鬼畜将軍とくっころ騎士
「……っ! っ!」
薄暗い牢獄の中、縄で縛られ猿轡を噛まされた女騎士クラリスは、両腕を拘束する縄に力を込めた。
もう何度目になるか分からない抵抗。しかし、ガッチリと巻かれた縄は切れるどころか緩まる気配もない。
(くっ、やはりダメか)
無論、仮にこの縄が切れたところで、この牢獄を脱出できるはずもない。
だが、腕の戒めが解ければ猿轡を外せる。そうすれば、牢番に止められる前に舌を噛み切って自害することも不可能ではないだろう。
そうすることを本気で考えるほどに、今のクラリスは追い詰められていた。
(まさか、よりにもよって鬼畜将軍に捕まってしまうとは……っ!!)
クラリスがここまで切羽詰まっている理由。それは、彼女を捕らえた敵軍の指揮官にあった。
鬼畜将軍オーゲス。
その不名誉極まりない二つ名は、クラリスの母国で付けられたものではない。他ならぬ、オーゲス自身が所属する帝国軍内で付けられ、広まったものだ。
味方にすらそんな二つ名で呼ばれるその理由……それは、高潔な女騎士であるクラリスからすると、壮絶な嫌悪感と殺意を同時に催すものだった。
(女の捕虜を辱めるのが趣味とはな……! 外道め! 鬼畜と言うのも生ぬるい!!)
はらわたが煮えくり返るような思いに息を荒げるクラリスの耳に、複数人の足音が近付いてくるのが聞こえた。
視線を鉄格子の方に向けると、牢番の敬礼に応えながら、3人の男達が現れた。
その先頭に立つ若い男の階級飾を見て、それが将軍職を示すものであることに気付き、クラリスは瞠目した。
この砦にいる将軍職の人間は、鬼畜将軍だけのはず。となれば、目の前の若い男がそれということになるが……てっきり見るからに好色そうな中年男が来ると思っていたクラリスは、どこか朴訥とした青年が現れたことに呆然とした。
しかし同時に、その男の背後に控える2人の内の1人が、治癒術師であることを示す白衣を着ていることに気付き、猿轡を噛みしめた。
捕虜を捕らえた牢獄に、治癒術師が来る理由。そんなもの、怪我の治療か自害の妨害しかない。
そして、この場合は確実に後者だろう。普通なら尋問の際の怪我を治療するためとも考えられるが、相手は悪名高い鬼畜将軍。女性を相手にマトモな尋問をするとは思えなかった。
(くっ、自らの尊厳を守り、自害することすら許されないというのか……!!)
せめてもの抵抗で、射殺さんばかりの視線で目の前の男を睨むクラリス。その視線を涼しい顔で受け流しながら、青年は名乗りを上げた。
「はじめまして、俺はオーゲス。この砦の責任者だ……っと、そのままじゃ話せないか」
オーゲスの視線を受け、牢番がクラリスの口元の布を外しにかかる。そして、猿轡を外されると、クラリスは即座に吐き捨てた。
「くっ、殺せ! 薄汚い帝国のクズ共に辱められるくらいなら、私は死を選ぶ!!」
クラリスの叫びに、オーゲスは大きく目を見開き……そして、すぐさま叫び返した。
「いい度胸だ! 首を前に差し出せぃ!!」
「……ぇ?」
てっきり「くっくっく、お前に死を選ぶ権利などない。お前を生かすも殺すも、俺の自由だ」とでも言われると思っていたクラリスは、予想外の返答に唖然とする。
しかし、オーゲスがその腰の剣を音高く抜き放ったところで、これは本気だと感じて慌てて制止した。
「ま、待て! 少し待ってほしい!」
「なんだ? 最期の言葉くらい聞いてやるぞ?」
「違う! そうじゃない! その、貴さ……貴殿、は、本当にオーゲス殿で間違いないのか? あの“鬼畜将軍”として有名な?」
「ああ、そんな風にも呼ばれているな」
人違いでないと分かり、クラリスは混乱した。そして、乱れた精神のままおかしなことを口走る。
「その……私は美人だ。いや、王国でも美人女騎士として有名だった。そうは思わないか?」
「ふむ、そうだな。帝国人である俺から見ても、お前は美人だと思うぞ? 安心しろ! その美しい顔を苦痛でゆがめるような無粋はしない! 一撃で首を刎ね飛ばしてやろう!!」
「待って! お願いだから待ってください!!」
無意識のうちに敬語を使いながら、クラリスはなぜか妙に乗り気なオーゲスを制止する。
「そ、その……辱めない、のですか?」
「辱める……? 女性としての尊厳を奪うということか? そんなことするはずないだろう」
「は……?」
心底怪訝そうな顔でそう返され、クラリスは思わずポカンと口を開いた。
それに対し、オーゲスはひょいと肩を竦める。
「そもそも、捕虜は人道的に扱うよう帝国法で定められている。そんなことをすれば、俺が処分を受けるさ」
当然のように語るオーゲスの姿に、「では鬼畜将軍とは……?」と頭の片隅で思いつつ、クラリスは慌ててその言葉に飛びついた。
「で、では! 私をここで殺せば、貴殿も処分を受けるのではないか!?」
「ふむ……そうなるだろうな」
「なら──」
視線を巡らせ、真面目な表情で頷くオーゲス。その姿に一縷の希望を見出したクラリスだが、それも一瞬のことだった。
「だが、安心しろ」
「え?」
「お前の『捕まって生き恥を晒すくらいならば死を選ぶ』というその心意気に、俺は感動したのだ!! 俺も武人の端くれ。その覚悟に応えようじゃないか!!」
「待って! 待ってくださいお願いします!!」
キラキラとした目で剣を構えなおすオーゲスを前に、安心と恐怖が同時に襲ってきたクラリスは身も世もなく泣きじゃくってしまった。
「死にたくなぁい! 死にたくないよぉ! うわ~ん!!」
騎士としての尊厳をかなぐり捨てて泣きわめくクラリスに、オーゲスは困ったように眉を下げると……渋々といった様子で剣を納めた。
そして、しばらくしてようやく泣き止んだクラリスに「今日はもう休め」と告げると、本当に何もすることなく牢を出て行った。
その紳士的な対応に、クラリスは全て誤解だったのだと理解し、その背に向かってそっと頭を下げるのだった。
* * * * * * *
牢を出て執務室に向かうオーゲスに、副官が苦言を呈した。
「将軍……捕虜を必要以上に脅さないでくれます?」
「なんだよ。あれで従順になるんだから別にいいだろ?」
「それはそうですけど……正直、いろいろと見ていられないです」
複雑な表情を浮かべる副官に対して、オーゲスは実に生き生きとした笑みを浮かべる。
「なんでだよ。美人の泣き顔とか、最高じゃないか!」
「……そんなんだから、“鬼畜将軍”って呼ばれるんですよ」
鬼畜将軍オーゲス。各地で目覚ましい戦果を挙げ、一気に出世街道を駆け上がった帝国の英雄。そして……
「いやぁそれにしてもさっきの人、ホントにイイ顔してたなぁ。キリッとした美人が子供みたいに泣きわめく姿って、すごいグッとくるよね」
……女性を精神的に追い詰めてその泣き顔を見るのが大好きという、帝国軍随一の鬼畜である。