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陳思王軼事  作者: 仲秋しゃお
兄弟
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◆覚え書き◆ 「叙愁賦」あれこれ

 前回までお読みくださった方々、本当にありがとうございました。

 「兄弟」篇では曹植の作品のうち「橘賦」「光禄大夫荀侯誄」「叙愁賦」「宜男花頌」等を、物語の一部展開に絡めたのですが、本ページではそのうち「叙愁賦」を取り上げてみたいと思います。


 今後の拙作の展開と若干関連する箇所もありますので、ネタバレNGな方はご注意ください。


 原文や語釈は趙幼文(ちょうようぶん)先生の『曹植集校注』を参照しています。

 訓読文と現代語訳については筆者の独断なので、くれぐれも信用しないでください……


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【「叙愁賦」原文】

叙愁賦 有序

時家二女弟、故漢皇帝聘以爲貴人。家母見二弟愁思、故令予作賦。曰

 嗟妾身之微薄、信未達乎義方。

 遭母氏之聖善、奉恩化之彌長。

 迄盛年而始立、修女職於衣裳。

 承師保之明訓、誦女列之篇章。

 觀圖象之遺形、竊庶幾乎英皇。

 委微軀於帝室、充末列於椒房。

 荷印紱之令服、非陋才之所望。

 對牀帳而太息、慕二親以增傷。

 揚羅袖而掩涕、起出户而彷徨。

 顧堂宇之舊處、悲一别而異鄉。


【「叙愁賦」訓読文】

叙愁賦 序有り

時に家の二女弟、故漢皇帝 聘して以て貴人と爲す。家母 二弟の愁思するを見、故に予をして賦を作らしむ。曰く、

 (ああ)妾身の微薄、(まこと)に未だ義方に達せず。

 母氏の聖善に遭ひ、恩化の(いよいよ)長きを奉ず。

 盛年に(いた)りて始めて立ち、女職を衣裳に修む。

 師保の明訓を承け、女列の篇章を(そら)んず。

 圖象の遺形を觀、(ひそ)かに英皇を庶幾(こひねが)ふ。

 微軀を帝室に委ね、末列を椒房に()つ。

 印紱の令服を(にな)ふは、陋才の望む所に非ず。

 牀帳に對して太息し、二親を慕ひ以て傷みを增す。

 羅袖を揚げて(なみだ)(おほ)ひ、()ちて户を出でて彷徨す。

 堂宇の舊處を顧み、一たび别れて鄉を異にするを悲しむ。


【「叙愁賦」現代語訳】

叙愁賦 序あり

そのころ我が家のふたりの妹が、漢朝の皇帝に聘されて貴人となった。母上は妹たちが憂いているのをご覧になって、わたしに(妹たちの心情を汲み)賦を作るようにとおっしゃった。曰く、

 わたしたちは資質も優れず、人としての正しい道もまだわきまえておりません。 

 聡明で徳の高いお母さまの養育のもと、長く恩愛をこうむってまいりました。

 成人の年を迎え、紡織や裁縫の技術を習得しました。

 師や補佐役から訓示を授かり、『列女伝』の各篇を口ずさみます。

 (同書の)挿絵を眺め、娥皇と女英(堯のむすめで舜に嫁いだ姉妹)のようでありたいと願います。

 このつまらぬ身を皇室に捧げ、皇后さまの下でお仕えいたします。

 貴人の格式として金印紫綬※をお受けするのは、わたしたちの望みではありません。

 寝台の帳に向かい合って大きなため息をつき、お父さまお母さまのことを想っていよいよつらくなります。

 薄絹の袖をかかげて涙を隠し、立ち上がり戸口から(中庭へ)出て歩き回ります。

 慣れ親しんだ住まいを振り返り、ひとたび後宮に入れば家族と引き離されることが悲しくなります。


※原語の「印紱」に対して、趙幼文先生の語釈には「印紱、曹操『内誡令』「今貴人位爲貴人、金印藍紱、女人爵位之極」(『御覽』六百九十一)」とあり、『太平御覧』には実際にこの一条が収められているのですが、「令」は諸侯王が発する文体としての令なので、「内誡令」は曹節たち姉妹のような漢帝の后妃に適用されるものではなく、魏王の後宮に対する決まりごとを定めたものだと思われます。


 つまり、皇帝の後宮の貴人向け印綬が「金印紫綬」(『後漢書』皇后紀上)であるのに対し、曹操は臣下としての分を示す意図で、魏王の後宮の貴人向け印綬を「金印藍紱」と定めたのではないでしょうか。


