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待ち合わせの居酒屋に松田くんがきたのは、約束した時間の少し前だった。私はその店の座敷席で、正座をして彼を待っていた。

待ち合わせでも、いつも先に飲んでいる私が、神妙な顔をして待っていたことに、松田くんは驚いた顔をした。そして、私の顔を見てまた驚いた。


なぜなら、私はいつものフルメイクではなくて、学生の時みたいなナチュラルメイクしかしていなかったからだ。松田くんは、焦ったように声をかけてくる。

「渡辺、どうした?その格好」

「ごめん、急に呼び出して」

謝った後で、顔をあげて松田くんと目があった。

そう言えばこの間好きだと言われて気まずく別れたきりだったと思い出して、急に恥ずかしくなる。


慌てて視線を逸らす。松田くんも気まずそうに目を逸らせて、戸惑いながらも席について、店員さんにビールを二人分頼んだ。

「いつもみたいに先に飲んでて良かったのに」

そう言って上着を脱いだ。そのタイミングで、ちょうど頼んでいたビールが来た。

「じゃあ、お疲れ」

ジョッキを持って乾杯の合図をする松田くんに、私は頭を下げた。


「その前に、大事な話をしていい」

それを聞いて、ほんの少し松田くんは固まって、だけどすぐにいつもの顔に戻る。

「この間は、ごめん。俺もちょっと頭にきてたから言いすぎた」

そして笑った。

「だから、気にするな。忘れろ」

傷ついたような、だけど、やっぱり私を気遣ったような笑顔だった。


その言葉に、私は思わず手のひらで机を叩いた。

混んでいるお店のざわめきの中でも、その音はよく響いた。

通りすがりの人が驚いてこっちを見る程度に。


「嫌。忘れない。絶対忘れない」


私の言葉に今度は松田くんがこれ以上ないくらい、嫌そうな顔をした。

「はあ?なんだよ、一体」

その怒ったような、困ったような顔に、少し怖気付いたけれど、私はまっすぐ松田くんを見た。


「私も、多分、松田くんが好きだ」


少しだけ松田くんの顔が強張って、だけどその後に苦い顔になる。

「多分、ってなんだよ」

「そりゃあ、命がけの恋とか、好きすぎて死ぬとかそんなではないけど」

「じゃあなんなんだよ」

私に曖昧な返事に、松田くんは顔を背けた。


「でも、松田くんが私以外の人とこうやってご飯食べたり、飲みに行ったりするのは、絶対にイヤだ。私じゃない誰かを優先したら、すごくイヤだ」

私はもう一度首を振る。

「美味しいものを食べるなら、松田くんと食べたいし、何かいいことがあったら、松田くんに一番に話したい。楽しい時も嬉しい時も松田くんと一緒にいたい。だから、同じように松田くんにも思って欲しい」

