第1話、未莉先輩が消えた!?
若葉の季節が巡り、八分音符高校の校庭にある桜の木は緑の葉をたくさん生やしていました。夕方4時を回る頃、チャイムが鳴り、八分音符高校の生徒たちが次々と校門の外へ出て行きます。それぞれの教室でホームルームが終わり、放課後を迎えたのでしょう。
「バイバイ」
と、1年のクラスメートに手を振り、スクールバッグを持って教室から出た黒髪を水色のシュシュで1つしばりにした女子高生の名は、進実渉夢です。
渉夢は1年の教室を出て右にある1階の階段を上がり、2階の職員室の中に入り、部室の鍵を借りにきます。吹奏楽部に入っている渉夢は音楽が好きで部活が休みのときも放課後はよく、ピアノを弾きに部室は第2音楽室を使うようです。
「失礼します」
「あ、ゴー、第2音楽室の鍵?」
渉夢の声が聞こえ、彼女の担任の椎木桃乃先生が声を掛けてきました。ゴーとは渉夢のあだ名です。
「椎木先生、はい、そうです。今日も部室の鍵を借りにきましたよ」
「鍵ね、さっき、誰か借りに来たみたいよ。ごめん、ゴーと先生、誰が第2音楽室の鍵を借りに来たか、ちゃんと見てなくって」
「え、誰だろう。教えてくれてありがとうございます。失礼しましたー」
渉夢は職員室を出たあと、2階の階段から3階に上がり、すぐそこにある第2音楽室まで来ました。
第2音楽室の入り口は開いており、ピアノの音がちょうど廊下まで響き渡っていたのです。
渉夢はこっそり、中をのぞき込みます。すると、彼女は第2音楽室にいた黒髪のロングヘアの先輩女子高生を見て、真っ青な表情になりました。
そんな渉夢に気付くことなく、ピアノを弾くことに集中していた先輩女子高生の名は夕葉未莉です。
渉夢は先輩の未莉のことが苦手でした。理由は、彼女が中学2年のときです。出身中学と入っていた部活も未莉と一緒であり、陸上部でした。
未莉は陸上部の部長であり、渉夢に厳しく、他の部員の倍、短距離走や走り幅跳びの練習をやらされた経験があったからです。
あまりの練習のきつさで陸上部をやめた渉夢は、何もかもやる気をなくし、家の外に一時期出られなくなってしまったほどの不登校に悩まされます。
渉夢を心配した担任の先生や、友だちが何人か彼女の家まで訪問し、暖かく励ましてもらったおかげで中学3年になるまでは、クラスの教室に戻れました。
ただ、陸上部に戻らず、吹奏楽部に入部を変更し、そのあとは中学校生活を無事に送れたのでした。そして、高校に進学してからも、吹奏楽部に入部した渉夢です。
中学2年以来、そんなに会っていなかった先輩とここで再会し、第2音楽室の入り口で渉夢の手足は震えていました。
そして、未莉にもし、見つかったとき、陸上部をどうしてやめたのか、いろいろ聞かれてしまうことを渉夢はまだ起こってもいないことを考えてしまいます。
渉夢は、未莉に見つからないうちに、今日のところは帰ろうと、階段を下りようとします。すると、ピアノの音が止まったのです。
気になった渉夢は様子を見に戻ります。第2音楽室の入り口をそうっとのぞくと、何と未莉の姿が消えていました。
「未莉先輩……」
焦った表情で第2音楽室の中に入った渉夢は、先輩の姿を探します。いくら、苦手な人とはいえ、急にいなくなってしまうと、心配になる渉夢です。
まさか、未莉はここから落ちたのではないかと、渉夢は最悪なケースを考えてしまい、すでに開いていた窓から外を見ました。
けれども、未莉の姿はなく、下校していく渉夢のクラスメートが見えただけでした。
ほっとした渉夢は、もう一度、第2音楽室の中を探します。
「もうとっくに私、見つかって、どこかに先輩が隠れてるなんてこともないか」
と、言いながら、彼女は先ほど、未莉が弾いていたピアノと楽譜を見ました。
