05.妹
「おい、一緒に白を探してくれるんじゃないのか?」
琥珀は俺の袖を掴み、ぶぅと頬を膨らませた。
「いや、先に夕飯だ……!」
これだけは譲れない。
空腹に勝てる人間なんかいないのだ。
俺はポケットからキーチェーンを引っ張り出して家の鍵を開ける。
適当に靴を脱ぎ捨て、玄関からキッチンへと直行し電気をつけた。
琥珀は物珍しそうにきょろきょろしながらついて来る。
冷凍庫を開けるとカレーの入った保存容器が二つ並んでいた。
「あれ? 茜のやつ、まだ食べてないのか……」
「茜って?」
俺の独り言を拾いながら、琥珀は興味津々といった様子で冷凍庫の中を覗き込んだ。
「俺の妹だ。あいつ、いつも先に食べてるのに……」
保存容器を一つ取り出して電子レンジに放り込み、オートボタンを押す。
カレー皿を手に炊飯器へと目をやった俺は、きっちり五秒固まった。
炊いて……ない、だと!?
慌てて壁の当番表を確認する。
今日の炊飯当番は……しっかり「茜」と書いてあった。
あんにゃろ~……、なにサボってんだ!
父は半年以上前から海外勤務、看護師の母は今夜も夜勤だ。
兄妹で協力してやっていこう! なんて言って当番表を作った本人がサボるなよ!
俺はキッチンを飛び出すと階段をズカズカ上がり、一番手前のドアを乱暴に開いた。
「あかねっ! お前、米炊いてねー……って、あれ?」
誰もいない。電気もついていない。
妹の部屋は空っぽだった。
「まだ、帰ってない???」
壁掛けの時計に目をやると、もう夜八時を過ぎている。
今日は友達の家へ遊びに行くと言ってたが、いつも夕方には帰ってくる。茜がこんな時間まで帰らなかったのは初めてだ。
「どうした?」
琥珀が不思議そうに小さく首を傾げて俺を見上げた。
「妹がいない……」
答えつつポケットからスマホを取り出し、「茜」への通話ボタンを押す。
「……………………」
出ない。
呼び出し音が虚しく鳴り続ける。
諦めて通話を切り、茜の行方を知ってそうな誰かにかけ直そうとして指が止まる。
誰にかければいいんだ?
小さく舌打ちし、俺は足早に部屋を出た。
リビングへ戻り、冷蔵庫の横にマグネットで止めてある紙を外す。
茜が通う小学校のクラス連絡網だ。
よく学校の話題で名前が出て来るのは……そう、「青木さん」だ!
連絡網で「青木」の名前を探し、電話番号をスマホでタップする。
すぐに繋がった。
『青木です』
「すみません! 茜の兄なんですが……茜、そちらにお邪魔してませんか?」
『あら、茜ちゃんのお兄さん? 茜ちゃんなら夕方に帰りましたよ?』
大人の女性の声だ。青木さんのお母さんだろう。
「えっと……まだうちに帰ってないんです。どこかに寄るとか、何か聞いてませんか?」
『娘が何か聞いてるかも……ちょっと待って下さいね』
「はい」
少し間が合って、女の子の声に変わる。
『もしもし? 茜ちゃんのお兄さん?』
「うん、そうなんだけど……茜がまだ帰ってないんだ。茜が行きそうな場所とか……何か知らない?」
青木さんは少し黙る。考えてくれているようだ。
『…………あ、そうだ! 茜ちゃん、よく学校の帰り道で神社に寄ってお参りするから、もしかしたら今日も行ったかも……』
「神社……って、あそこか!」
小学校とうちの間にある神社は一つしかない。
『でも、最近不審者が出るからって……担任の先生が、神社の辺りで遊んじゃダメって言ってたんだけど……』
不審者――……っ!?
