(十一)吉報
そのとき、書房の戸の向こうから声が聞こえた。
「父上、おいでですか」
曹植だった。ふだんにもまして、そしていまの父が浮かべている笑みにもまして、明朗な笑顔を髣髴とさせる声であった。
「子建か、入れ」
いかなる賓客であれ、父のこの書房を訪れた者は本来侍人を介さねば入室の伺いさえ立てられぬはずだが、曹植は取り次ぎもなく戸の前まで至ることを父から許されているらしかった。
それを証すように、父の声にも叱責の色はなかった。
三弟に許されて自分に許されないことを新たにひとつ見つけたことで、曹丕の口角はまた少し硬くなった。
「―――失礼いたします。
やあ、子桓兄上もおられたのですか」
父と向かい合って座す長兄の姿を見出したときのその声は、いつものように屈託なく誇張なく、心に抱くがままの親しみをあらわにしていた。
妻帯し一家を成しても、ある意味何ひとつ成長が見られない弟であった。
「ひょっとして、大事のご相談でしたか。ならば出直しをいたしますが」
「かまわん。ちょうどおまえの話をしていた」
「まことですか」
言いながら、幼さを残したその眉目はいよいようれしげに均衡を崩した。
自分の名が悪意を込めて語られることがありうるなど、およそ想像もしたことがない顔であった。
「何用で来た」
「そうでした、お聞き下さい。子ができました」
勢い余ってか両腕まで大きく広げながら、曹植は身中にこらえきれないと言わんばかりにはじけるような笑みで答えた。
手振りと言わずまなざしと言わず、「何をおいてもまず父上にお知らせしたかったのです」と、その全身が語っている。
曹丕は父のほうを見た。その目は先ほどよりますます細められ、目元の皺はいよいよ深く刻まれている。
弟の吉報を耳にしていくらかなごんだ自分の気持ちが、唐突に冷えこんでゆくのが分かった。
この無感動を父に悟られないうちに、さりげなく目をそらした。
「たしかか」
「だと思います。このあいだは出征直前だったためにやや先走って思い込んでしまいましたが、今回は何人もの産婆にも、むろん侍医にも見せました」
それは重畳、と曹操はかたわらの几を軽く叩き、いっそうあらわに相好を崩した。
市井の好々爺のうちにまぎれてしまえば、もはや見分けがつかなくなるような姿であった。
指先にまでみなぎるよろこびを滔滔と語りつづけようとする三男に手振りで着座を促しながら、曹操は思い出したように言った。
「母親は崔氏か」
「むろん」
「むろんということもあるまい」
「ええ、まあ」
「婚礼からすでに二年近く経ているのだから、妾のひとりふたりくらい置いてはどうだ。
ましておまえの妻は、生家で夫唱婦随を骨まで叩き込まれてきたようなむすめだろう。
それとも、その叔父がやはり怖いか」
問いかけともたわむれともつかない語尾は、父親ならではの温かみを含んでいた。
曹植も笑みを返したが、哄笑とはゆかなかった。
「―――当分は、いまのままで暮らすかと思います」
「ああ見えて妬忌の激しい女か」
「いえ。あれは、俺のことが好きなのです」
それは答えになっておらん、と曹操は新たに笑いがこみ上げてきたように口元を緩めかけた。
だがふと、わずかに口調を改めて言った。
「嫁いできた女が、情と誠の限りを尽くして夫に仕えるのは当然のことだ。
丈夫たるものが意に懸けるようなことではない」
「まことに」
曹植はごく素直にうなずいた。だが、翻意を示すものでもなさそうだった。
「あのむすめも琴瑟と経書ぐらいはたしなむようだが、鑑賞に堪える舞楽や作詩の心得があるわけでもあるまい」
「それは、まあ。儒者の家の育ちですので」
「最近、新しく女楽の一団を編成した。声も容色も粒ぞろいだ。
あとでおまえにも引き合わせてやる。気に入った者があれば側に置かせてやるぞ」
「ありがたく存じ上げます」
曹植はまた頭を下げたが、それを待望している、というそぶりではなかった。
