2 親子で好みは似るんだよ
二年が経ち、アイリスはますます成長した。
彼女は母親に似た鮮やかな金髪と、エメラルド色の瞳を好奇心に輝かす美しい娘となり、学院内でも身分は低いながら、その美貌と実力とで、貴族の坊ちゃん方の目を引きつけているそうな。
この先そんな坊ちゃんのどなたかと結婚するのか、それともしばらく仕事一本でいくのかは俺にも分からない。
ただ、一つだけ確実に言えるのは。
そう遠くない内に彼女が俺の元を巣立ち、遠く離れた別の世界へ旅立ってゆくのだろう、ということ。
なのに……なのに彼女は。
「ん、どうしたの? 早く食べなよ」
「……ああ」
今日もこうして家で夕食を作り、俺と二人で食卓を分かち合っている。
おかしい、何かがおかしい——そう、普通このくらいの年頃の娘は、もっと父親の存在を嫌がるのではないか。
いや、俺もあらゆる家族について知っているわけではないし、何事にも例外があるとは分かっている。
だが、それにしても妙だと思う。
妙と言えば、もう一つ。学院でどうやらかなりモテているらしいなのに、アイリスには男の影一つないのだ。
俺も女のことはよく分からないが、普通このくらいの年になれば、火遊びの一つや二つしてみたくなるものじゃないんだろうか。それとも単に、親に隠すのが上手いだけか。
「アイリス」
「はい、なんでしょう」
「……お前、俺に何か隠していることはないか?」
夕食中、ひとまずジャブ程度に探りを入れてみると、「何、急に」とアイリスが顔をしかめる。
この反応はどうやら叩いても何も出なそうだな。そう考えつつも、
「いやなに、お前も年頃だし、恋愛だとか結婚だとか、そういうことに興味はないのかと思ってな」
せっかくだからと思い切って尋ねてみた。
するとアイリスは、「うーん」と宙空に視線を向けて何やら考え込む。
「正直私、同世代の男の子が子供にしか見えないんだよね」
「な、なるほど」
彼女に恋する貴族の坊ちゃん方には気の毒に思うが、そう聞いて少しだけほっとする自分がいるのを、俺は否定しきれなかった。しかし、「同世代の男は子供にしか見えない」か。女はいつの時代も、似たようなことを言うものだな。
「つまり、年上か?」
ごくりと唾を飲みながらさらにそう尋ねると、
「年上っていうか……」
アイリスは意味ありげにこちらを見た。
俺はどういうわけか、彼女と目を合わせ続けるのに耐えきれず、遂には食卓へ視線を落とした。
「すまん、変なことを聞いたな。立ち入り過ぎた」
妙な雰囲気になってしまったので、話を打ち切り、食事へ戻ることにする。
「それくらいなら全然良いよ……ていうか、それを言うなら」
ところがアイリスの方では、逆にこれを好機と捉えたらしい。
「パパはどうなの。再婚、考えないの?」
「……俺は、ウェンディ一筋だから」
「さっすがパパ。でも、私知ってるんだ」
「何を?」
嫌な予感を覚えていると、アイリスが意地悪げににやりと笑う。
「法律上は、結婚できるんでしょ? 私とパパも」
「……そういうつまらない冗談はよせ」
思わずガタリと椅子を引き、席を立っていた。
そんな俺を何を考えているのか分からない翠玉の瞳で見上げながら、アイリスは淀みなく口を動かす。
「つまらない? なんで? 別に私、冗談で言ってるつもりないけど」
「……冗談じゃないなら、一体何なんだ。親子が法律上は結婚できるとかどうとかって、わざわざ言う必要ないだろ」
「だから私とパパは、本当の親子じゃないんでしょ?」
「……お前はそういう風に思っていたんだな」
自分が彼女へ注いだ分だけの愛が、返ってくるものだと期待していたわけではない。
むしろ親の愛とは、そういうものだと思っていた。
だが、それでも今のアイリスの言葉は、少し心に刺さった。
俺と彼女の中途半端な関係を、目の前で改めて可視化されたようで。
無言で食べ終えた食器をかちゃかちゃと重ね、外の井戸へ向かおうとする。
すると、そんな俺の背中に。ほとんど叫ぶようにして、アイリスが声を掛けてきた。
「ごめん、違うの、パパ。そういう意味で言ったんじゃなくて、私、私ね……パパと本当の親子じゃないのが嬉しかったの。だってそれなら……パ、パパと結婚できるから!」
俺は思わず、足を止めた。
「……バカなことを言うな。いいか、お前は何か勘違いをしてるんだ」
「勘違いじゃないよ。自分のことは、自分が一番よく分かってる。それに私、ママとは血が繋がってるわけだし。やっぱり、親子で好みは似るんだよ」
やめろ、やめるんだ。
「……それ以上はもう、言わないでくれ」
「でもパパだって、嬉しいでしょ。だって、ママのことが好きだったなら、私はママに似てるし、ママより若いしちょうど良いんじゃ——」
「やめろ!」
気が付くと、俺は振り向いて怒鳴っていた。
アイリスの翠玉色の目に怯えの色が浮かんでいるのを初めて目にし、罪悪感で一気に頭が冷えていく。
「……怒鳴ってしまったのは悪かった。ただ、俺にもよく分からないんだ」
「……」
アイリスはグッと唇を噛んだまま、何も言わない。
「そんなことを急に言われても、本当によく分からないんだよ、アイリス。だから、せめてもう少しの間……俺の娘で、いてくれないか?」
残酷なお願いをしているのは分かってる。それでも、そう言わずにはいられなかった。
「……分かった。ごめんね、変なこと言って。私、パパを困らせたくなんてなかったのに、つい——」
「いいんだ、お前は悪くない」
俺はアイリスの謝罪を止めると、「皿を洗ってくる」と言い残して外へ出た。
……そうだ、彼女は何も悪くない。元々人の気持ちなんて、どうにもままならないものだ。
でも、それなら俺は。一体この状況に、どう対処すればいいというのだ?
自分の娘——たとえ血が繋がっていないとはいえ——とどうこうするだなんて、想像するだけでも妙な気持ちになるし、そもそもあいつは俺の娘である以前に、妻の娘だ。
仮にウェンディが今ここに現れたとして、そんなおかしな関係を許すとは到底思えない。
だいいち俺自身、あいつのことを異性として見るだなんてできないはず。
脳裏に、アイリスの姿が浮かぶ。真っ直ぐ下ろされた美しい金髪と、宝石のような瞳。
きめ細やかで雪のように白い肌に、衣服から伸びるしなやかですらっとした四肢。
——って、俺は何を考えているんだ。あいつは娘だ。それ以外の何者でもない。
首を横に振って邪な考えを追い払うと、俺は井戸へ向かった。