06.八尺様
「ひぃっ!」
女とばっちり目が合ってしまった俺は、情けない悲鳴を上げてその場に尻もちをついた。足がガクガク震える。とてもじゃないが立てない。
ゆらり、ゆらり……と不自然に左右に揺れながら、女がゆっくりとこちらへ近づいて来る。
「ぎゃあぁぁぁああ! 怖い怖い怖いっ!」
俺の泣き叫ぶ声がうるさかったのだろう、ポケットからセスがモソモソと出て来る。
『なんだ、お前また変なのに絡まれてるのか……』
呆れたようなセスの言葉にまともに返事もできず、俺は女から目が離せない。俺の前にふわりと浮かび上がったセスは、チリチリと白い電光を放つ。
『仕方ない、俺が片づけてや――……』
セスは最後まで言えなかった。
俺の後ろからひょこっと前に出た琥珀が、セスをムギュッと踏みつけたのだ。
『なっ、なにをするっ!!』
琥珀の草履の下で、セスが悔し気な声をあげた。
しかし琥珀はそんなことお構いなしで、白い女へと微笑みかける。
「八尺じゃないか。こんなとこで何をしている?」
はっしゃ、く――……???
もしかして、都市伝説か何かで聞いたことがある『八尺様』かっ!?
「あぁ~ら、お狐様じゃない。お久しぶり~!」
八尺様は細長い手をカクカク不自然に振りながら、愛想よく親し気に琥珀へ返事をした。
「琥珀? し、知り合い……なのか?」
「まぁな……」
琥珀は一瞬チラリと俺へと視線を寄越したが、すぐに八尺様へと向き直る。
知り合いなら、頼めば茜を返してもらえるかも知れない!
こんなとこでコネがきくなんて、琥珀ナイス!!
俺は勇気を振り絞って八尺様へと声をかけた。
「その子は俺の妹なんだ、頼むっ! 返してくれっ!!」
八尺様は不思議そうに目を瞬かせると、俺と茜を交互に見た。
そして、ぱぁっと顔を輝かせる。
「あら! 妹さんなの? 良かったわ~! この子、ここに一人で寝かせとくのも物騒だし困ってたのよ~」
「あ、……えーっと、……はい?」
なんだろう、八尺様のテンションについていけない……。
ご近所の気のいいオバサンみたいだぞ。
八尺様はゆらゆらカクカクと手を動かしながら、ニコニコ笑顔で説明してくれる。
「最近この辺をうろうろしてる怪しい男が、この子をそこの藪に引きずり込もうとしてたから、私が姿を現して追い払ったのよ。口裂け女さんが引退して、この地域の子供達の見守り活動は私一人になっちゃって……もう大変よ~」
「え……見守り、活動?」
町内会の素敵オバサンだ……。
つまり、八尺様が不審者から茜を守ってくれたのか。
「あ、ありがとう……ござい、ます」
俺は目を白黒させながら礼を言った。
「でも、この子……私の姿を見て驚いて気を失っちゃって、困ってたのよね~。ボボボボボ~」
八尺様は不思議な声をあげた。
顔は笑ってるし、どう見ても笑い声だが……ボボボ???
「あ、の……それじゃ連れて帰ってもいいんですよ、ね?」
俺の確認に、八尺様は大きく頷いた。
「早く連れて帰ってあげて~、こんなとこで寝てたら風邪ひいちゃうわ~。ボボボ~」
なんとか立ち上がった俺は恐る恐る八尺様へと近寄り、足元の茜を抱き上げると、そそくさと琥珀の元へと戻る。
琥珀はセスを踏んずけたまま、八尺様を見上げてスッと目を細めた。
「八尺、白を見なかったか?」
「白って……白狐様? 見てないわねぇ……あ、でも! 花子ちゃんが白い獣の妖を見かけたって言ってたわ、もしかしたら白狐様かも……」
「花子が? そうか、分かった」
「花子……って、もしかして『トイレの花子さん』っ!?」
俺は思わず、琥珀と八尺様の会話に割って入った。
めちゃくちゃ有名人……じゃない! 有名妖怪じゃないか!
