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前編 許婚とその弟


 十八歳の誕生日を迎えたデイジー・フローランは幸せの最中(さなか)にいた。


 半年後には幼い頃から婚約を交わしていた許婚(いいなずけ)のセイル・モリアートと結婚して夫婦になる。セイルとその家族とは頻繁に交流があり、もはや兄弟同然のような関係性でもあった。しかし、優しくておおらかな性格のセイルの事を、一人の男性として間違いなく恋心を抱き、愛していた。セイルと結婚する日を心待ちにしながら過ごす日々だった。




「今日もセイルは留守?」


 セイルの実家、モリアート家を一週間ぶりに訪れたデイジーは、自分を招き入れてくれた許婚の妹ミシュに尋ねると、ミシュは大げさに溜息を吐き出して肩を竦めた。


「そうなの。セイル兄さんと、ついでにシオン兄さんと父さんも。今は丸々に肥えた大鳥が捕れる時期だからって狩猟にばっかり熱心で、もう十日も帰って来てないの! デイジー姉さんが優しくて自由にさせてくれるからって、甘えすぎだよねぇ。愛想つかされても知らないよって脅したりもしたけど、全然響かないみたい」

「良いのよ、ミシュ。大鳥はこの時期の村の皆のご馳走だから。あと、これ。試作のパンなんだけど沢山焼いたの。また皆の感想を聞かせてくれる?」

「わぁ! こんなに良いの? いつもありがとう!」


 ミシュが紅茶を淹れると、デイジーもパンの他に持ってきていた焼き菓子を皿の上に並べてテーブルにセットする。ミシュの母親であるモリアート夫人もちょうど外出から帰って来て、三人のお喋りに花が咲いた。



 ローカナン国にあるアルケ村という小さな村は狩猟を生業として暮らす人々が多い村だ。


 デイジーはアルケ村にある唯一のパン屋の娘として生まれた。

 両親と兄、デイジーの四人家族は昔からとても仲が良かった。二年前に五つ年上の兄が結婚し、さらに男の子と女の子に一人ずつ恵まれて、今では七人家族になっている。ざっくばらんな性格で明るい義姉と可愛い盛りの甥と姪の存在は大きく、もともと明るい家族ではあったものの益々賑やかで明るい家族として村では有名だった。


 デイジーの婚約は、デイジーが八歳、セイルが十歳の時に父親同士の約束で決まった。


 子どもが幼い時に父親同士で結婚の約束をする事は田舎村ではまったく珍しい事ではない。

 王都など人が溢れる都心部では事情が違う。

 しかしアルケ村のような人口の少ない小さな村々は、親同士で子ども達についての情報交換を定期的に行い、結婚の約束をする事が昔から当たり前だった。年齢のつり合いがとれて血縁者の繋がりが無いかという問題がなく、同意を得られれば婚約は決定する。むしろ子どもが幼い頃から親が動かなければ結婚が困難と言われる程に子どもの存在が少なく貴重なのだ。

 デイジーとセイルも、本人達の知らぬ間に婚約が結ばれ許婚となった。

 この国では男女共に十八歳が成人として認められる。

 デイジーが十八歳の成人を迎えて半年後に結婚する事は昔から決まっていた。


「今の我が家の問題はシオン兄さんだよねぇ」


 大きなマフィンにフォークを刺しながらミシュが言うと、カップに口をつけようとしていたモリアート夫人は眉を下げて大きな溜息をついた。


「そうねぇ。もう十七歳になったのにまだ婚約者が決まっていないなんて。それどころかもう二回も破談になってるでしょう? その事実だけで印象も悪いし」

「シオン兄さんは運に見放されてるよね。一生独身の可能性濃厚かな」

「ミシュ! あぁもう、怖い事言わないで! ねぇデイジー、シオンと結婚しても良いっていう心の広い女の子がいたら是非紹介してね」

「えぇっ? うーん……難しいですね。友達も知り合いも、みんな婚約者がいるんです」

「そうよねぇ……」


 切実そうにモリアート夫人に頼まれたデイジーは言葉を詰まらせて苦笑する事しか出来なかった。


 二十歳のセイルはデイジーと、十五歳のミシュは隣村に住む農家を営む青年の婚約者がいるが、十七歳になったばかりの次男シオンは未だ婚約者が決まっていない。

 しかしずっと婚約者がいなかった訳では無い。

 シオンが十一歳、そして十四歳の時。婚約がまとまり、しかし三ヶ月も経たずして女性側から破談されてしまう不運が続いた。理由は同じで、シオン以上に条件の良い男性とのご縁があったからというモノだ。婚約はあくまでも父親同士の口約束。条件さえあえばあっさりと婚約はまとまるが、より良い条件の縁談が舞い込むと、破談も簡単に成立してしまうのも常だった。