私はそう言って松田くんを見た。松田くんは私へ顔を向けた。

その目をしっかり見て、口を開いた。

「そういうの、多分、好きってことだと思う」


今日ずっと考えていた。

私はどうしても、彼女に松田くんの連絡先を教えられなかった。その理由がすぐにはわからなかった。

しばらくして、私は自分以外の誰かと松田くんが一緒にいるのがイヤで、松田くんが誰か他の人を想うのが見たくないのだと、ようやく気がついた。

同時に、楽しい時や嬉しい出来事を、松田くんと分け合いたいと、本当に今更だけど実感した。


私は松田くんを好きなんだ。

そう思ったら、何だか急にすべてが綺麗におさまった。


「私はこれからもこうして松田くんと一緒にいたい。松田くんにも、私がいいって、思って欲しい。こういう気持ちも、好き、でいいよね?」


松田くんは黙って、私を見ていた。私は少し俯いて、もう一度口を開いた。


「これからも、松田くんの一番近くにいたい」


かなりわがままで一方的な告白だ。

言った後で私は俯いたまま、松田くんが何か話すのを待っていた。少しして、松田くんの声が聞こえた。


「なんだよ、それ」

顔を上げると、松田くんは苦笑いしていた。だけどその顔は真っ赤だった。私と目があって、そしてまた笑う。

「それってつまり、俺のこと結構好きってことだよな」

私は笑って言い返した。

「結構じゃない。かなり好き」


一度言葉にしたら、何だか恥ずかしいとかそういうのはどこかに行ってしまった。だから私は胸を張って、もう一度言った。

「本当に、ちゃんと、好き」


松田くんは笑った。

それを見たら、彼の返事なんて聞かなくても、言われなくてもわかった。

それが分かるくらい、私たちは長い時間を一緒に過ごしてきたのだ。


だから私たちは顔を見合わせて笑い合って、今度こそ乾杯した。

「あのさ、一つだけ文句言っていい?」

「なに?」

松田くんはビールを飲んで、少しだけ眉を寄せた。

「別にいいけど、こんな大事な話をこの店でするってどうなの?」

ここは大衆居酒屋のチェーン店の一つだ。安いうまいを売りにしているから、いつもどのお店も混んでいて、騒がしい。確かにこんなところで告白するなんて、ちょっとダメかもしれない。だけど私は首をふった。

「ここでいいんだって」


大学生の私たちが初めて二人でご飯を食べに行って、そのまま飲みに行った時に行ったのは、この居酒屋の店の一つだった。

ロマンのかけらも無いお店だけど、私たちの始まりの場所だったから、またここではじめたかった。

だけど、多分、この人もその理由はきっと分かっている。

その証拠に文句を言った後で

「この店、学生の頃によく行ったな」

そう、懐かしそうな顔をした。


だけど、また松田くんは腑に落ちないような顔をする。

「それに、化粧、どうしたの?」

「それもね、この間松田くんにも言われたし、もういいやって」

「ふーん」

もう一つ、思い出したことがあった。

大学を卒業するほんの少し前、たまたま、ゼミのみんなで集まっていた時だった。

私と松田くんは隣の席だったけど、お互い別の人と話していた。ふと聞こえてきた会話で、松田くんは隣の人と好きな女性芸能人の話をしているのが分かった。


その時、松田くんがあげたのが、『彼女にしたいナンバーワン』の女優だった。

その可愛い女優の名前を聞いた時、なぜだか私は自分もあんな風にならないといけないと思ってしまった。


だから、彼女に近づけるようメイクしたり、彼女が着ていそうな洋服を選んだ。

最近だって、似合わないって分かっていて、彼女の宣伝する流行りの口紅を買った。

同じものを使ったら、彼女みたいになれると思っていたのだ。

どうしてそんなことをしたのか、その時はわからなかった。


だけど、今にして思えば、多分、あの時にはすでに、私は松田くんが好きだったんだ。

とても静かに、とても自然に、彼に恋をしていたのだ。


「もう、いいの」

私はそう言って松田くんに笑いかけた。

「よくわかんないな」

松田くんはそう言って笑った。

「わからなくていい」

気がつくのが遅すぎだって怒られそうだから、この話は当分秘密にしておこう。


***


彼の勤める神崎という会社はとても大きい。

私は少し緊張しながらそのビルの中へ入って、ぐるりと周りを見渡して、ロビーの隅に置いてあるソファに座った。


今日は仕事終わりに松田くんと食事に行く約束だった。彼の会社の近くのお店で待ち合わせだったけれど、思ったより仕事が早く終わったので、先にお店に行くにも早すぎる。だから足を伸ばして、彼の会社まで迎えにきた。

メッセージでそれを伝えると、終わるまでもう少し時間がかかることと、会社の1階で待っていてと返事がきた。


時計を見て、少し待っても終わらないなら、先にお店に行こうと決めた。ちょうど仕事が終わる頃なのか、会社を出てくる人がたくさんいる。座ってぼんやりとそれを見ていると、颯爽と出てきた人に目が止まった。

