(十)魏国中枢
「どう思う」
父親の問いかけに、曹丕は竹簡からゆっくり目を上げた。
まもなく十一月、仲冬にさしかかろうとする日の夕刻であった。
向かい合う榻のかたわらでは鶴をかたどった青銅の燭台に灯された火が赤々と揺れ、書房の四隅では炭が十分に燃やされているが、ふたりしかいない広壮な空間はやはりどこか肌寒かった。
口をひらく前に、曹丕はもういちど書面に目を落とした。
近臣にすら見せていない草稿といえど父のなかではすでに決定した事項であり、自分が反駁したとしてもそのまま採用されることがないのは分かっている。
かといって、単純な迎合を求められているわけではないことも自明だった。
父上の字だな、とあたりまえのことだが思う。
政治家、軍事家、そして文学者としてのみならず書家としても世に一流と称される父の書に憧れ、畏み、少しでも近づきたいと思う気持ちは、その膝の上で初めて筆を握らせてもらった遠い日からさほど変わっていない。
変わったのは、父の前に出るときの自分だと思う。
あるいは、父が自分を見るその目なのか。
つまらぬことを考え始めた、とひっそり自嘲してから、曹丕はまた目を上げた。
父上の前では、何があっても動じてはならない、屈してはならない、窮してはならない。
少なくとも俺には、それは許されてはいない、と思う。
「至当のお取り計らいかと存じます。殊に上位の者は」
「上位か」
曹操の応答はいつもながら短い。ほとんど無関心そうですらある。
「魏国にはさしあたり、独自の丞相を置かれるおつもりはないのでしょう」
「たとえ詔にて許可を得ていようとも、それを成せば僭越というものにあたるようだからな。許都の玉座に近侍する者たちにとっては」
「ならば―――当面は尚書台を魏国の政務の中枢として運営されるということであれば、荀中軍師(荀攸)を尚書令に、涼左軍師(涼茂)を尚書僕射に、毛右軍師(毛玠)を尚書の筆頭に任じられるというのは、誠に妥当かと存じます」
みな、父上の魏公就任を実現するために力を尽くして弁を振るい、百官の総意なるものを形づくらせ、請願書の冒頭に名を連ねた者たちです。
そのことばを曹丕は胸のうちでつづけたが、口には出さなかった。
それを口にのぼさぬことが互いの黙契であること、そこに黙契が存在すること自体への黙契が、ふたりのあいだには最初からあった。
自分がこの黙契を父と共有するのは当然だと、曹丕は思っている。
だが、何ひとつ暗示されぬうちから「それ」を察していることを、父が喜んでいるかどうかは分からなかった。
「つづく者たち―――尚書の他の面々はどうだ」
「同様に。名士としての衆望と官僚としての実績の点でいうなら、朝野がこの人選に非を鳴らすことはございますまい」
曹丕はまた書面に目を伏せた。
尚書就任の予定者として、先ほどの毛玠のほか、崔琰・常林・徐奕・何夔という四人の姓名が列挙されている。
尚書台の長官は尚書令、副長官は尚書僕射だが、実際に各部署の統括に当たり行政を進めるのは彼ら尚書である。
曹操の草稿にはまた、魏国の備えるべき尚書台の機構として、吏部・左民・客曹・五兵・度支の五曹が併記されていた。
「毛右軍師の次席が、崔季珪―――崔徴事ということになるのですね」
徴事とは、崔琰が丞相府において現在就いている官職である。
曹丕は以前、曹操の遠征期間中に彼の補佐を受けていたことがある関係で、自然と官名より先に字が口をついて出たが、補佐を外れてからはさほど親しくしているわけではない。
むしろ、補佐の期間中からたびたび手厳しい諫言を、それも非の打ち所のない正論を呈せられては、実に苦い思いをさせられたものであった。
だが、口中に苦味を思い出すことはあっても、曹丕はかつての守り役に不快を抱いてはいない。
主の眉をひそめさせることが分かっている仰々しい名分や正論を唱えて退かない硬骨の儒者とはつまり、父の継嗣としての長子の正統性を堅く奉じて退かない、文字通りの直臣―――最も信を置ける人間だからである。
「そうだ、季珪だ」
曹操は字のほうを用いた。そこにどんな感慨が込められているのかは、曹丕には測りかねた。
だがひとつ、二人の間で口に出さずとも明らかなことがあった。
崔琰の上位者たる荀攸、涼茂、毛玠の三人はみな曹操の魏公就任を推進した者たち―――少なくとも、その意思があることを文書によって表明した者たちである。
つまり、魏公就任に積極的な賛意を示さなかった者たちのなかで、新生魏国における最高位に就くことになる人物が、その男崔琰であった。
あるいは、丞相府における輿望の高さからいって、その水準の地位に就けざるを得ない人物である、というべきであった。
「補佐の任が終ったあとも、おまえはあれと親しく行き来しているか」
