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3 魔法学院の氷姫

 物心ついた頃には、私の母はウェンディで、父はアランだった。それが私にとっての当たり前だった。


 もっとも、実父に関する記憶が全くないわけではない。

 それは私の記憶の奥深いところに、黒い淀みのように沈殿している。

 ただ、母からそうと聞かされるまで、私がその記憶の中の男を実父だとは認識していなかっただけのこと。

 それほど彼は、私の中の理想の父親像からかけ離れた存在だった。


 一方で、パパは私の理想そのものだった。

 優しくて、かっこよくて、ちょっとぶっきらぼうで不器用なところもあるけれど、それすらも一旦パパのことが分かってしまえば、優しさの裏返しなのだと思えた。


 だから、パパと結婚したいと思った。

 結婚、という言葉の意味を幼い私はよく理解していなかったのだけど、ママとパパの関係を見る限り、それは凄く良いことのように思えた。正直言って、ちょっとだけママを妬んでもいた。


 そんなある日、ママが亡くなった。

 確かに最近は体調を崩して家にいることが多くなっていたけど、まさかそんなことになるとは思わなかった。

 でも、悲しかったと言うとそれは嘘になる。

 幼い私は、死が一体どういうものなのかすらよく分かっていなかったから。


 むしろ私は、より単純に状況を解釈した。つまり、これで私がパパを独り占めできるんだ、と。

 それはかつて誰にでもあった、幼さゆえの純真な残酷性とも取れるかもしれないし、私に特有の変質的なものだとも取れるかもしれない。


 ただ、一つだけ間違いなく言えるのは。

 私が今でもパパを家族としてではなく、そういう意味で愛しているということだ。


* * *


 その後私は魔法学院に入学した。

 自分で言うのも何だけど、学院での私は模範的な生徒たるべく日々努力してきたし、また実際に、その努力に見合うだけの成績も残したつもりだ。


 学院の中でも一際身分が低かったがゆえの意地で頑張ったというのも、もちろん理由の一つ。

 ただ、それより大きかったのは。

 頑張ったらその分だけパパが褒めてくれるという、私にとって甘美なご褒美があったからだ。


 そうこうしている内に、私に奇妙な二つ名が付くようになった。それは「魔法学院の氷姫」というもの。

 最初にその名を聞いたのは、学院内の廊下を歩いている時。

 女友達二人と歩いていると、下級生らしき子たちがすれ違いざま、私の方を見ながら興奮気味の口調でそんなようなことを言っていたのだ。


 彼らは聞こえないように話しているつもりだったのだろうけど、実際にはこちらに丸聞こえだった。

 下級生たちの姿が見えなくなった後で友人に尋ねてみると、苦笑しながら「アイリスはいつの間にか、後輩たちから神みたいに崇められているみたいだよ」と言われたものだ。


 さらに理由を聞いてみると、どうも私のしてきたことが、かなりの脚色を交えて後輩たちに伝わっているらしい。

 曰く、入学して以来その美貌と実力に着々と磨きをかけているにも拘らず、恋愛事に全く関心を示さず、寄ってきた男どもを一人残らず蹴散らしている、と。


 まず、私は寄ってきた男を一人残らず蹴散らしてなどいない。丁重にお断り申し上げてきただけだ。

 それでも未練がましく迫ってくる輩を、何人か魔法実技の時間に叩きのめしただけのこと。


 恋愛事に全く関心を示さず、というのもおかしい。

 単に恋愛対象となる人が学院内にいないだけで、私は私で恋心を抱いている。

 最もそれが世間的には受け入れられ難いものだと知っているから、なるべく表へ出さないようにしているだけであって。


 ……でも、そう思われている方が、こちらとしてはむしろ楽かもしれない。

 恋愛に興味がないのだと知れば言い寄ってくる人が減るから私の手間は省けるし、仮にそれでも言い寄られて断ったとしても、今まで時々あったような難癖を付けられることもなく、「氷姫だからしょうがない」と周囲が納得してくれる。


 そんな考えから私は二つ名を特に否定せず、それどころか、「氷姫」の方に自分を寄せていった。

 おかげで学院内での私の名声は、さらに高まった、らしい。

 キャラを演じるのは疲れるから、元々早かった帰宅時間がますます早まったけど。


* * *


 それからさらにしばらく経ち、私にも卒業の時期が近づいてきた。

 ただ、進路に悩む他の学院生とは違い、私は最近別のことに頭を悩まされていた。当然それは、パパのことだ。


 私はパパに、女として見られていない。ずっとずうっと、子供扱いされている。


 昔はそれでも満足だった。

 パパが——たとえ家族としてであっても——私を愛してくれているのは分かっていたし、私は実際に子供だったから。


 でも、今は違う。

 世間的に見て私はもう半分大人のようなもので、自分にそれなりの魅力があるということも自覚している。

 そういう魅力をバレない程度に意識的に、パパへ振り撒いたこともある。

 なのにパパは、私のことを家族としてしか見てくれない。


 おそらく意識の問題なのだろう、というのは最近徐々に分かってきた。

 つまりパパの場合、私のことを自分の「娘」だと脳の奥深くにインプットしているから、その前提が覆らない限り、私がどう足掻こうと、パパが私を女として意識することはないのだ。


 だからこそ私はどこかのタイミングで、パパのその前提意識を覆してやらねばならない。

 やることが分かれば後は簡単、機会をひたすら窺うだけだ。


* * *


 ……失敗した失敗した失敗した。それも、考え得る限り最悪の形で。

 何が、「やることが分かれば後は簡単、機会をひたすら窺うだけだ」だ! バカでしょ過去の私!


「はあーあぁ」


 先ほどのパパとの会話を思い出し、盛大にため息をついてしまった。

 ベッドで足をじたばたさせながら、私は枕に顔を埋める。


 焦るがあまり、こちらの気持ちを押し付け過ぎてしまった。

 パパの気持ちが、そう直ぐ変わるはずもないのに。


 どうしよう、完全に怒ってたよなあ。怒ってたというか、引いてた? それとも困惑してた?

 今思い出してみても、あの顔はどう表現すればいいのか分からない。

 確実に言えるのは、今まで一度も見たことのないような、そんな表情だったってことだけ。


 ……本当に、明日からどうしよう。気まずいよなあ。私も、パパも。絶対、変な感じになるよなあ。


 いっそのこと、伝説の賢者が使ったと言われる忘却魔法でも研究してやろうかしら。

 王国内では研究そのものを禁じられているけど、遠く離れた魔法大学では研究が解禁されていると聞く。

 そこへ行って最新の魔法学を学べば、今日のパパの記憶を忘れさせることもできる、かもしれない。

 ついでに大学で学んでいる間は、毎日パパと顔を合わせて、気まずい思いをすることもなくなるし。


 でもなあ。いくら気まずい思いをするからと言って、私はパパと離れ離れになりたいわけじゃないんだよなあ。

 むしろ死ぬまで一緒にいたい。パパが、別の女の人と再婚するとしてもね。


 ……やっぱりここは、「パパの娘」であり続けるのが一番良いのだろうか。自分のこの気持ちは押し殺して。

 たとえそれが、酷く辛いことだと分かり切っているのだとしても。


 仰向けになって、薄暗い天井を眺めた。当然そこに、答えなど書いているはずもなく。

 私はベッドのシーツを、ぐしゃっと握りしめた。

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