 モリアート家の男達はアルケ村では一般的な職業である狩人として暮らしている。狩人といっても使用する道具は家々によって様々で、モリアート家の男達は代々弓使いの狩人として生計を立てていた。

 狩人はアルケ村ではごくごく一般的な職業であり、近隣の村民からも好意的に見られている。シオン自身の条件はまったく悪くはない。ミシュの言うとおり、ただただツイていなかった、不運だったとしか言いようがなかった。


「でも、シオン兄さんも反省すべきだよね。昔から絶望的に愛想ないし。第一印象も良く無かったよねぇ、きっと」


 ミシュが頬杖をついて呆れた様子で言うと、モリアート夫人が頭を抱えて「それもそうなのよねぇ……」と言葉を漏らしている。


 喜怒哀楽が分かりやすく社交性のあるセイルとミシュとは違い、シオンは必要最低限しか喋らない。笑顔も滅多に見せず、何を考えているか分からないような冷めた無表情が平常の顔になってしまっている。顔立ちが父親に似て整っているからこそ余計に冷たく見えるのだ。

 しかしデイジーは知っている。

 シオンはとても分かりづらいけれど、セイルやミシュ同様に、とても優しい青年であることを。


 そんな話をしていた時、ノックも無く玄関の鍵が回る音が響く。

 無言のまま家の中へ入って来た青年は今まさに会話の話題の中心人物だった人だ。


「あれ、シオン兄さん? お帰りー久しぶりー」

「一人なの? セイルと父さんは?」


 弓と矢筒を背負って右肩に大きな麻袋をかけているシオンは、矢継ぎ早にミシュとモリアート夫人に尋ねられると、二人の姿を見る事無く荷物を下ろしながら答えた。


「村長に呼び出されて寄合所に行った。帰りは遅くなるって」

「村長に? 何かあったのかしら」


 ミシュとモリアート夫人は顔を見合わせている。

 やっと顔を上げたシオンと目が合って、デイジーが「久しぶり」と言うと、シオンはほんの少しだけ眉をひそめた。


「デイジー? もう外暗いけど」

「え? ……えぇっ、嘘!」


 立ち上がったデイジーが慌てて窓の外を見ると、シオンの言うとおり外は真っ暗だった。会話に夢中になりすぎて全く気付かなかった。季節も既に秋になり、陽が沈むのもとても早くなっている。ついついまだ夏の感覚で過ごしてしまっていた。

 デイジーが慌てて帰り支度を始めると、ミシュとモリアート夫人も外がすっかり暗くなっている事に今更気付き、慌ててテーブルを片付けたり、デイジーに持たせるお土産を用意し始めた。


「ごめんねデイジー、もうこんなに暗くなってるなんて!」

「大丈夫よ、おばさん。私も全然気付かなかった。片付け手伝えなくてごめんなさい」

「片付けなんて良いから! パンありがとうね。これはお土産の干し肉。家族皆で食べてね。で、これも」

「ありがとう。もうこの手持ちランプを使う季節なのね」


 都市とは違い、田舎村は陽が落ちると外は真っ暗だ。小さな燭台がセットされた手持ちランプの灯りは外歩きに必需品になる。


「送るよ」

「え?」


 デイジーが両手にそれぞれ持っていた干し肉の入った籠と手持ちランプが、いつの間にかシオンの手に移動していた。さっさと歩き出してしまうシオンの背中をぽかんと見つめていたが、慌ただしくミシュとモリアート夫人に挨拶を済ませてシオンを追いかけた。


「シオン! 近いんだし送って貰わなくて平気よ。狩猟終わりで疲れてるでしょう? 今日ね、試作のパンを沢山渡したから。いっぱい食べてね。シオンの好きそうなパンも詰めておいたから」

「……」

「もう! 無視しないの!」

「いてっ」


 デイジーが思い切りシオンの耳を引っ張って、やっとシオンが口を開いた。と、言っても小声の悲鳴だが。デイジーが籠と手持ちランプを取ろうとしたが、シオンにがっちりと手首を掴まれてしまう。


