16.幽体離脱
先導する茨木について廊下を歩く。
工場というより観光施設といった雰囲気の建物内は、どこもかしこも清潔感があってお洒落だ。
「あ……」
前からブルーの制服のお姉さんが歩いて来る。
俺は思わず体を硬くしたが、お姉さんは全く何も見えていない様子で俺たちの横を通り過ぎた。
本当に俺、幽体なんだな……。
複雑な気分だ。
もし事故や病気で死んで幽霊になってしまったら、こんな風に誰に気づいてもらうこともなくウロウロするんだろうか……。
嫌な想像をしながら茨木の後をついていく。
大きなトラックが何台も停まっている出荷場の横を抜けると、いかにも「工場」という雰囲気の巨大なスペースに出た。
吹き抜けの大きな空間に見たことない機械が並び、高速で動いている。よく見るとビールが缶に詰められているようだ。
「すっげぇ……」
この工場だけで、いったい一日に何本のビールが生産されるんだろう。
俺の横を歩く琥珀も、物珍しそうにキョロキョロと周囲を見回している。琥珀はビール工場に来るのは初めてのようだ。
高速回転している機械にイーアルサンが身軽にひょいっと飛び乗り、楽しそうに遊びだした。
「蒼太サーン! これ楽しいっすー!」
「……良かったな」
機械の速度に負けないイーアルサンのスピードは大したもんだが、どうにもハムスターが回し車に戯れているようにしか見えない。
「はしゃぎ過ぎて怪我しないように気を付けろよ」
そんな心配いらなそうだが、一応注意だけしておく。
ふいに茨木が足を止めた。
「酒呑様」
茨木の声は呼びかけというより、呟きに近かった。
その視線の先には……、
「え?」
何かがいる。
しかしぼんやりとピントが合ってないように、ぼやけてはっきり見えない。
俺はゴシゴシ目を擦ってから見直した。
ゆっくりとピントがあってくる。
「あれが、酒呑童子?」
そこには……茨木に負けず劣らぬ、いや、それ以上のキラキラオーラを放つイケメンが座っていた。ちょっとホストっぽい色気とチャラさ……うん、俺の苦手なタイプだ。
星熊は幼女だけどすごく整った顔立ちだし、茨木も酒呑も……鬼ってのは美形揃いなのか?
酒呑は軽く顔を上げて俺たちを見た。持っていたビールの缶をグイッと呷ってから、もう一度俺たちにゆっくりと視線を戻す。
「金狐じゃないか……久しいな、どうしたんだ?」
酒呑は茨木を無視し、その後ろの琥珀に声をかけた。
あからさまにショックをうけた様子の茨木は、酒呑と琥珀を見比べる。
琥珀はちらりと茨木に視線をやり、酒呑へと近づきながら答えた。
「それはこっちの台詞だ。ウィスキー蒸留所はどうした?」
「あぁ、カラス天狗どもが……その辺のことは、もう聞いただろう?」
「だいたいは、な」
酒呑は横に積んであったビールの缶を一つ、琥珀に差し出した。
「ビールも悪くないぞ、ほら……飲んでみろ。これは来週から発売予定の新作だ。華やかな香りが特徴で爽やかな口当たりだが、ちゃんとコクもある。なかなかの味わいだ」
ビールマイスターのような説明に興味をひかれたのか、琥珀は酒呑の隣に腰を下ろし、プシュッと缶を開けた。
完全に蚊帳の外の俺たちはどうしていいのか分からない。
背後でイーアルサンがはしゃぐ声だけが楽しそうだ。
琥珀は俺たちのことなど全く気にすることなく、ビールをコクコク喉へ流し込み、小さくぷはっと息を吐いた。
「うん、まぁ悪くない……ところで、白を見てないか?」
「白狐? いや、知らんな……京へ来てるのか?」
「分からない……来る途中ではぐれたんだ」
「ふむ……」
二人の会話からみて、ここも空振りだったようだ。
「あ、の……酒呑様……、……」
茨木が遠慮がちに声をかけると、酒呑はようやく茨木を真っ直ぐに見た。
「なんだ、茨木……いたのか」
いやいや、最初から見えてただろーに……意地悪だなぁ。
見ると、茨木は半べそ状態……イケメンが台無しだ。さすがにちょっと可哀そうだぞ。
ここに来る前には、もう一度ウィスキー蒸留所について話したいなんて言ってたのに、そんな事はもうどうでも良さそうだ。
