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松田くんがやってきたのは、私が1杯目のビールを飲み始めた時だった。
彼の会社の近くの焼き鳥屋で、彼は急いできたのが一目でわかった。金曜日の夜だというのにまだまだ仕事だったらしい。
さすが大企業で働く人は違う。
「お疲れ、どうした?」
「なんか疲れた」
「どうせ合コンだろ」
松田くんはテーブルの反対側に座ると、店員からおしぼりを受け取って、ビールを頼んだ。私が何も頼んでいないことを確認して、適当に食事も頼んでくれる。
松田くんは私の好みをよく分かっているから、私の嫌いな食べ物なんて絶対に頼まない。絶対に私の好きなものを頼んでくれる。
それが分かっているから、任せきりにできる。
長い付き合いの安心感。
「合コン、ダメだった?」
苦笑いして松田くんが聞いてくる。その視線を受け止められなくて、私は顔を逸らせた。
「うまく行ってたら、こんなとこ来てない」
こんなとこってなんだよ、と松田くんはまた苦笑いした。私はビールを飲むと、ちょうど来た枝豆を食べる。そのすぐ後に焼き鳥の串が何本か出てきた。
松田くんは私の顔を見て少し顔をしかめる。
「ちょっとメイク、派手すぎない?合コン仕様?」
そう指摘されて、私は気まずくなる。この間買った大きいラメのアイシャドウのせいか、または気合を入れてしっかり引いたアイラインのせいかもしれない。ため息が出た。
「そんなに化粧しなくていいと思うけど、俺は」
「松田君にそんなこと言われたくない」
我ながら可愛くないことを言っている自信はある。だけど、つい、言ってしまう。だけど松田君は気にした風もなく、お酒を飲んだ。そのあとで独り言みたいにつぶやく。
「まあ、いいけど」
「松田君、合コンつくって」
はああ?といやそうな顔をした。
「俺、結構やりつくした気がするけど、まだやんの?」
そういわれて、私はむすっと言い返した。
「だっていい人いないんだもん」
そういったら、松田君は少しだけビールを持つ手を止めて私を見た。何か言うかと思ったけど、何も言わないから、私はそのまま無理難題をぶつけた。
「あの、同期で一番格好いいひと連れてきて。お願い」
一度、松田君の会社の近くで待ち合わせした時に、ものすごく格好いい人がいたのを覚えている。
格好いいとはちがう。
もちろん顔はいい。背も高くてスタイルもいい。神崎で勤めるくらいだからきっといい大学を出ているはだろう。
でも顔やスタイルだけなら、あの人よりもきれいな人はいる。
だけどあの人にはものすごいオーラがあった。あれは、あの人にしかない。
あんな雰囲気を持つ人はみたことないし、これからだって出会う事はないかもしれない。
その証拠に、ただ歩いているだけで、その人は目立っていた。みんなが彼を見ていた。
誰が見たって、あの人は
「リアル王子様だ」
思わずそんなことを思ってしまった。
そのあとあった松田君に、開口一番『あの人紹介して』といったのを覚えている。
もちろん、瞬時に断られた。
「あの人は、ちょっといろいろあるから」
色々って何よ、と思ったのを覚えている。
それからかなり月日が経ったから、今更私がそんなことを言ったことに、松田君は驚いたみたいだった。
「ねえ、あの人紹介して。おねがい」
はあ?と松田君はあからさまに嫌な顔をした。少し怒ったような顔でビールを飲み干すと、お代わりを頼んだ。
「あの人は無理」
「なんで?どうして?」
「どうしても」
「なんで?」
私は松田君に向き直る。松田君は珍しく口を堅く引き結んで黙ってビールを飲んだ。
「あの人は、渡辺が相手できるような人じゃないよ。なんていうか、違う世界の人だと思った方がいい」
「なにそれ、大体同期なのに、なんで敬語なわけ?」
「同期だけど、最終的に同期じゃないから」
「意味わかんない」
私は残ったビールを勢いよく飲んだ。
違う世界って?
私は見た目も中身も普通の冴えない人間だからってこと?
物語の主人公と、脇役の一人は、違うってこと?
そう考えたら猛烈に腹が立ってきた。
「大体、渡辺、お前最近ちょっとやりすぎ。もっと普通でいいって」
「どういうこと?」
松田君は少しだけ言葉を濁す。そして、言いにくそうに全部、と答えた。
「全部?」
私は思わず持っていたジョッキを大きな音を立てて置いた。
松田くんは苦い顔をして頷く。
「なんか、全部やりすぎだよ。化粧とか着てるものとか」
「似合ってないってこと?」
「そういうんじゃなくて」
言い淀んだ後で、思い切って口を開いた。
「学生の時みたいな感じでいいと思うよ。今みたいにそんな頑張らなくていい。自然でいいって、渡辺にはそれが一番似合う」
「なにそれ」
「だから、自然でいいって」
それを聞いて私は思わず言葉を失った。
学生の時の私ははっきり言っておしゃれとは程遠い感じだった。
もともと可愛くなんかないのに、おしゃれしていない私は、本当にただの女の子だった。
働いて外に出て、自分がどれだけ地味だったか分かった。
だから、洋服とかアクセサリーとかメイクとかネイルとか。たくさん、勉強した。頑張った。
だけど最近は少しお化粧が濃いかもしれない。ネイルが派手すぎるかもしれない。洋服も、自分に似合うことよりも、人から好感を持たれるものを目指しすぎているかもしれない。
全てがちょっと過剰かもしれない。
それはなんとなく、自分でも感じていた。
だけど、自分で思うのと人に言われるのは、全然違う。
「合コンだって、こんなにやる必要ないだろう?」
「松田君には分からないんだから、そんなこと言わないで」
言った後で私はうつむいた。
言い過ぎなのは分かったけれど、そうしないとなんだか泣きそうだった。
合コンがうまくいかなかったことが原因なのか
やりすぎと言われたことが原因なのか
松田君と口論したことが原因なのか
もうわからない。だけど、どうしようもない。
グラスの底に、泡が消えたぬるいビールがたまっている。
私はそれをどうしたらいいのかわからないまま、ただ見つめていた。
私は焼き鳥が好きで、そしてこのお店は焼き鳥が美味しくて有名なお店だった。松田君はそれを全部わかって、このお店を指定してくれている。
何も言っていないのに、私の大好きな焼き鳥のお店を選んでくれて、忙しいのに、まだ仕事していたのに電話してお店を予約してくれて、たぶん、やっていた仕事も早く終わらせて、来てくれたんだと思う。
私のわがままに付き合うために。
それは全部松田君のやさしさだ。
彼が途方もなく優しくて、私の願いを絶対に全部かなえてくれることを知っていて、私は彼の前でたくさんのわがままをいう。
断られないと知っていると、人間は際限なくわがままをいう。
それなのに、言われたことに反論して怒るなんて、おかしいのは私だ。
全部、悪いのは私だ。
それも全部わかっているのに、私はどうしていいかわからなかった。
次は1月31日の昼12時に更新します。