 一方、『三国志』后妃伝の序には「太祖建國、始命王后、其下五等。有夫人、有昭儀、有倢伃、有容華、有美人。文帝增貴嬪・淑媛・脩容・順成・良人。明帝增淑妃・昭華・脩儀。除順成官。……」とあり、これによれば魏王曹操は自身の後宮には貴人という位号の妃妾を置かず、かつ漢魏革命後の曹丕・曹叡の後宮にも貴人が置かれなかったことになります。


 しかし、曹丕が自身の葬礼のために事前に書き残した「終制」には「其皇后及貴人以下……」とあるので、彼の後宮には貴人は確実に置かれていたはずです(文昭甄皇后伝の本文にも、曹丕即位後の状況として「李・陰貴人並愛幸」との記述があります)。


 やはり后妃伝には何らかの脱落があり、「内誡令」がいうように魏では曹操の代からすでに貴人は置かれたのでは?という感じがしますが、どうでしょうか……


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 全体を訳してみた感想としては、「嫁いでいく妹たちの嘆きを詠う」というテーマが一貫しているので、解釈に迷う箇所がなくわかりやすい賦だと感じました。

 序文から推測すると、曹植が22歳(曹節らが貴人に立てられた建安18年)もしくは23歳(曹節らが実際に後宮入りした建安19年)のときの作品ということで、現存する曹植作品中では早い時期の執筆であることが確定できる貴重な作品でもあります。


 もう一点の特徴としては、本作では曹植自身の感情は全く表現されていないことが挙げられます。

 あくまで母卞氏からの依頼に対し忠実に作賦をしたのだと理解されます。


 また、後半の“袖で涙を隠す”、“(愁いに耐えかねて)屋外へ出てさまよう”のような表現は彼の「棄婦詩」ジャンルの作品にも出てくるので、ある意味で定型的な表現でもあります。


 しかし、最後の一文「一たび别れて鄉を異にするを悲しむ」は、家を出ていく側にも家に残る側にも起こりうる感情であり、妹たちだけでなく曹植自身の悲しみも重ね合わせられているように感じられます。


 この作品が分かりやすいのは典故の引用が少ないからでもあるのですが、曹植の作品中で同じく典故の引用が少ないのは「金瓠哀辞」「行女哀辞」「慰子賦」など、我が子を亡くした際の悲しみを詠う作品群であるように思います。

(これらの作品については、後日「曹植の子どもたち」という別の覚え書きで取り上げたいと思います)


 つまり、これらの作品では文学的な技巧よりも、肉親としての率直な感情の吐露が先立つので、結果として典故の引用が少なくなる感じです。

 この点に鑑みると、同じく典故の引用が少なく平明な表現を優先している「叙愁賦」も、文人としてよりも血を分けた兄としての曹植の素朴な感情に支えられている……という読み方もできそうです。


 また、卑賎とされる歌妓出身の卞氏や、魏公の令嬢とはいえ女児である曹節らが受けられた教育には限りがあったと考えるほうが自然なので、曹植がこの賦において表現をできるだけ平明にしているのは、第一の読者となるはずの母親や妹たちにわかりやすいように、という配慮も働いているように思われます。


 曹植ファンにはおなじみのとおり、彼には肉親への情愛を主題とする作品(故人への哀悼も含む)がたくさんありますが、中でも兄弟に対する想いを述べた作品が多いのに対して、姉妹と直接関連する作品は、この「叙愁賦」以外にほとんどないかと思われます。


 崔夫人に関する作品と同じく、姉妹に関する作品を曹植は生涯未公開のままにしたのか、もともと書かなかったのか、あるいは書いたけれども後世散逸してしまったのか、それはもはや分からないのですが(尤も、崔夫人に関する作品と違い、姉妹に関する作品を未公開にする必要はなさそうですが)、「叙愁賦」から見るかぎり、ひとたび後宮に入れば容易には父母のもとに戻れないことを思って悲嘆にくれる妹たちに深い共感を寄せる、愛情深い兄であったように思われます。


 一方で、曹植と姉妹との関係というと、「叙愁賦」よりもおそらく有名なのが、清河長公主との逸話かと思います。


 漢魏革命の直後にあたる黄初年間、曹植は罪人として降爵されたり改封されたりしたのち、ついに都入りすることになりますが、『三国志』陳思王植伝の裴松之注に引く『魏略』によれば、曹植はこのとき皇帝(曹丕)に謝罪する前に、異母姉である清河長公主のもとを尋ね、彼女に仲立ちを頼もうとしたとされます。


 このあたりの経緯は謎が多いのですが、いずれにしても、仮に『魏略』の記事がおおむね史実だとすれば、曹植は、皇帝周辺の重臣らがこぞって自分を陥れようとする状況のもとで、清河長公主(と卞皇太后)だけは味方になってくれるはずだと確信して彼女を頼ったことが想像されます。もう30を過ぎたいい大人ですが、末っ子気質爆発です。