嫌な単語にドクンと心臓が跳ねた。
「分かった。ありがとう、青木さん……」
俺はなんとか礼を言って通話を切る。
母親が勤める病院に連絡するか……いや、いっそ警察に相談……。
俺は首を振った。
たとえ連絡しても、母親は仕事柄すぐに帰ってくることなんか出来ない。
だからと言って、さすがに警察に連絡するのはためらわれた。
時計を見る。
八時半か……よし、後一時間経っても見つからなかったら警察に連絡しよう。
考えながら玄関へと向かう。
「蒼太、出かけるのか? 飯を食ってから一緒に白を探すんじゃなかったのか?」
追いかけてきた琥珀の責めるような声に、俺はスニーカーの紐を結びながら答える。
「悪い、緊急事態だ。その白とかいう奴の前に、俺の妹を探す」
交渉でもお願いでもなく「決定事項」として告げた。
「えぇ~っ!?」
琥珀は悲鳴のような不満の声を上げたが、それに答えることなく俺は玄関ドアを開いた。
◆◇◆◇◆◇◆
とりあえず神社へ行ってみよう。
琥珀は不満そうだ。しかし俺の様子から駄々をこねても無駄だと判断したのだろう、文句を言うでもなく黙ってついてくる。少しは空気を読めるようだな……。
そういえば……セスがやけに大人しい。
俺はポケットの上からそっと触れ、セスの存在を確かめた。
柔らかい物体の感触。
『なんだ? 何か用か?』
セスの声が頭の中に響く。
「あぁ、大人しいから死んじゃったかと思って……」
『バカモノ! 俺がそんな簡単に死ぬわけないだろう。暇だからウトウトしてたんだ』
……なんだ、寝てただけか。
「起こして悪かった。そのまま寝ててくれ」
話しているうちに神社に到着する。
住宅街の中にポツンとある神社は、そこだけがずっと昔から時間が止まっているかのような不思議な場所だった。
大きな赤い鳥居の奥に、ぼんやりと灯篭の灯りが見える。
うーん……、神聖な場所というより不気味さの方が大きい。
琥珀やセスが一緒だからいいが、これ……一人だったらかなり怖かっただろうな。
俺は鳥居をくぐり中へ入る。
周囲に気を配りながら奥へと続く石畳を進む。
石畳の両脇には綺麗に整えられた植え込みがあり、その向こうには木々が並んでいるが、暗くて良く見えない。
「あかね~? 茜、いないか~?」
遠慮がちに暗闇へと声をかけるが、静まり返った空間に俺の声が虚しく響くだけだった。
ここで不審者に襲われて、その辺りの藪の奥へ引きずり込まれてしまってたら……どうしても沸き上がって来る嫌な想像に、俺は奥歯を噛み締めた。
やっぱりさっさと警察に連絡して探してもらった方が良かったかもしれない……ほんの少し後悔した、その時――……視界の端を大きな白い何かが横切った。
釣られるように視線がそれを追う。
「……――っ!?」
絶句した。
それはぼんやりと光を放つ白いワンピースの女性だった。
ものすごく、異常なほどに背が高い。
ただの「大柄な人」なんかじゃない。こんな夜につば広の白い帽子が不自然極まりない。ひょろっと細い手足は歩くたびに不自然に揺れ、長い黒髪が女の動きに合わせて、ゆらり……ゆらり……と揺れている。
「あ……、……あぁ……、あ゛……っ、……」
まともな言葉が出ない。
頭の中では「逃げろ!」と叫ぶ自分がいるのに、俺はそれから目を離すことができなかった。
震える足を叱責し、なんとかじりじりと後退る。
「え? あ、茜っ!?」
俺は見てしまった。
女の足元に茜が横たわってるじゃないか!
茜はぐったりと動かない。
遠目で見ただけじゃ息をしてるのかも分からない。
あの女が――……あのバケモノが、茜を!?
助けなきゃ! と思うのに、俺の体は恐怖で縛り付けられていて動けない。
その時、
女が、
こちらを見た。