「いえ。親しくというほどは」
「そのわりには、季珪がおまえを高く買う声が聞こえてくるが」
曹操の口調にはおもしろがるような響きがにじんだ。
曹丕は目を伏せたまま答えなかった。
父の笑みの真意は、おまえ自ら運動せずともあの男の評価を得られるとはたいしたものだ、というねぎらいにあると思いたかったが、むしろこれはある種の揶揄なのだ、と割り切ろうとする己が先にいた。
「親しいというならば、やはり子建でしょう。直接の姻戚なのですから」
「子建か。―――あのふたりが本当に、婚姻を機に親交を深めていると思うか」
反語を返しながら、曹操は自分で自分の発想におかしみをおぼえたようであった。
のどの奥から少しずつこみ上げる笑いに抗いながら、深い皺のいくつも刻まれた額を押えている。
こんなふうに諧謔に敏感で、生まれつき冗談や笑話を好む父のことを「人の上に立つ者としてはいささか軽率だ」と評する向きがあることを曹丕は知っているが、父の笑うところを見るのは好きだった。
そのあいだだけは緊張を強いられずに済む、というからではなかった。
目をほとんどつぶらんばかりに細め、目元の皺をいっそう深くして自分の肩を軽く叩いてくる父のそばにいると、幼き日のあの無条件な親愛だけが時間を越えて立ち戻り、いまの父と自分の間にある硬直した空気など、最初からなかったものとして立ち消えてゆく気がする。
その束の間の錯覚を、諦めがたいからかもしれなかった。
「考えられんことだ。そもそも子建と季珪のあいだに共通の話題などあるのか」
「たしかに」
「子建が、あの子建がな、まったく」
軽やかになった舌で三弟の字を繰り返す父のことばにうなずきながら、曹丕の端然とした微笑は少しずつ、唇だけのものになっていった。
(子建にまつわることなればこそ、父上はこうも手放しでお喜びになられるのだ)
それが絶対の真実かどうかは分からない。だが、いちどその思いが胸をよぎると、三弟の顔を思い出すことさえ苦痛になった。
二十人以上いる弟たちのなかで、文学から兵法、時事までともに語りつくして最も飽きることがなく、そして幼い息子や側近にすら恐れられがちな自分へ最も率直な親愛を示してやまない弟がほかならぬ曹植であり、彼以外にはそれを望めないことは、むろんよく分かっていた。
実際、曹植ひとりのことだけを考えるとき―――常に瞠目させられ啓発を与えられるその絢爛たる作品はもちろんのこと、底の底まで悪意のないその言動やその表情、往々にしてこちらにまでとばっちりを食らわせるその芳しからざる素行すら、この弟について思いをめぐらすことはそれなりに楽しい作業であった。
だが、そこに父の影が差しこむとき、あるいは父と自分の間に曹植の影が差し込むとき、それらの一切は不快の種へと帰した。
いつからこんなふうになったのか、何を機にこうなったのかは分からない。
理不尽だと分かっていても、いまやどうにもならない回路がそこに生まれ、固着していた。
「そういえば子桓、おまえは子建が季珪の姪を見初めた詳細を知っているのだろう」
曹操は相変わらず笑いを含んだ声で尋ねた。
「―――詳しくは存じません」
「そうか。あれは、おまえには何でも話すのかと思っていた」
曹丕は答えなかった。
沈黙を埋めるかのように、以前から気にかかっていたことがふと口にのぼった。
「父上はなぜ、子建と崔家との婚姻をお許しなされました」
「子建が望んだからだ」
相変わらず簡潔な答えだった。なるほど、という代わりに曹丕はうなずいた。
もし誰かが父に、袁煕の妻甄氏を娶ることを長男に許したのはなぜか、と尋ねたなら、どんな答えが返るだろうと思った。
子桓が望んだからだ、と答えたとしても、信じられる気はしなかった。
子桓がそれをすでに成したからだ、というのが妥当だろう。
鄴陥落の直後、曹丕が父に甄氏との正式な婚姻を願い出た時点で、彼女はすでに曹丕の幕舎に―――正確には閨に置かれていた。
身分ある敗者の妻を勝者の子息が事実上汚したというだけでも十分世評に障るというのに、その貴婦人を結局は妾という待遇で納れるということになれば、名士たちの目はいよいよ厳しくなる。
父曹操は革新を恐れない政治家ではあるが、大義ということには敏感である。
曹丕には、すでにこうして事実をつくった以上、父から請願を却下されるはずはあるまいという確信があった。
そしてそのとおりになった。
いまなら、もういちど試してみたい、とふと思った。
袁家の堂からさらいだした甄氏の身柄をまっすぐにしかるべきところへ―――全軍の捕虜を管理する将のもとへ預け、そのうえで父に嫁娶を願い出てみたいと、そう思う。
俺が欲しいものを口に出したとき、そしてそれがまだ俺のものでないとき―――父上はどうなされるだろうか、と。