 しかしそういう素直な弟だからこそ、清河長公主も手放しでかわいがっていたものと思われます。ママンもな……


(ちなみに曹操と卞氏の間の末息子は曹植ではなく曹熊(そうゆう)ですが、曹熊は夭折したという以外の個人情報がほぼ分からず、しかも現存する曹植の作品には曹熊に触れたものが全くないので、拙作でもほぼ登場しない見込みです。


 正史の記述だと曹熊は実の息子を儲けていたっぽい、つまりどれだけ短命と見積もっても十代までは生きていたらしいので、曹植とは同母兄弟としての交流があったに違いなく、曹熊が没したとき曹植は(るい)(追悼文)等を書くほどの悲しみに襲われたに違いないと思うのですが、もしそうならば当該の誄は曹植の非常に若い時期の作品ということになるので、文学的観点からはそこまで高い水準に達しておらず、早いうちに散逸してしまったものと思われます)


 ところで拙作との関連でいうと、ヒロインのモデルである崔夫人の出自が清河崔氏であるため、曹植の姉妹の中では清河長公主こそが崔夫人との接点をより多く持っていそうに見えますが、実際にはほぼなかったと思われます。


 というのは、建安21年5月、曹操の爵位を魏公から魏王へ進めたことに伴い、後漢献帝は曹操のむすめたち(王女)に公主の位号を与えること、(天子の公主と同様に)湯沐邑(とうもくゆう)を与えることを命じています。


 清河長公主が「長公主」つまり皇帝の姉妹であることを示す公主号で呼ばれるようになったのはむろん漢魏革命後であるわけですが、彼女が通常の「公主」号を得たのはこの建安21年5月時点からだと思われます。


 公主にも転封がありうるので、清河長公主が建安21年から黄初年間に至るまでずっと清河を湯沐邑としていたかは分からないのですが、仮にそうである場合、『後漢書』皇后紀下によると漢制では皇帝のむすめであっても公主が封じられるのは県レベルなので、魏王のむすめが封じられた「清河」は郡/国レベルではありえず、その一部たる清河県であったということになります。


(なお、『後漢書』桓帝紀と郡国志二によれば、建和二年六月に清河国を改めて甘陵国としたとあるので、仮に後漢末時点でこの地域の郡公主になった場合はおそらく「甘陵公主」と呼ばれることになるかと思われます。


 ただ、同じく『後漢書』のたとえば独行列伝中の趙苞伝(霊帝期に官を辞した人物)には「甘陵東武城人」とあるのに、『三国志』の崔琰伝・崔林伝では「清河東武城人」とあるのは、後漢末のある時点で名称がまた戻されたからなのか?と不思議な気がします。


 『三国志』にはむろん地理志はありませんが、『晋書』地理志上では、冀州の下の郡国として清河国が復活(東武城県もここに属す)しているので、やはり後漢末~曹魏の時期に戻されたと考えるべきかもしれません)


 ゆえに、曹植の妻の一族は清河崔氏といっても具体的には清河郡/国の一部たる東武城(とうぶじょう)県の崔氏である以上、清河崔氏と清河長公主は領域上の直接の接点はなく、かつ、公主はふつう封地(湯沐邑)に赴任しないので、封地やその近隣の豪族と特別な交流が発生する、といったことも想定しがたいように思われます。


 そして、以前の覚え書き「漢魏晋期の清河崔氏」でも書きましたが、史実の崔夫人は崔琰が没した建安21年8月頃から間を置かずに没していると考えられるので、清河長公主をはじめ曹植の姉妹が公主号を得て間もない時期に世を去っていることになり、やはり清河つながりでの接点は生じにくいと言えるかと思います。


 そういうわけで(作劇上の都合もありますが)、拙作は清河崔氏の女性をヒロインとしながらも、清河長公主の出番は多くない見込みです。


 清河長公主は中島三千恒先生の『魏志文帝紀 建安マエストロ!』やねこクラゲ先生の『曹植系男子』にも登場し、美しく個性的に活躍していました。

 たしかドラマ『新洛神』にも出ていたかな……


 曹節のほうは、近年のドラマ『三国志 Secret of Three Kingdoms(原題:三国機密之潜龍在淵)』で準主役のひとりになったのを除くと、『三国志』コンテンツでは存在感が薄めの気がしますが、青木朋先生の漫画『三国志ジョーカー』に出てくる曹節ちゃんはとても健気でかわいいのでぜひ読んでください!






「叙愁賦」あれこれ・了


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