花子さんといえば小学校。
つまり茜が通っている小学校のトイレに花子さんがいるってことだよな。
「ボボボボ~ッ、花子ちゃんってばすごい人気ね~、羨ましいわ~!」
またしても不思議な声で、八尺様が楽しそうに笑う。
琥珀は足をどけて踏んずけていたセスを摘まみ上げ、俺の方へとポイッと放り投げた。
ふわふわと飛んできたセスが俺の肩にのる。
『狐ふぜいがっ、覚えておけ!』
セス……それ、悪役が負けた時の決まり文句だぞ。
しかし琥珀はセスを無視し、くるりと踵を返して出口である鳥居の方へと向かう。
「花子に話を聞きたい。行くぞ、蒼太」
「あ! 琥珀、ちょっと待てって!」
俺は琥珀を追いかけて歩き出し、ハッと思い返して足を止める。
振り返ると八尺様と目が合った。
かくかくと長い手を不自然に振りつつ見送ってくれる八尺様に、俺は茜を抱えたまま改めてしっかりと頭を下げた。
顔を上げる。
八尺様は少し驚いたような表情をしていたが、すぐにニッコリと微笑んだ。
不気味な笑顔……でも、それはどこか愛嬌ある可愛らしいものに俺は感じた。
「蒼太、さっさと来い」
せかす琥珀の声に、俺は慌てて歩き出した。
すぐに琥珀に追いつく。
「ちょっと待ってってば、琥珀。いったん茜を家に連れて帰りたい」
「はぁ?」
琥珀は面倒くさそうに、ちょっとイラついた声を上げて俺を見た。
「それに、俺まだ晩飯も食ってない。今日はもう遅いし、明日にしないか? 俺、色々あり過ぎてヘトヘトなんだよ……」
「………………」
琥珀はむすっと頬を膨らませた。
その頬っぺたには思いっきり「不満」と書いてある。
「明日まで待てないなら、一人で行くか……?」
一緒に行ってやれなくて申し訳ない気持ちからの提案だったが、琥珀は何故かひどく困ったような……傷ついたような表情をした。
「琥珀……?」
「いや、明日でいい……」
「悪いな。明日の放課後、ちゃんと小学校に行く。約束するから」
俺の言葉に、琥珀はふいっと視線を逸らした。
「バカめ、簡単に約束なんかするな。『約束』っていうのは呪縛だぞ……」
拗ねたような物言いに、俺は琥珀の頭にぽふっと手を置いた。
「約束、ちゃんと守るから……な?」
安心させたくて言ったつもりだったが、琥珀は返事をしなかった。
俺は茜を抱えて神社を出た。
住宅街は家々から洩れる灯りと外灯のおかげで、それほど暗くはない。
茜はスース―と小さな寝息をたてている。
八尺様は気を失ってると言ってたが、特に怪我もなさそうだし大丈夫だろう。
セスは俺の肩と茜の頭を行ったり来たりふわふわ漂っている。
琥珀は少し後ろをついて来る。
白とかいうのは、琥珀にそっくりな白い狐だといってたな。
兄弟とか……そういうのだろうか。
今日、茜が帰ってこなくて俺はめちゃくちゃ心配した。
琥珀もずっと白のことを心配しているんだろう……。
明日、ちゃんと一緒に白を探してやろうと俺は決めた。
◆◇◆◇◆◇◆
「おし、さっそく行くか!」
部活にも入っておらず、バイトもしていない俺の放課後は長い。
授業が終わりカバンを手に校舎を出る。
校門の門柱の上に琥珀がちょこんと座って俺を待っていた。
足をぶらぶらさせている琥珀の顔には「待ちくたびれた」と書いてある。
身軽に門柱からひょいっと飛び降りた琥珀は、俺の後をついて歩き出した。
セスは俺の制服のポケットに入っている。
狭くて暗いのが落ち着くのだろう、授業中も静かに昼寝しているようだった。
「花子さんってことは、小学校のトイレだよな……」
小学校はそれほど遠くない。
高校から歩いても十五分くらいだ。
俺は卒業生というだけでなく、両親の代わりに茜の保護者会に出席したこともある。
小学校の校門を入ったところで、俺が六年生の時の担任に声をかけられた。
「あれ? 蒼太じゃないか、どうしたんだ?」
「センセー、こんちわー! 茜の学童の忘れ物を持って来ました!」
学童というのは、親が日中に家にいない家庭の子供達が放課後に過ごせる場所だ。
俺は家から持ってきた茜の巾着袋を見せつつ、しれっと準備していた嘘をつく。
朝までぐっすり眠った茜は昨夜の事を何も覚えておらず、今日もご機嫌でいつも通り登校していた。
先生は微塵も疑うことなく笑顔を向けてくれる。
「あぁ、茜ならもう学童保育の教室に移動したと思うぞ」
「はーい、行ってみます」
軽く頭を下げて先生から離れた。
すんなりと小学校に入り込んだ俺は、もちろん学童の教室になんか行かない。
校舎内はずいぶん静かだった。
少し遅めの時間だからだろう……子供達の姿はない。
もう皆、帰宅したり塾に行ったり学童へと移動したようだ。
「琥珀、花子さんがいるの……どこのトイレか分かるか?」
俺の問いに、琥珀はこくんと頷いた。