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その朝

作者: 水時計
掲載日:2022/08/21

私は自分には霊感はないと思っている。もしかしたら幽霊だったのかもしれないな、と思うものを人生で何度か見たことはあるけど、どれも気のせいと思えばその程度のもの。ただ、丑三つ時にはささやかに不思議な経験があった。


祖母の13回忌の夏だった。法要を8月下旬に控えたその年の、お盆の前の4、5日間だったろうか。当時高校生で弟、両親と家族4人で暮らしていたあの頃、夜中に目を覚まし、トイレに起きると誰かが必ず居間にいて、結局4人ともなんとなく起きてきた。テレビも夜中は止まっていた時代で、ささやかに水分補給したりおしゃべりして、なんとなく皆自室に戻り、眠ることが続いた。翌朝確認すると、確かに夢ではなかったようで、皆も同じ記憶を共有していた。

数日目には、「これ、見る人が見れば、周りにおばあちゃんとか、ご先祖様とか、いるんじゃないのかな?」と言いながら、誰も不穏なものを感じなかったので、そのままスルー。法要の後には誰も起きてくることもなくなったようだった。


#######


その日は、我が家にとってはなんてことない、いつもの朝だった。

いつも通りばたばたしながら、子供達と旦那さんが朝の準備をしていて、私が先に一度ごみ出しに出た。

自宅マンションは中層の中規模で、一基のエレベーターを共有しているのは14戸だから、ふだんからあまり混むことはない。2戸分乗り合わせるのがせいぜいで、だから、顔見知りではあるけれど、お向かいの奥さんと、斜め上(お向かいの上階さん)のお宅のご婦人と、朝っぱらから乗り合わせたのは、かなりレアなことだった。


個人的な付き合いがあるわけでもない、ただのご近所さん。あいさつ程度は愛想よく。いつものように言ったはずのおはようございます、に会釈を返すお向かいの奥さんの、顔はとにかくひどかった。何日寝てないんだろう、と思ったくらいには。

声をなんてかけたらいいのか、思案しながら乗り込んで、中にいた上階の方と目を見合わせた。


「……あの、お話ししなきゃいけないことがあって。」


息も絶え絶え、やっと声を絞り出したお向かいさんは、何度か言葉を押し出そうとして、失敗した。


「あの、そんなに、無理しなくても。」


上階さんが見かねて声をかけた。エレベーターはもうあっさり1階に着いていて、3人して降りるタイミングをのがしていた。


お向かいさんは、何度か深呼吸をして、上階さんをとめる仕草をした。

こんなにまでして、何を伝えられるんだろう、と思ったあたりで、絞り出した声が意味を形作った。


「……主人が、亡くなって……」





「え? 私先週エレベーターでお会いして。……事故?」


土建屋さんか何からしい、というくらいにしか知らない、がたいはいいけど、人のよさそうなお向かいのご主人。病魔に冒されていたようには思えなかった。


「……釣りで、海で見つかって」




当たり障りのない慰めをかけることしかできず、その場は解散した。


直接いろいろ聞くのははばかられ、あとでニュースやWebから調べたところでは、50キロほど離れた小さな港町の岸壁釣りに行っていたらしかった。湾内に伸びる岸壁の脇に沿って配置されたテトラポッドの隙間にはまって亡くなっていたらしかった。一緒に釣りに行った仲間が、姿が見えなくなった彼を探して見つけたという経緯のようだった。

たまたまその街に仕事で4、5年住んでいたことがある私の父によると、岸壁のテトラポッド側は外海からの波が打ち寄せる地形で、地元の子供達は絶対近寄らないように言い含められて育つらしかった。


管理人さんから聞き出した葬儀には、通夜だけ旦那さんと参加した。旦那さんも、持ち回りの理事長職の付き合い程度には関わりがあったらしい。頼られることはないだろうな、と思いながら、「何かできることがあったら」と声をかけて早々に帰宅した。近所の祖父母宅に預けていた子供たちを連れて帰り、風呂に入れて寝ついたその晩。


#######


私は丑三つ時に目を覚ました。


子供が小さかった頃で、夜に物音などで目を覚ますこと自体は珍しくなかった。ただ、目を覚まして、時計を確認して、あ、丑三つ時だな、と思った。

ふと、隣のベッドで寝ていた年少さんくらいだった息子が、むく、と起き上がり、ベランダに向かって、はっきりと言った。


「みまもっててねー。」


ベランダに向かって手を振る息子の背中を見て、私は固まった。見守るって、言った?


マンションの常として、ベランダは板一枚で隣家とつながっていて、私たちが眠っていたのは、隣家と壁一枚の部屋だった。まさか、連れ行かれたり…。

介入すべき? 息子の口調に、忌むべきものへの忌避感はなく、私がこっそりと伺ったベランダの方には、何も見えず何も感じなかった。


どうしよう、と途方に暮れつつ、もしも息子がベランダに向かって動き始めたら止めようと決心して、そのまま気配を消してじっとしていた。

息子はしばし手を振り、またベッドに横になり、そのまま眠ったようだった。

私はしばらく眠らず、ベランダの様子を伺った。窓ガラスを開ける勇気はなくて、お願い、連れて行かないで、と念じつつ、そのうち眠ってしまったようだった。


朝日のもとで目を覚まし、息子が普通に眠っていることにほっとして、窓ガラスを開けてベランダをあらためてみたけれど、何も見えず感じず、何の痕跡も見つけられなかった。

もちろん、息子も何も覚えておらず、以降同じようなことを繰り返すことはなかった。


#######


あれから、10年以上が過ぎた。

なんてことない出来事で、霊なんてものはない、と断言するうちの旦那さんによると、そんなのただの偶然だ、と。もちろんそれも理解できるし、私は霊感があります、なんて言えるほど、何が見えている訳ではなくて。

ただ、このマンションに住むようになって、もう20年近くなるのだけど、朝のエレベーターで、うちとお向かいさんと斜め上、あの3人が乗り合わせたのは、あとにも先にもあの1回だけだったな、と近頃気がついた。


彼はきっと、残さざるを得ない家族を、ただただ心配していたんだろうと、今は思っている。

脚色ありの、ほぼ実話かもしれません。

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