「あの人」


歩いていたのは、以前も見かけた、リアル王子様だった。

その姿は相変わらずとても格好良くて、周囲の視線を集めている。思わずその姿をぼんやりと見つめてしまった。

だけど、その人は歩きながらこっちを見て、私のところで視線を止めた。え?と思っているとその人は真っ直ぐに私のところに歩いてきた。

「嘘でしょう?」

思わず独り言が出た。


だけど、まさにその人は私の目の前でピタリと足を止めた。思わず私も立ち上がる。

間近で見たその人は、遠くから見るよりもずっと格好良くて、何だかキラキラしたオーラがあった。

この人がなぜ私に?と思っていると、その人は私に向かって笑いかけた。


「渡辺さんだよね?」

「はい」

なぜ私の名前を知っているのか?頭の中は混乱していた。だけどその人はニッコリと笑った。

「突然声をかけてすみません。いつも松田から写真を見せられてるから、すぐに分かったよ」


それを聞いて何だか猛烈に恥ずかしくなる。仕事中に何をしているんだ、あの人。

だけどその人は、だからつい声をかけてしまいました、と笑顔のまま続けた。

「松田、ちょっと急なトラブルでまだ終わらないけど、多分、すぐに終わらせてくるから、もう少し待っていてくれますか?」

「はい」

私が返事すると、その人は、あっと気がついたように

「今更だけど、神崎といいます。松田とは同期です」

そう言って、教科書にでそうなくらい、お手本みたいな綺麗なお辞儀をした。


つられて私もお辞儀をして自己紹介する。

顔を上げると、彼は私に向かって微笑んだ。

「松田、いいやつだから、よろしくね」


私は少し考えて、それから目の前の王子様に向き直った。

「あの、あの人はちょっとお人好しで、それから実は結構不器用で」

突然話し出した私に、目の前の王子は少し驚いた顔をした。だけど私はそれに構わず続けた。

「だけど、すごくいい人です。本当にいい人なんです」

そして私は頭を下げた。

「だから、彼のこと、よろしくお願いします」


じっくり頭を下げてから顔を上げると、目のあった王子が口を開いた。

「君、松田のこと好きなんだね」

私は大きく頷いた。

「大好きです」


私の返事を聞いて、王子は驚くほど綺麗な顔で笑った。

昔の私なら絶対に一目惚れしただろう、キラキラした王子スマイルだった。

でも私の好みど真ん中のその笑顔を、私はとても静かな気持ちで見つめることができた。


その時、遠くから私を呼ぶ声がした。声のした方を見ると松田くんが焦ったように走って向かってきた。私の横にきた松田くんに王子が声をかける。

「松田、お疲れ」

「神崎さん、すみません。何かありました?」

王子はその問いに少し目を見開いて、それから楽しそうに私を見た。

「いや、松田のいい話を聞かせてもらった」

「え?何?」

そう言って焦ったように私を見る松田くんに、私は笑って返事する。

「大した話じゃないよ」

「え?気になるんだけど」

「気にしないで」

そんな私たちのやり取りを聞いていた王子は、じゃあ、と片手をあげてその場を離れる。その背中に松田くんはお疲れ様でした、と声をかける。


振り返ると松田くんはまだ、腑に落ちない顔をしていた。

「なんであの人と話してたの?」

「松田くんがみんなに私の写真を勝手に見せるから、私の顔を覚えていたんだって」

そういうと松田くんは気まずそうな顔をして、言いにくそうに続ける。


「前、あの人に会いたいって言ってただろ」

言われてようやく思い出す。

確かにあの人に会いたいと言ったこともあった。

あんな人に憧れたこともあった。だから会わせてほしいと頼んだ。


今のわたしはそれをとても懐かしく思い出す。

だけど、今はもうそんなことを思わない。その理由は、もうよく分かっている。


私は隣を見た。

隣の人は、心配そうに私を見ていた。だから私は笑って、松田くんの手をとった。

「話してみたら、意外と普通だった。私は松田くんと話す方がいい」

「は?あの人、未来の社長だぞ」

「そういうの、別にいいや」

そして私は松田くんの手を引いて歩きだす。

「私は松田くんが、いい」


私は主人公ではない。

だから私の運命の人は、きっと物語の王子様ではない。


だけど、それでいい。

私は、この人がいい。


小説に出てくるような大恋愛でも、運命を感じるような恋でもない。

だけど、私はこの人が好きで、この人がいい。

どんな恋よりも、この人とする恋がいい。


<完>


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