「もう暗いし、危ないだろう」

「心配しすぎよ。本当に大丈夫だから」

「……」

「ちょっと、シオン!」


 いつもそうだ。

 言いたいことだけ言うと、あとは無視。いつもいつも。けれど全ての行動は思いやりがあるから、無視されてもその事をキツく注意する事も出来ない。結局デイジーは諦めて、徒歩十五分しかない暗い帰り道をシオンと共に帰る事にした。


 シオンは本当に無口だ。

 返事はするが、自分から話題を振ることは必要事以外に滅多にない。だから、基本はデイジーが一方的に話す事になる。話題が無くなれば無言の時間となる。デイジーはシオンの人となりを熟知しているため、一方的に話す事も無言の時間もどちらも抵抗が無いのだが、シオンの事をまったく知らない人からしたら付き合いづらく思われても仕方ないのだろう。

 十五分の道のりはあっという間だった。


「送ってくれてありがとう。セイルとおじさんにもよろしくね」

「……うん」


 あれ?

 デイジーは瞳を瞬かせた。珍しかったのだ。シオンが返事を詰まらせて、目を伏せるような仕草を見せた事が。何かとても気まずそうな、そんな様子で。


「シオン? どうかしたの?」

「別に何も。早く家に入って」

「でも、」

「早く。俺もさっさと帰りたい」

「えっ、あ、そうよね。おやすみ」


 ちゃんと家に入るのを見届けてから帰るシオンは、やっぱり優しい。

 これにほんの少しでも愛想の良さがあったらやっぱり破談にはならなかったんじゃ、とデイジーは思ってしまう。玄関の小窓から外を覗き見ると、シオンは手持ちランプを片手に帰りだしていた。


 この日の翌日。

 デイジーは、シオンが暗い表情を見せた理由を知った。



 パン屋は定休日だ。

 しかし早朝からフローラン家に姿を見せたのはセイルの父親であるおじさん、許婚のセイル、そしてシオンの三人だった。

 三人共に表情が暗い。セイルにいたっては右頬が青黒く腫れ上がっていて、誰かに殴られたのは明らかだった。デイジーもフローラン家の者達も一体何があったのかと仰天した。

 親同士がフローラン家の居間に集まり、デイジーはセイルとシオンに呼ばれて家の裏庭に連れて行かれた。一体どうしたの、とデイジーが尋ねる前に、振り返ったセイルが深々と頭を下げた。


「ごめん。婚約解消する事になった」

「…………えっと、冗談にしては、その」

「冗談じゃない」


 呆然と立ち尽くすデイジーに、ゆっくりと顔を上げたセイルは婚約を解消したい理由を語った。


 セイルは親しい友人、狩人仲間、そして家族にすらも内緒で、三ヶ月前に行われていた国家猟師の試験を受けて合格していたのだ。

 国家猟師は難関で狭き門だが、合格すると国内の場所を問わず狩猟のために派遣される事になる。高給を約束されるが危険を伴う場での狩猟が多く、国家猟師は新人期間の五年間は、既に結婚している者を除き、独身者は結婚を禁じられる事になっている。五年間は修行期間として、家に帰る事も禁じられる。家族としての営みの義務を果たせない事が結婚禁止の理由だ。


 こんな小さなアルケ村から国家猟師の合格者が出たのは何年ぶりか。しかもセイルはまだ二十歳だ。国家猟師の平均年齢が三十歳と言われている。奇跡に等しい事だった。本来だったら村人総出でお祝い騒ぎな話だ。昨日村長に呼び出された理由もこの国家猟師に合格した事によるものだったのだろうとデイジーも理解した。


「狩人として、猟師として、もっと腕を磨きたかった。合格出来て嬉しかった。どうしても国家猟師として働きたいんだ」

「そ、それなら。五年後なら結婚出来るのよね。私、待つわ」

「デイジーならそう言ってくれると思ってた。……俺はそれに甘えたんだ。親父に殴られて、目が覚めた。仕事ばかりを優先してデイジーに甘えてばかりの俺を待って、貴重な五年間を無駄にしちゃいけない。こんな田舎で暮らす未婚女性の五年間がどれ程長く大切な期間かを全く理解していなかった俺は、デイジーを妻に貰う資格は無い」

「無駄にはならないわ。私はセイルと結婚したい。国家猟師として働きたいというセイルの思いを、反対するわけないじゃない。私は――」

「デイジー。親父と村長に聞かれたんだ。デイジーと結婚して村に残るか、国家猟師として働くかわりにデイジーとの結婚を諦めるか、どちらかを選べと。俺は迷わずに国家猟師になると言った。……言ってしまったんだ。俺はデイジーと結婚するよりも国家猟師として腕を極める事を優先させた」