口籠ってしまった茨木があまりに不憫で、フォローしてやりたいが、何を言えばいいのか分からない。
そこでようやく、酒呑が俺を見た。
いや、正確には俺の頭にのっているセスを見た。
「そこの人間、お前は何だ? 金狐のツレか? にしても、変わったものを連れているな……それは何だ?」
そういえば、カラス天狗もセスに興味をもってたな……。
妖の世界でも、ケセランパサランってのは珍しいのだろうか。
「俺は蒼太、それからこれは――……」
「蒼太は俺の眷属だ、気にするな。そんな事より、白がカラス天狗に捕らわれている、なんてことはあると思うか?」
セスについて説明しようと口を開くも、琥珀の声に遮られた。
琥珀の眷属として紹介されてしまったのも不本意だ。
色んな意味で俺はムッとしたが、酒呑はあっさりセスから興味を逸らし、軽く上を見て考える。
「そうだなぁ……何とも言えんが、白はあの性格だ。カラス天狗を出し抜こうとして、捕まった可能性はあるかもな……」
酒呑はビールの缶を口に運び、ぐびぐびと喉を鳴らした。
「やはり、そうか……」
琥珀は手元の缶に視線を落とし、考え込んでしまった。
俺としては、正直、めちゃくちゃ感じ悪いカラス天狗のオッサンとはもう二度と会いたくない。けど、他にあてもないし、ここまで来て諦められないよな。
それに、もし白があいつらに捕まってるなら助けてやらないと……きっと虐められてる。
琥珀も俺と同じ考えなのだろう、意を決したように立ち上がった。
「蒼太……」
「分かってる、行くんだろう?」
琥珀がコクンと頷くと、酒呑が持っていた缶を床に置き、ゆっくりと腰を上げた。
「あいつらは血の気が多い。俺も行こう……」
「えぇっ!?」
驚きの声を上げたのは琥珀でも俺でもなく、茨木だった。
「酒呑様!? カラス天狗と争うつもりはないと仰ってらしたのに……」
そんな茨木に、酒呑は呆れたように顔をしかめた。
「無駄に争う必要はないと言っただけだ。昔馴染みが面倒な事になってるかも知れねぇのに、ほっとけないだろうが……」
酒呑は隣に立っている琥珀の頭を、ちょっと乱暴にわしゃわしゃ撫でた。
琥珀は酒呑のことを「友達じゃない」なんて言ってたけど、充分仲良しじゃないか。
頭をぐしゃぐしゃにされながら琥珀は微妙な表情をしている。どうやら、酒呑と琥珀の間で「仲良し度」に齟齬があるようだ。
「酒呑様、なんとお優しい……っ、……」
茨木は感動したように言葉を詰まらせた。
たしかに酒呑は親分肌で頼りになりそうなイケメンだが、茨木の心酔具合はかなりのものだ。
昨日、カラス天狗と遭遇した時は、もし戦いにでもなったらかなり不利だと感じた。たとえ、酒呑と茨木が協力してくれるとしても、あれだけの数のカラス天狗とまともにやり合うのは避けたい。
白が捕まってるか探る何かいい作戦はないかと考えを巡らせていると、ふいに体がふわっと浮いた。
反射的にセスが転がり落ちないよう捕まえる。
「……――えっ!?」
俺は酒呑の小脇に軽々と抱えられていた。
「な、な、な……、……なんだっ!?」
思わず身をよじって逃げようとするも、しっかりがっちり捕まってしまっている。
俺を抱えたまま、酒呑はすたすたと歩き出した。
「暴れるな、小僧。ウィスキー蒸留所へ行くぞ。人間の移動は時間がかかり過ぎるからな、俺が連れてってやる」
「つ、連れてくって……いったい、どうやって!?」
「蒼太サン! 置いてかないで欲しいっすーっ!」
イーアルサンが飛びついてきて、小さな手で俺の服にしがみついた。
と同時に、俺はもの凄い勢いで上へと引っ張り上げられた。
「ひっ!?」
いきなりの逆バンジー状態に、思わずギュッと目を閉じる。
そして、重力から解放された。
目を開くと、下には京都の街並みが拡がっている。
めちゃくちゃ高い。
「うわぁあああああっ!!」
俺は酒呑にしがみついた。
落ちてるわけじゃない、飛んでるわけでもない。
全く未知の物理法則で、俺は空の上にいた。