5 だって私、パパの娘でしょ?
シーラの絡み酒は止まらなかった。話は脈絡なくあちらこちらへ飛び、怒ったり笑ったりと感情が大忙し。
いい加減こちらがうんざりしてきて、もはや彼女本人すら自分で何を話しているのか分からなくなってきた頃。
「だいたい、私はウェンディより先に、アランに目を付けてたんだ! それをあいつが、横取りしやがって……」
シーラがテーブルを拳で叩きながら、ふとそんなことを言った。
「それを俺の前で言うかな、普通……ていうかお前、俺がウェンディと結婚した時なんか、まだガキだったろ」
「そーらよ、なんか悪いか! ガキでも女は恋するんだよ! お前の娘だってそうだろ! 知らんけど!」
「……」
その言葉が妙に身に染みて黙ってしまう俺に、弱点の匂いを感じ取ったのかシーラは目をきらりと光らせる。
「なんだお前、悩みってもしかして、アイリスちゃんの恋路のことか? ほれ、どうなんだ。答えてみろよ」
「……まあ、そんなところかもしれないな」
流石にここで白を切ってもしょうがないか。渋々俺は、正直に答えた。
「へーえ、あのアイリスちゃんがなぁ。ま、娘の恋路を邪魔する親は嫌われるって言うし、アラン、お前もあんま余計な口は挟まない方が良いと思うぞ?」
一周回って酔いが醒めたか、それとも話題に対する興味が優って酔いを忘れたか、今日イチ滑らかに舌をを動かしながらシーラが言う。
お前それ、自分のライバルを応援してることになるんだぞ。
なんて絶対に言えないし、そもそも今のシーラに反論すると余計面倒臭そうなので、忠告を素直に受け取った振りして、ひとまず首を縦に振っておく。
ところがこれは逆効果だったようで、従順な俺に気を良くしたのか、シーラはさらに調子付いて語り出した。
「お前もそろそろ、娘離れしないとなァ、アラン」
「娘離れって……俺ァ別に、父親として普通の距離感を保って——」
「いいや、そんなことない。だって毎日依頼が終わると、どこにも寄り道せずに帰るだろう?」
「……」
言われてみれば、その通りだ。
毎日どこにも寄り道せずに帰って来て、二人分の夕食を用意してくれるアイリスを俺は不思議に思っていたが、実は因果が逆で、俺が毎日さっさと家に帰るから彼女は夕食の準備を——って、いやいや。そんなわけないだろう。
家で自分の帰りを待つ娘がいるなら、早く帰るのは父として当然の務め。
そこに血が繋がっているとか繋がっていないとかは、関係ないはず。
危うくシーラの詭弁に騙されるところだった。
首を振って正気を取り戻し、そんなようなことを言って反論すると、シーラはチッチッと俺の前で指を振ってみせた。
「そういうことじゃない、そういうことじゃないんだよ、アラン。私が言いたいのは、もっとパーッといこうぜってこと。例えばほら、もうウェンディも許してくれるだろうし、新しく恋愛の一つでもしてさァ——」
「その先は俺でも読めるぞ、シーラ」
「ッチ、バレたか」
「……」
シーラと喋っていると、どこまで本気でどこまで冗談なのか分からなくなるな。
ある意味それも、彼女のペースに呑まれているということなのだろうか。いい年したオッサンが、情けないもんだ。
「まあ、真面目な話さ。私のことも、一応選択肢くらいには入れておいてくれよ。アランだって、ずっとこのまま独身貫き通すって決めてるわけでもないんだろう?」
「……一つ聞きたいんだが。お前はなんで、こんなロートル冒険者が気に入ったんだ? 俺より良い男なんて、それこそそこら中に沢山いるだろう」
一番気になっていたことを尋ねてみると、シーラは目を丸くして、飲んでいたエールを吹き出した。
ゴホゴホと咳き込んでいる彼女に呆れつつ、店員から布巾を貰って汚れた箇所を拭いていると、「アランお前、本当に覚えてないのか?」とシーラが戸惑ったように言う。
「覚えてないって、何のことだ?」
「本当に覚えてないんだな……ほら、私がまだ新米だった頃、アランと即席でパーティーを組んだことがあっただろう」
「へえ……昔の俺が、お前の足を引っ張ったりしていなければ良いのだが」
「バカ言え、実際はその逆だ。私が散々アランの足を引っ張って、それを一々アランがフォローしてくれたんだ」
「……そんなこともあったっけかな」
白状すると、本当に俺は何も覚えていなかった。
シーラが新米冒険者だった頃自体は、もちろん覚えている。
当時からシーラは同僚冒険者たちの目を惹く存在で、彼女より年上の荒くれ者たちから散々言い寄られていた。
それらをバッタバッタと薙ぎ倒す彼女の姿には、とんでもない女が入ってきたものだと思わされたものだ。
しかし、そんなシーラを俺が助けたなどという記憶は一切ない。
もしそんなカッコいいことを本当に自分がしていたのなら、ちょっとくらいは覚えていても良さそうなものだが。
シーラは俺が何も覚えていないのを曖昧な返答から察したのか、「くそ……これだから私は、お前キライなんだ……」と言うと、追加で注文したエールをやけくそのように呷る。
俺は彼女のやけ酒に、その後もしばらく付き合った。
* * *
結局その日は、シーラに付き合わされて何杯も酒を飲んでてしまい、久々の酩酊感に目をくらくらさせながら、俺は家の前に辿り着いた。
「酒くさァ」
扉を開けると、俺の正面に立ったアイリスの第一声がそれだった。
「……うるせえ。たまにはいいだろ」
酒で気が大きくなっているせいか、朝ほどの気まずさは感じなかった。
「別に、ダメだなんて言ってないけど」
アイリスの方も俺が酔っ払っているせいか、多少対応が雑になり、その分だけ気まずさが減っている様子。
「……めんどくせえな、入るぞ」
「はいはい。夕飯あるから、食べちゃいなよ」
アイリスの脇を抜け、リビングへ行こうとした。
すると、さっきは臭いと言っていたくせに、彼女はなぜか至近距離で俺の身体の匂いをスンスンと嗅ぐ。
「……なんだよ、気味悪いな」
「……女の人の、匂いがする」
酒に酔っているのも忘れて、俺はぎくりとした。というか、その一言でだいぶ酔いが冷めた。
——別に自分は、後ろめたいことをしているわけじゃない。
そう自分に言い聞かせながら、
「……ただの同僚だよ。お前の想像するようなことは、何もない」
平静を装いつつ答えると、
「ふーん。ま、別にいいけど」
アイリスはじとっとした目でこちらを見た。
「……」
やましいことは何もないはずなのに、冷や汗がだらだら流れる。口が動かない。
しばらくそうして俺がじっと固まっていると、不意に彼女はぷっと吹き出した。
くつくつと肩を震わせるようにして、徐々に笑い声を大きくする。
「冗談だって。そんなにビビらなくてもいいのに」
——とても冗談には思えなかったんだが?
心の中で叫びつつ、ばつが悪いのを誤魔化すように頭を搔くと、
「それに私、パパが本気なら応援するよ?」
アイリスが微笑みながら言った。
「……どういうことだ?」
「だからァ、パパが本気で誰かと再婚する気なら、私は反対しないし、パパも私に遠慮する必要はないよってこと」
「……」
「だって私、パパの娘でしょ? ね?」
それは俺にとって、都合の良い台詞のはずなのに。
感情の読めないアイリスの微笑みをぼんやり眺めていると、なぜだか俺は、さみしい気持ちになった。
そしてまた、そう感じてしまっている、どうにも割り切れない自分が嫌になった。