10 必ず追いつくからな
最初にアランと出会ったのは、私がまだ駆け出し冒険者をしていた頃だった。
その頃の彼は今より若く、今よりちょっとだけ野心があって、しかし他の若い同僚と違って、どこか飄々とした雰囲気のある不思議な冒険者だった。
ある日私はアランと臨時のパーティーを組んで、王都近郊の森で討伐依頼を受けることになった。
正直言って、当時の私は冒険者という仕事を舐めていた。
一応自己弁護をしておくと、腕っぷしには元々自信があったうえ、実際に単純な討伐依頼ではギルドの新人内でかなり戦果の良い方だったのだ。だから勘違いしてしまうのも仕方がなかった、とまで言うつもりはないが。
アランと組んで受けた森での討伐依頼も、まあなんとかなるだろう、くらいに私は思っていた。
あまり冴えないように見える彼の方が私の足を引っ張るんじゃないかと、だいぶ失礼な心配すらしていた。
ところが森は、私が思っているより遥かに危険な場所だった。
まず、魔物の探知が平原より遥かに難しい。
どこから敵が襲ってくるか分からないから、全方位を常に警戒し続けなければならない。
森に慣れていない冒険者は、まずこの段階で相当神経をすり減らす。
その上、現れる敵が総じて強い。考えてみれば当たり前の話だが、森は人の手が入らないから森のままなのだ。
人の手が入らないというのは、つまりそこに入れない原因があるわけで……。
要するに何が言いたいのかと言うと、私はこの依頼で、高くなっていた鼻をぽきりと折られたのだ。
冒険者になって初めて、挫折というやつを味わった。
そんな感じで、てんでダメだった私をフォローしてくれたのがアランだった。
彼は私より遥かに優れた探知能力で危険な場所とそうでない場所を見分け、全く気配を殺さずにずかずかと森の奥地へ向かう馬鹿な私をさりげなくフォローしてくれた。
私がそのことに気付いたのは、ジャイアントスパイダーという魔物に襲われかけた時だった。
背後からやつがこちらへ忍び寄り、糸を出して私を絡め取ろうとしたその瞬間。
アランがやつの気配に気付き、私の身体をぐっと自分の方へ引き寄せたのだ。
さっきまで私のいたところを蜘蛛の吐き出した糸がシュン、と通り過ぎてゆき、私はどっと冷や汗をかいた。
同時に私は、不覚にもドキッとしてしまった。ギャップにやられた、とでも言えば良いのだろうか。
普段は飄々としていて冴えないように見えるアランにも、男なだけあって咄嗟に私を引き寄せられるほどの腕っぷしがあるのだなと思うと、なぜだか胸の高鳴りが抑えられなくて、ジャイアントスパイダーどころではなくなってしまった。
結局その日の私は、アランの足を散々引っ張った。
彼は突然動きの鈍くなった私を訝しんではいたものの、特に追求してこなかった。
私はそれにほっとし、なぜかちょっとだけ残念にも思った。
それ以来、気付くとアランを目で追ってしまうことが増えてきた。
これを恋というのだろうな。自分でも、そう気付かないわけにはいかなかった。
しかし、私は失恋した。
アランは同じ冒険者のウェンディと結ばれ、私はそれを引きずってぐだぐだしているうちに、ウェンディはあの世へ旅立ち、彼はアイリスちゃんと二人暮らしになった。
アランは残された義理の娘のために酒を控えるようになり、他の冒険者たちの間では付き合いが悪くなったなどと言われるようにもなった。私はむしろ、そういうところが彼らしいと思ったが。
他人にどう思われようと、自分の正しいと思うことを堂々と行える、その真っ直ぐさが。
そんなアランと、最近になってようやく距離を縮めることができた。
ぐいぐい行き過ぎて嫌われてないか、と考えたりもしたが、彼の反応を見る限りでは、そこそこ好感を持ってもらえてるような気がする。
ただ、気になるのは、彼の義理の娘の存在。
アイリスちゃんはたぶん、アランのことを父親としてではなくて、異性として見ている。
ただの直感だが、彼女と出会った瞬間から私はそう感じた。
アイリスちゃんがアランと話すときの上目遣い、髪を触ったりするときの何気ない仕草、そのどれもが、私に良くない予感を与えていた。この子はまずい、と。
だから最近は、アラン本人より彼女が気になって、彼の家を覗くようになっていた。
私の意図に、アランはおそらく気付いていない。でも、アイリスちゃんは気付いている。
気付かれていると分かっていても、二人の家へ行くこと自体はやめられない。
行かない間に何か取り返しのつかないことが起こったらと思うと、恐かったから。
そんなわけで、今日も私はアランの家にやって来た。いつもより早く、まだ日が落ちていない時間帯に。
なぜかと言うと、今日は彼をギルドで見かけなかったからだ。
前日に渡したシチューがどうなったのか、気になったからというのも理由の一つだが。
ドアの前に立ち、ノックをする。ところが、扉の向こうで誰も応じる気配がない。
誰もいないのか、と思って試しにドアノブを捻ってみると、扉は難なく開いてしまう。
——アランの家って、いつも鍵かけてないのか? いや、まさかそんなはずないよな。
普通に考えれば、これは異常事態。ということは、中で何かまずいことが起きている可能性がある。
だから、私がこのドアを開けて家に入るのは仕方のないことだ。異常がないか、確認しなければならないから。
そうやって自分の行動を正当化しつつ、私はそーっと扉を開け、一歩ずつ中へ入った。
ギギギ、と錆びた蝶番の鳴らす音が微かに響き、その音にビビりながらも歩みを進めてゆく。
室内には、人の気配がなかった。私がここに来るときにはいつも二人がいたから、なんとなく寂しい感じがする。
この家そのものも、二人の不在を寂しがっているような気がした。
招かれざる客である私のことをどう思っているのかは、分からないけど。
居間には、食卓の上に紙が一枚置かれていた。いけないと思いつつ、私はそれを手に取る。
中には文字が書かれていた。たぶん、アイリスちゃんの文字。
…………。
……………………。
——私の、せいだ。
手紙を読み終えた後。私は呆然と、宙を見つめていた。
たとえば、昨日のシチュー。白状すると、あれは余りものなどではない。
わざと多めに作った(傍点)のを、余りものだと言ってアランに渡したのだ。
私のアイリスちゃんに対する、大人げない対抗意識から。
そういう私の態度が、彼女を追い詰めたのだ。だから、こんなことになった。
二人の幸せな営みを崩してしまったのは、私なのだ。
しばらくそんな風に自分を責めていると、ふと、アランは今どうしているのだろうか、というところへ考えがいく。
すぐに、アイリスちゃんを追っているに決まってるじゃないか、と答えが出た。
なら、私はどうする。このままここで手をこまねいているのか、それとも——。
決断に時間はかからなかった。すぐさまアランの家を飛び出すと、馬貸しに金を払って馬を借り、王都を出た。
王都からは北方へ向かう道と、西へ向かう道の大きく二手に分かれている。
アイリスちゃんならどちらへ行くだろうか。仮に北なら……いや、今の時期に北はないな。
北は帝国との慢性的な小競り合いのせいで、あまり良くない状況にあると聞いている。
……とすると、おそらく西か。西なら王国を抜ければ魔法大学もあるし、彼女にはうってつけだ。
北に比べれば、国家間の関係もそう悪くない。……よし、西へ向かおう。
私は馬に乗ると、西へ向かう道を一気に走らせた。
——必ず追いつくからな。アラン、アイリス。