 ついにデイジーは本当に言葉を失った。


 愛されている、大切にされている実感は確かにあった。男女のそういう感情ではなく家族のような親愛だったけれど。それでも良かった。デイジーはセイルと夫婦になりたかった。夫婦になるのだと信じて疑っていなかった。

 顔色を真っ青にさせるデイジーを痛ましげに、罪悪感に苛まれた様子で見つめるセイルは、さらに言葉を続けた。


「ごめん……本当にごめん」

「……そんな……」

「親父は今、フローランおじさんに婚約解消の謝罪と事情説明、デイジーの新しい縁組みに関する相談をしている」

「新しい縁組み……」

「デイジーの新たな婚約者に、シオンをどうかと」


 あまりにも淡々と説明されてしまったせいで、デイジーは理解するのに時間がかかった。

 セイルとデイジーから少し離れた場所で静かに控え立っていたシオンにやっと視線を向ける。目が合うと、シオンはデイジーの視線を避けるように目を伏せた。昨夜と同じ様に。


「もともとシオンの相手探しも難航していたんだ。シオンと年齢のつり合いがとれる女性がもうアルケ村にはいなくて、親父は他村にも足を運んでいた。俺とデイジーが婚約解消になって、デイジーに婚約者がいなくなった今、親父はシオンにはデイジーと結婚して欲しいと願っている。……フローランおじさんが了承してくれるかは分からないが」

「……お父さんはきっと了承するわ。だって、セイルと婚約解消したら、私と年齢のつり合いがとれる婚約者のいない男性が、多分、シオンしかいない。お父さんも私も、他村に嫁ぐ事は望んでいなかったし……」


 父はセイルに好意的だったが、それ以上にシオンの事を可愛がっていた。


 セイルが年々のめり込むように仕事に打ち込んでいく様子を間近に見ていた父は、デイジーの事を放置しすぎだ、と度々文句を言うようになっていた。それでも仕事に不真面目な男よりは良いが、と渋々認めていた節がある。

 そんなセイルの代わりのように、シオンがデイジーと過ごす時間の方が多くなってしまっていた。多いと言ってもたかが知れている。昨夜のような短い距離の送り迎えや、ちょっとした遠出の時の同伴者としてセイルの代わりをシオンがしてくれていた程度なのだが、これは本来許婚がすべき事なのだ。

 

「シオン。あなたは良いの? このまま話が進んでしまっても」


 デイジーは混乱していた。頭の中が整理できず、セイルとの婚約解消が確定してしまっている事実を受け止めきれず、いきなり新しい婚約者がシオンだと言われても実感がわかなかった。

 十七歳になったばかりのシオンはまだ未成年だが、すでに狩人として働いている彼は成人同等扱いになる。縁組みに関しても、決定権は無いが自分の意思を親に伝える事は十分に許される。


「良いも何もないよ。モリアート家は本来何も言える立場にないし、俺にも何も決定権は無い。デイジーと兄さんが一番分かってるだろう。フローランおじさんと親父の話し合いの結果に従う。それだけだよ」


 シオンはデイジーを全く見ないままに淡々と告げると、顔を上げてセイルに視線を向けた。その視線はとても冷ややかで、自分に向けられている訳では無いのにデイジーは背筋を震わせた。


「兄さん。デイジーと婚約解消してまで国家猟師として生きたいなら、凄腕の国家猟師となってちゃんと国に貢献してくれよ。デイジーを捨てた男としてじゃなくて、村の誇りとして生きてほしい。五年じゃなくて、永遠に村に帰って来なくても良いと思う」

「シオン!」


 デイジーはたまらずに声を上げていた。こんなにも冷たく突き放すようにシオンがセイルに言うなんて、思ってもみなかった。

 セイルはシオンをとても可愛がっていて、シオンはセイルの弓の腕に憧れて尊敬していた。切磋琢磨しながら弓使いの狩人として狩猟の腕を磨いていた二人に、こんなにも深い溝が生まれてしまうなんて。


「……ごめん」


 うつむいたセイルの口から小さな声で謝罪の言葉がこぼれ落ちる。

 デイジーもシオンも、もう何も言葉を発する事は無かった。


 父親同士の話し合いによりデイジーとセイルは正式に婚約解消となった。

 そして新たにデイジーとシオンの婚約が結ばれ、シオンが十八歳になる誕生日に、二人は夫婦となる事が決まった。



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