11 しゃきっとしろ、アラン
何も考えずに王都を出たはいいが、徒歩で追いかけるのはさすがに無謀だった。
現に今こうして俺は、体力の限界を感じながらなんとか前へ前へ足を踏み出している。
あの時は慌てすぎて頭が働かなかったが、今考えれば、馬くらい借りれば良かった。
これでアイリスのやつが北に向かっていたら、この努力も全ておじゃんになるな。まあ、さすがにないとは思うが。
途中、野盗の3人組に襲われるなんてこともあった。
相手は全員食い詰めた農民で、戦いに関してはずぶの素人だからなんとかなったが、体力と時間をかなり使ってしまった。
「今日はついてねえな。さっきのやつもめっぽう強かったし」
という連中の言葉はちょっとだけ気になったが。
しかし、こんな調子で本当に追いつけるのだろうか。
……いや、追いつけるか追いつけないかじゃない。絶対に、追い付くんだ。
たとえこの足が折れようとも、今日だけは追いつかなきゃいけない。動け、俺の足。
そういう風に、気力で俺は足を動かしてゆく。
かれこれもう何時間走っただろうか。そろそろ追いついてもおかしくないとは思うんだが……。
余計なことを考えたせいか、その時俺は、何かにつまずいて派手に転んだ。
右足首のあたりでグキッという嫌な音がしたので確認してみると、その部分が腫れているように見える。
「グッ!」
試しに軽く走ってみると、そのあまりの痛さに俺は思わず呻いてしまった。
これでは右足へ体重をかけないようにして、辛うじて歩けるレベル。
野盗との遭遇なんかより、大幅にスピードダウンしてしまう。
それでも俺は、右足を引きずりながら、前へと進み続けた。
もはやそれはアイリスに追いつけるかどうかというよりも、自分の中での意地の問題だった。
ここで進むのをやめたら、俺は自分が自分であることを誇れなくなる、そういう意地。
そうしてどれくらい歩いただろうか。
時間の感覚すら曖昧になってきた頃、背後から馬のいななき声と、蹄の音が近づいて来た。
少し遅れて、聞き覚えのあるハスキーな女の「おーい、アラーン!」という声が追いかけてくる。
立ち止まって、後ろを振り返る。そこにいたのは思った通り、馬に乗った女冒険者のシーラだった。
「お前、なんでここに……?」
彼女の顔を見上げながら、呆然とした俺が尋ねると、シーラはばつが悪そうに頭を搔く。
「いやなに、アラン、お前の家の鍵が開いていたから、不審に思って、ちょっと入らせてもらったんだよ。そしたら、アイリスちゃんの手紙が置いてあって……」
「……なるほど。シーラは見たんだな、あれを。だったら分かると思うが、俺には今やらなきゃいけないことがある。悪いが先に行かせてもらうぞ」
俺がそう言い残して進もうとすると、シーラが馬から降りるなりこちらに手を伸ばして
「ちょ、ちょっと待て! まだ話は終わってない!」
と引き止めてくる。
俺は自分の服のすそを掴む彼女の手を見つめた。
普段のがさつな振る舞いとは違い、彼女の手は意外にもほっそりとしていて、どこか頼りなく見えた。
「……なんでだよ」
大人しく立ち止まり、ため息をつきながら尋ねる。
するとシーラは、俺の身体をなめるように上から下まで眺め、足首のところで目を留めた。
その猫のような目を、徐々に細めてゆく。
「……立ち姿のバランスが、なんかおかしいな。お前、右足首でも捻ったか?」
「ッ!?」
シーラの洞察力に俺が驚くと、今度は彼女がため息をついた。
その吐息からは、仕方のないやつだな、という声すら聞こえたような気がした。
「そんな状態でよく言えたもんだ、『悪いが先に行かせてもらうぞ』だなんて。どう考えても私の馬の方が速いというのに、バカなのか? アランは」
「……」
悔しいことに、言い返すべき言葉が見つからない。全くもって、彼女の言う通りだったから。
シーラは黙りこくった俺に、馬の手綱を渡してきた。
「……?」
「……使えよ、この馬」
「え?」
いいのか、と彼女の目を見ると、「今アイリスちゃんの元に速く行くべきなのは、私じゃなくてアランだろ?」とシーラは仏頂面で言う。
「でも、そうするとお前は——」
「良いんだよ、私は。アランみたいに怪我したわけじゃないし、この辺の魔物や野盗なら私の相手じゃない。だからこの馬は、私じゃなくてアランが使うべきだ」
「……」
それでもなお俺が黙っていると、シーラは顔を歪めてこちらを睨みつけてきた。
「それとも何か? 今私が、アイリスちゃんのことなんて忘れて、二人で王都に戻って一緒に暮らそうとでも頼めば、お前はそうしてくれるのか? してくれないだろう?」
「…………」
「しゃきっとしろ、アラン。私が好きになったお前は、そんななよなよしてなかったはずだ」
「……すまない、シーラ」
俺はなんとか声を絞り出してそう言うと、シーラから手綱を受け取った。
彼女はそんな俺に、「いいっていいって。辛気臭いのはよせよ」と制してくる。
「そんな風に謝られたら、こっちはもっと辛いんだ。だから、さっさと行け。今お前がすべきなのは、私に許しを請うことじゃないだろう?」
シーラが笑みを浮かべながら言った。
でも、その笑みはどこか泣いているようで、俺は彼女のそんな顔を見ていると、なんだかたまらない気持ちになった。
これ以上、シーラにこんな顔をさせてはいけない。だから、俺は——
「……そう、だったな。済まない、じゃなくて、ありがとう、シーラ。恩に着る」
最後に感謝の言葉を残すと、足踏みを使って左足から馬へ乗った。
あえてシーラの方を振り返らずに、馬を走らせ、西へと向かう。
「その馬、借りものだからなァ。ちゃんと返すんだぞー」
背後から聞こえた声に片手を上げると、俺はさらに馬の速度を上げさせた。




