上帝を幼時から守り支え、漢朝護持のために最も困難な時期をともに凌いだ同志といってもよい。
伏完が亡くなったのは、楊彪が漢朝の官を辞したのとほぼ時を同じくしていた。
「書房の棚にまとめてあるが―――」
「誠に恐れながら、ただいまご案内いただけますか」
脚の悪い父にわざわざこのような懇願をおこなうということは、使用人たちに代わりに取りに行かせたくない、あるいは余人を書房に入らせたくないということである。
楊彪にもその意味は分かった。だが、なぜ伏完かということは分からなかった。
楊脩は父に肩を貸し、胡床(折り畳み椅子)から立ち上がらせた。
今上帝より二代前の霊帝は西域趣味に傾倒していたため、胡床のような西域由来の家具もその治世にしばし流行したが、漢土にはさほど普及したとはいえない。
宮中であれ民間であれ、人が腰を下ろすものといえばなお筵席が主流である。
しかし、楊彪のように足に疾患をもつ者には、胡床の利便性は際立っている。
ゆえに、囲碁を打つ間も、これに先立ち息子から帰参の挨拶を受けたときも、彼のほうはずっと胡床に腰かけていた。
楊彪は立ち上がると片手で杖をつき、片手で息子の介添えを受けながら、ふたりでゆっくりと書房へ向かっていった。