4 私はアランに、興味を持っている
「お、おはよう……パパ」
翌日。目が覚めて部屋を出ると、二人分の朝食を作り終えたアイリスが、食卓に皿を並べていた。
「お、おう……おはよう」
彼女の方をなるべく見ないようにしながら、俺は挨拶を返して席につく。
そんな俺の正面に、アイリスもまた微妙に俺から視線を外しながら座る。
「…………」
「…………」
食事の最中、妙な沈黙が流れた。いつもはこんな感じではない。
朝はどちらかと言えば苦手な方だが、それでももう少し会話があったはずだ。
たとえなかったとしても、こんな雰囲気にはならないはず。
——やっぱり、昨日のことが尾を引いてるのか。
自分で状況を冷静に分析してみて、自嘲気味な薄笑いをこっそり口元に浮かべた。
尾を引いてるのか、も何も、現に俺は今そのことで頭が一杯じゃないか、と。
ひとまず学院のことでも聞いてみようか。
そう思って「なあ——」と言いかけたところ、タイミング悪くアイリスの「あの——」という声と被った。
「あ、パパからでいいよ」
「いや、俺は大した話をしようとしてたわけじゃないから、アイリスからで」
「私も、大した話じゃないから」
「そ、そうか」
「う、うん」
「…………」
「…………」
そして再びの沈黙。……いや、気まずい、気まず過ぎる。
結局俺はその後、アイリスと一言も話すことなく朝食を急いで掻き込んだ。
過去最速レベルの速さで食べ終えたはずなのに、異様に時間が長く感じた。
* * *
「今日、一杯やりにいかないか」
数日後の晩のこと。依頼を終えた俺がギルドの受付で手続きを済ませると、横からハスキーな女の声がした。
声のした方を見やると、そこにいたのは栗色の髪を短く切り揃えた美女。
ごつめの鎧さえ着ていなければ、彼女が冒険者であるなどとは誰も思わないだろう。
彼女の名はシーラ・エッセル。
俺の同僚で、依頼が被ればパーティーを組むこともある、女にしては腕の立つ戦士だ。
「っつってもなあ……アイリスが待ってるし」
俺は鮮やかな金髪を腰元まで下ろした娘の姿を思い出しながら言った。
向こうが早く帰ってきて夕食を作ってくれているというのに、こちらは飲んだくれて帰りも遅くなるというのは不誠実な気がして、俺はずいぶん長いこと酒を控えている。
「まあまあ、たまには良いじゃないか。そんなにアイリスちゃんアイリスちゃん言ってると、お前が枯れちゃうぞ」
「枯れるって……んなこたねえだろ」
「いいや、あるね。……分かった、あんまり遅くならねえようにするからさ。一杯だけでも頼むよ」
「そんなに飲みてえなら、他のやつと行けばいいじゃねえか。お前なら、よりどりみどりだろう?」
根本的な疑問を発すると、シーラは口を尖らせながら
「私だって、誰でも良いってわけじゃない。飲む相手くらい、選びたいだろ?」
と言った。
なんだそれ、ちょっとグッとくるじゃないか。正直ほんの少しだけ、かわいいと思ってしまった。
本当にほんの少し、小さじ一杯分だけどな。
「それにさァ、自分の娘相手だと色々話せないこともあるんじゃねえの? そういうの、私になら話し放題だぞ? 私は冒険者の知り合いが少ねえから、話したことが広まる心配もないしな!」
「……それ、自分で言ってて悲しくならないか?」
「うるせえ! ほら、早く決めろ。どうするんだ、このモテ男」
意味不明なことをほざきながらうりうり、と肘でこちらをつついてくるシーラをスルーしつつ、俺は考える。
確かに彼女の言うことにも一理あって、最近では娘相手だと気を使うことも多い。
もっともそれが自分にとって苦痛かと言われればそんなことは全くないし、むしろ喜んで気を遣うくらいなのだが——
「はあ」
数日前のことを思い出し、思わず大きなため息が出てしまう。
あれ以来、自分とアイリスの関係がギクシャクしているのは事実だった。
お互いに忘れようとは努めているものの、そう簡単に忘れられるものでもないし。
——1日くらい、良いんじゃないか。
こういうのを魔が差したと言うのだろうと自覚しつつも、「分かったよ。本当に一杯までだからな」と俺は返事していた。
* * *
「んで、アイリスちゃんとなんかあったのか?」
ギルドに併設された居酒屋のテーブルに座り、注文したエールで乾杯を終えた後。
シーラは俺の向かいに座ってジョッキの柄を持ちながら、ニヤニヤと尋ねてきた。
「……何もねえよ。良好な親子関係を築いている」
自分でもよくそんなことが言えるな、と思いつつ、息を吐くように俺は嘘をついた。
流石にあんなこと、他人に話せるわけがない。
ただ、シーラは一筋縄ではいかなかった。
「いーや、それは嘘だね。本当に良好な親子関係を築けているなら、そんな辛気臭い顔してないって」
「……別に、辛気臭い顔だなんて——」
「してる。だって、見てれば丸分かりだぞ」
「……でも、今日会った他の連中は、別にそんなこと誰も——」
「それはそいつらが、アランに興味なかっただけだろう。他人なんてそんなもんだ。でも、私は違う」
シーラはグイッとエールを呷ると、「プハァッ!」と息を吐き出してからじっとこちらを見た。
美人には本来似合わないはずのそうした仕草にも、妙に色気を感じる。
いや、この場合はむしろ、美人だからこそと言うべきか。
「私はアランに、興味を持っている」
「……そりゃどうも」
唐突な同僚の告白にどう反応していいのか分からず、随分とぼやけた返事をしてしまう。
そんな俺をシーラは胡乱な目つきで見ると、「こんな美人が言い寄ってんだから、もうちょいなんかあるだろ」とぶつぶつ呟きながらさらにエールを呷った。
「……俺も色々立て込んでんだよ」
杜撰な言い訳を試みるも、
「ほう、立て込んでる、ねえ。アランは随分前から冒険者なのに依頼で冒険しない、雑魚の討伐で規則正しく日銭を稼ぎ、日が暮れるとあっという間に帰るって、有名だったはずだけど?」
と事実を口にされてしまえば、こちらは黙るより他ない。
シーラは貝のように口を閉ざした俺を意地悪げな目つきでしばらく見つめた後、またエールを呷った。
……というか、なんかさっきからこいつ、エール呷りすぎじゃないか?
流石に気になったので、
「シーラお前、ペース早くないか?」
と窘めると、
「うるっさいな! 私だって、これでも緊張してるんら!」
既にちょっと怪しくなっている呂律を何とか回しながら、彼女はそう答えた。
しかし、緊張か。一応こいつなりに、さっきのは本気で言ってたと思っていいのだろうか。
そんなことを考えていると、シーラが今度は俺のジョッキをつつき始める。
「というか、アランはもっと飲め! 私にらけ飲ませておいて、ずるいぞ!」
「いや、誰も飲ませてなんかないし、お前が勝手にどんどん飲んでるだけ——」
「うるさーい! ほら、早く!」
うわ、こいつ酔っ払うと人に絡むタイプだったのか。
以前飲んだ時はもっと大人しくて美少女然としてたのに、ずいぶん冒険者の文化に染まっちまったな。