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陳思王軼事  作者: 仲秋しゃお
兄弟
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(十九)愁いを叙ぶ

 突然降りかかった声に驚いて目を上げると、夕陽を透かす(とばり)を掻き分けたあいだに、小柄な少女の影が立っていた。

 逆光なので表情は見えないが、声の調子からすればさほど(なじ)っているわけでも呆れているわけでもなさそうだった。


 かといってむろん、ほほえましく見下ろされているようでもなかった。


(せつ)か」


 崔氏が口をひらく前に、曹植が首だけそちらに向けてつぶやいた。

 そしてゆっくりと半身を起こして牀上に座りなおす。


 ものぐさそうな動作ではあったが、本心から煩わしがっているわけではないことは崔氏にも分かった。

 曹植は男女問わず肉親からの訪問を喜ぶ男だが、七つ離れたこの妹―――曹節のことは、おそらくその誰に対しても忌憚(きたん)のないはっきりした気性ゆえに、女きょうだいのなかではとりわけ気に入っているのである。


「これに―――妻に用か」


「いいえ、兄さまのほうよ。

 最初は書房に伺ったのだけれど、いらっしゃらなかったから。

 この(ねや)の前に来たら来たで、人払い済みなのか侍女もいないし、扉をあけて眺めてみても誰もいないし」


「だからといって、帳の内側まで覗いてみるやつがあるか。

 いくら身内でも、夫婦の閨を訪ねるときくらいはもう少し遠慮しろ」


「だって義姉さまは身重だもの。

 いくら兄さまでも、見られて困ることはしていないだろうと思って」


「それもそうだ」


 曹植は素直に納得し、表情を平生どおりにやわらげた。


 この兄妹のあいだでは―――あるいは各人が個性のままにふるまうことが比較的奨励されている曹家の家風においては―――これぐらいの開け広げな物言いは許容されるのかもしれないが、崔氏は赤面とともにこわばりつかざるをえなかった。


 彼女の生家のしつけからいえば、いまの義妹の言いようは未婚のむすめが口にするなど考えられない卑語であり、さらにいえば年長者への非礼もいいところである。


「それで、何の用だ」


「お母さまがご依頼なされた()よ。もうできていらっしゃる?」


「いま取り掛かっているところだ」


「まあ、義母上さまからのご依頼だったのですか」


 まだ収まりきらない動悸を少しずつ抑えながら、崔氏は小さな声で問うた。

 話題が変わったことにいくらかほっとしてもいた。


「そうだ。輿入れを間近に控えた(けん)と節の心境をご案じなされて、俺が代わりにその想いを賦に詠むように、と命じられたのだ。

 告別したあとも文字として残れば、母上にも節らにも、少しは慰めとなるだろう」


「まあ、―――そうね、来月ですものね」


 崔氏は思わず口を押さえた。

 懐妊が分かってからというもの、時間ができれば頭を占めるのは腹の子のことばかりで、世の中の移ろいを気に留めようにも留まらずに時が流れてしまったが、たしかにもうすぐ仲春に入ろうとしている。


 去年の七月に(ぎょう)にいながらにして貴人の位に立てられた曹植のふたりの妹、この節と少し年長の憲とが、実際に天子の後宮に入るべく定められたその月であった。


 来月の中旬には許都からの使者がこの鄴へ至ることを頭では分かっていたつもりだったが、いま初めて現実として思い起こされたようなものであった。


「しかし憲はともかく、おまえはさほど不安げでもないな」


「憲姉さまは泣きすぎなのよ。泣いて何が変わるわけでもないのに」


「相変わらずふてぶてしいことだ。これでは俺の賦のほうが嘘になるな」


「義母上さまをこれ以上心配させないようにと、節さまは自制しておられるのですわ」


 夫に語りかける義姉を曹節は一瞥(いちべつ)したが、自分から肯定は示さなかった。そして兄の手元の竹簡に目を留めると、


「いまはどれくらい進んでおいでなの」


と尋ねた。


「見るか」


「ええ」


 竹簡を受け取った曹節は帳を開け放ったまま牀から離れ、夕陽の明かりが眩しすぎず乏しすぎない位置へと場所を定めた。


 急に明るくなった視界に目を細めながら、崔氏は義妹の立ち姿を眺めた。

 十六という歳のわりには全体に小柄ではあるが、こうした静かな佇まいを見るとやはり花盛りの可憐なむすめである。

 大きく反り返ったまつげと猫のような瞳、小さいがほどよくふくらんだ桜色の唇がとりわけ愛らしい。


 だがそれだけに、このお人柄と物言いの率直さはどこからきたのかしら、と改めてふしぎに思われぬでもない。

 曹節と曹憲、そしていずれは彼女たちにつづいて後宮入りすることになる曹華らはそれぞれ生母を早くに失ったため、父の正妻(べん)氏のもとで実のむすめ同様に愛育され、曹植もほとんど同母妹として扱っている。


 この三姉妹に限らず、曹操は生母を亡くした児女の養育をみな卞氏に託しているので、曹植にとってこういった間柄の弟妹は少なくない。

 だいぶ地位の低い側室から生まれた弟妹であっても、気安く慕ってくれる者は多いのである。


 ゆえに、曹節が曹植にとるような態度はそれほど突飛とはいえないが、それにしても崔氏や他家の人間の目からすれば、この小柄な少女は年長者に対して遠慮がなさすぎ、女子にしてはつつしみがなさすぎるというほかない。


 しかし少なくともひとつ、崔氏も一目置かざるをえない点がある。


 四つ年下のこの義妹は、誰からも親しまれやすい曹植のような兄だけではなく、常に薄い氷の壁をまとっているようなあの長兄曹丕にすら、納得がゆかなければまっすぐ食ってかかるという、果敢にして公平な少女なのである。

 五十人近くいる曹操の児女たちのなかで、同母弟の曹彰と曹植を除けば、曹丕に対してそこまで分け隔てなく出られる者は他にいないであろう。


 崔氏はそれを知ったとき実に感心したが、同時に、


(あのご気性はやはり、筋金入りの天稟らしい)


と納得せざるをえなかった。







 補足ですが、曹節が曹植にとっては異母妹にあたるというのは、史料に明記されているわけではありません。

 ただ、曹植は卞氏が33歳のときの子で、かつ『三国志』武帝本紀によれば建安18年(曹植22歳)に曹節は曹憲とともに漢の後宮に入ることが決まったが最年少の曹華は魏国に留まることになった、ということなので、その時点で曹節は少なくとも女子の成人年齢15歳には達していたはず→つまり曹植とは最大で7歳程度のひらきがあったはず→その場合、曹節の出生時に卞氏はすでに40歳前後である、と考えられ、曹節の生母が卞氏というのは無理があるかな……と推測しました。(年齢はいずれも数え年)


 また、父母や兄姉でも、強く叱責する場合などを除けば子女や弟妹の名をふだん呼ぶことはなかったはずですが、拙作で曹植らが曹節のことを「節」と呼ぶのは大目に見ていただければ幸いです……。

 実際には、この時期の曹節は家族からもすでに「貴人」と呼ばれていたと思われます。


 貴人の身分ですが、『後漢書』皇后紀上には、「貴人金印紫綬、奉不過粟數十斛」とあるのみで、「視○○」のような書き方はしていません。「金印紫綬」だと、爵位でいえば列侯相当でしょうか。

 いずれにせよ、後漢の貴人は実質的に皇后候補のような性格を帯びているので、いちど貴人に立てられたら、身内といえど従来どおりのカジュアルな交流は難しくなったと思われます。

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