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陳思王軼事  作者: 仲秋しゃお
伉儷
127/166

(一)出征

(まもなく、頃あいか)


 侍者から時刻を告げられるまでもなく、室内に差し込む日の高さを測って曹操は見当をつけた。

  この朝のうちに 、彼はここ魏公の宮殿を出立し、(ぎょう)の城外に参集している軍列に号令をかけることになる。

 南のかた孫権の勢力を標的にした、江東征討の軍であった。


 だが、号令を発する定刻までにはまだ少しばかり、時間が残っていた。

 彼が頃あいと考えたのは、外からの来訪のことであった。

 出征の直前という限られた時間のなかで、曹操は鄴に残してゆく親族のなかでも、曹植ひとりをここへ呼び出したのであった。

 ひとつには、遠征の期間中、鄴の留守をあずかる責任者に任じたのがこの息子だからである。

 もうひとつには、ただ顔を見ておきたい、という親としての思いがたしかにあった。


 日の射すほうから目をそらしたとき、ちょうど、「父上、失礼いたします」と曹植が扉から入ってきた。

 諸子のなかでもこの息子にだけは、取り次ぎを介することは不要と伝えてある。


  彼には珍しいことに、やや緊張した面持ちをたたえていた。

 鄴守備の任務はずいぶん前に通達しているので、むろん心構えはできているはずだ。

 しかし、今日この日からその任務が始まるのだと思うと、いかに大らかな気性の息子といえど、平素と同じ心持ちでいられないのは当然であった。


 面前で礼を捧げようとする息子に、曹操は免礼を告げ、楽にさせた。


「子建、おまえは今年、二十三になったな」


「はい」


「わしがかつて頓邱(とんきゅう)県の令(長官)を務めたときも、やはり二十三だった。

 当時のことを思い起こしてみても、今に至るまで悔いるところはない。

 おまえもまた、くれぐれも勉励せよ」


「父上のご期待に背かぬよう、全力を尽くします」


 曹植は厳粛な面持ちで答えた。

 大任の重さに緊張を隠し切れないような、やや上ずった声ながらも、青年らしい気概に満ちたそれであった。


「最後に、訊いておきたいことはあるか」


「いいえ。鄴の守備を統括するにあたって必要なことは、これまでに十全に承りました。

 ですが、父上」


「どうした」


「必ずご無事で、お戻りください」


 曹操は小さく笑い、うなずいた。曹植の面差しは真剣であった。

 建前ではなく家族の平安を心から念じ、その思いをてらいなく伝えようとする、こういうところもまた、この息子は幼い頃から変わりがなかった。


「案ずるな。無理な行軍ではない」


 江東方面への遠征では、曹操はかつて大船団を率いて大敗北を喫したことがあり、それ以外の交戦でも、戦果がはかばかしくないことは多かった。

 だからこそ、二度と同じ轍を踏まぬように、外地への遠征のなかでもとりわけ南方戦線への対策は入念に講じている。


「それはそれとして、おまえは近日、楊徳祖(とくそ)とともに、出征の賦を詠んだようだな」


「はい。ご存じでしたか」


 やや意外そうな曹植の声に、曹操は、


(やはり、丁兄弟の一存か)


と思った。

 曹植のその賦を曹操に見せに来たのは、彼ら兄弟であった。


 曹操の亡き親友丁沖(ていちゅう)の子である丁儀(ていぎ)丁廙(ていよく)ら兄弟は、楊脩(ようしゅう)(あざな)徳祖)と同じく曹操幕下の若手官僚の中ではひときわ文名が高く、曹家にとって昔からの姻戚(はい)国丁氏という出自もあいまって、曹植とはかねてより親交を重ねている。


 ゆえに、曹植が自作を最初に披露する友人の輪のなかに彼ら兄弟が入っているのはおかしくないが、曹植が自分で曹操に見せようとしなかった作品の写しを、あえて曹操の眼前に呈上したのは彼ら兄弟の独断であったというわけだ。


 これが余人のおこなったことなら、曹操も差しでがましさに対する不快をおぼえるところだが、丁兄弟に対してはそうはならなかった。


 それは多分に、 丁沖が遺した重大な功績―――帝を迎え奉じるよう己に進言してくれたことが、現在の曹氏政権の盤石さにつながったこと―――に対する感謝と友誼が、その息子らに対する保護者のような情愛に昇華しているためといえる。


 かといって、そればかりでもなかった。

 すなわち、古今の錚々たる名文家に比べても曹植の文才がいかに卓越したものであるかを、丁兄弟ならではの精巧な言辞で日に日に語りかけられれば、さしもの曹操も人の子の親として、満悦を深めずにはいられなかった。


 先日丁兄弟から見せられた曹植の「 出征賦」も、曹操は曹植の作品の水準を知り抜いているだけに、そこまで突出した出来栄えだとは思わなかったが、しかしむろん世間一般の名文家などは足元にも及ばない秀作であった。


「いまこの天下に、これほどの文章をものすることができる者がどれほどありましょうか」


「世に抜きんでた才藻に恵まれた者でも、生涯を賭してようやくこの域に手をかけられるかどうかというところです。

 それが臨菑侯(りんしこう)におかれましては、わずか二十を過ぎられたばかりでこれほどの傑作を生みだされるのですから―――」


 あのとき丁兄弟から次々発せられた言葉は、決して誇張ではなかった。

 曹植の文才は単なる美文の才ではない。


 このうえなく豊潤な表現によって人々を魅了し、緻密な論説によって人々を頷かせ、ときに畏敬の念をおぼえて跪かせる―――他者の心を揺り動かす、圧倒的な力をもっている。

 同じく詩文を愛する身であるからこそ、曹操にはそれが分かる。


 曹植本人はどちらかといえば軍事において貢献することを望んでいるようだが、仮に彼に優れた将才があるとしても、武が成し遂げ得ることには限界がある。

 最善は戦わずして勝つことであり、それ以上ではない。


 しかし、文が達成できることは無限である。


 すでに成人した我が子ではあるが、曹植が天から授かったその才能を 今後いかにしていよいよ花開かせてゆくのか、親としてこれほど喜びと期待に震えることはなかった。


(人の上に立ち、人を動かす立場に立ってこそ、子建の文はいよいよ本領を発揮しよう)


 今回の遠征にあたり諸子のなかで曹植を選んで鄴防衛を命じたのも、人の上に立つ者として実地の経験を積ませようという思いが大きかった。

 一方で目の前の曹植はやや困惑がちに、目を瞬いていた。


「俺は、あの賦はそこまでいい出来だと思えなかったので、父上にはお見せせずにいたのですが―――」


「これまでのおまえの作に比べて特段に出色というわけではないが、悪くはなかった」


「お褒めにあずかり光栄に存じます。

 ただ、徳祖どのの賦は俺のよりずっとよかったと思います。

 そちらも、ごらんになられましたか」


 本人も知ってか知らずか、曹植の声はぱっと明るくなった。

 曹操もそれに気づき、なるほどなと思った。


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