まあよい、と曹操は息をついた。
結局のところ、このむすこが幸福のただなかにあるならそれ以上は問うまい、と割り切る父親の姿であった。
「ちょうどよかった。もうひとつ、おまえに慶事がある。
公表が予定されているのは年明けだが、前祝いに聞かせてやる」
「よろしいのですか」
「さほど伏せておくような話でもない。
戸数は五千戸のまま変わらぬが、おまえは来年、平原から臨菑へ遷される」
「臨菑、―――まことですか」
曹植は目を丸くしたが、たちまち大きく破顔した。
臨菑は春秋戦国の時代、東方の大国斉の都として政治経済の中心でありつづけた先進地域である。
後漢のいまは青州域内の斉国に所在する一つの県にすぎないとはいえ、同じ青州に属する平原郡下の平原県とちがい、臨菑には州の治所が置かれており、全土でも有数の大都会であることは変わりがない。
さらにいえば、春秋時代以来発展をつづけてきた同地の諸産業は現在にあってもきわめて高い水準を誇り、殊に刺繍を初めとする紡織業は漢の世になってから官の工房が置かれたことで、いよいよ広く全国に名を馳せている。
「錦といえば襄邑、刺繍といえば臨菑」という連想が、世間ではすでに定着しているほどである。
後漢が興されてから約二百年後のいま、各地に戦乱が広がり物資が不足しがちになったここ数十年ほどはさすがの臨菑にも全盛期ほどの活気は見られず、さらにここ数年は曹操自身が発した倹約令によって一般の衣服に刺繍を用いることが禁じられたため、生産力の大幅な低下は否みようがない。
だが、朝廷の儀礼用の装束などには依然礼制どおりの刺繍が必要とされる以上、中華最高峰の技術は、いまでも彼の地に綿々と相伝されているはずであった。
要は、臨菑と平原と、定められた戸数からいえば待遇は同じだとしても、通常の食禄以外に想定される貢納のゆたかさ、そして封爵地としての格の高さからいえば、臨菑は平原よりはるかに上であることはまちがいない。
いくら曹植が利権や格式に対し関心の薄い男だといっても、光栄に思うのは無理もなかった。
「臨菑か。思いも寄らなかった。まことにありがたいことです」
「礼は明年、帝に申し上げよ」
「もちろん、そのようにいたします。
それにしても、慶事はつづくときにはつづくものですね。早く妻に聞かせてやらねば」
「楊徳祖(楊脩)や家臣らにではないのか」
「むろん彼らにもすぐに伝えますが、妻の実家は―――崔家の出自はもともと斉人で、いまでもその思いが強いのです」
「崔姓が斉の地に発することは知っている」
後漢のいまに至るまで史上最も著名な崔姓の人物といえば春秋時代の崔杼であり、斉の大臣でありながら斉君を弑殺した大罪人、というその悪名はすこぶる高い。
そのゆえもあって、崔姓といえば斉国、という程度の認識は広くもたれている。
「が、大逆の果てに一族離散して久しいにもかかわらず、いまだ父祖の故地を慕う風があるのか」
「心ならずして追われたがゆえに、ということかもしれません。
あれが臨菑侯夫人と呼ばれるようになれば、清河崔氏宗家の者たちはみな喜びましょうし、それを見ればあれの心の慰めともなりましょう。
なればこそ、いちはやく知らせてやりたいと思います」
もともと喜びに上気していた目元を、曹植はいっそう明るい色に染めて言った。
その表情にもことばにも作為らしいものはなく、ごく自然な気遣いだけがにじんでいる。
だが、その呼吸をするような自然さがなぜか、かえって曹操の意識の端にとどまった。
「いずれにせよ、こたびの転封はむろん、父上のご勲功あればこその恩賜かと存じます。
心より、御礼申し上げます」
「まだ内々の話だ」
曹操は鷹揚に手を振って制しかけたが、曹植はかまわず、父へ向かって丁重な謝意を捧げた。
そして姿勢を戻しかけたそのとき、長兄の掌中に丸められかけていた竹簡に気づいたようだった。