「先輩、あんまり知らない曲を弾いてたけど、何の曲だったのかな。何となくだけど、先輩がいなくなったの、これに関係しているんじゃ?」
渉夢が楽譜を手に取り、読もうとしたとき、ニャーと鳴き声が聞こえます。辺りを見回すと、クロネコがすぐそこにいました。
「あれ、クログー、また来ちゃったの」
クログーと呼ばれるクロネコは、渉夢のペットでした。渉夢の家が八分音符高校から近いため、クログーの行動範囲内に入っているようです。
たまに、クログーはこのように、外の桜の木を登ってジャンプし、飛び移ることで上の階に遊びに来ることがあり、飼い主の渉夢を困らせるときがあります。
ピアノ前の黒いイスに渉夢が座ると、クログーは彼女のひざの上に乗ってきました。
クログーをかまい、寝かしつけたあと、渉夢は歌詞の音符を読み、そこに書かれてあった歌詞も見て少しだけ歌います。
「いざ~、ミュージーン、参ろう~。ミュージーン、参ろう~」
おかしな歌だな、と思いつつ、渉夢はその辺りの音符のところをピアノで繰り返し弾きました。
夢中になって弾いているうちに、渉夢の目の前にあったピアノが消えます。ピアノ前のイスまで消え、渉夢はクログーをひざの上に乗せたまま、空気イスに座った状態です。
姿勢を正したあと、渉夢は、はっとなります。第2音楽室と別の場所にいたからです。
水色の空にシャープの月が出ている上、きらきらの音符と、黒の音符がきれいに交差し合っていました。
「ピアノを弾いている間に、こんなところ来ちゃったけど、ここは……」
「ちょっとー、気持ち良く寝てたのに、何で地べたに下ろすのよー」
ここはどこかと渉夢が言おうとしたところ、彼女の近くから声がします。
「あれ?」
渉夢はクログーの方を見ますが、毛づくろいをしていました。気のせいかとまた空を見上げると、
「ここ、あたしがこれまで遊びに来たところと、ニオイがちがうわね」
と、また近くから声がし、渉夢はクログーからやはり声がしたと、ネコの方を見ます。
「クログーが今、言ったの?」
「そうよ。何かこっち来てから、人間の言葉が話せるわね」
確かにクログーはニャーと鳴かず、普通に口をパクパクと動かしていました。
「どうしてだろう?」
渉夢が首を傾げていると、ホトトギスのような鳥が1羽飛んできます。
「キョッ、キョッ、君たち、ここの異世界の人じゃないね?」
「あ、はい、地球人です。ここはどこですか? それと、鳥さんは言葉が話せるのですね。うちのネコもここに来てから言葉が話せるけど、どうしてですか?」
鳥の問い掛けに渉夢が答えると、鳥は渉夢の肩に止まり、
「ここは異世界ミュージーンだよ。人と動物が暮らしている音楽いっぱいの異世界だよ。僕が言葉を話せるのは、異世界ミュージーンに長く暮らしていたからかな。君のネコくん、地球だと言葉を話さないのかい。多分、君のネコくんが話せるようになったのは、ここに来たからじゃないかな。あ、そういえば、君たちの前にも、地球人って1人来たっけ。キョッ、キョッ」
と、答えました。
「その人って、長い髪の女の子でしたか?」
「キョッ、キョッ、キョキョ、ああ、髪の長いきれいな女の子だったね」
「じゃあ、未莉先輩だ。鳥さん、その女の子、どっちに行ったかって、そこまでそんなにあまり知りませんよね?」
「キョキョ、君、そこまで未莉ちゃんって子のことを探したいわけじゃなさそうだけど」
鳥が細目で言うと、
「い、いえ、いえ、探してますよ。探して一緒に地球に帰りますよ。はい、はいっ!」
渉夢は慌てながら、鳥に言いました。
「まあ、探してるか。未莉ちゃんって子は、あっちのキラキラの音符が固まったトンネルの中に入って行ったよ」
鳥の方はまだ細目でしたが、未莉がどっちへ行ったか、教えてくれました。
「わかりました。ありがとうございます」
渉夢は鳥にお礼を言ったあと、クログーとキラキラの音符のトンネルをくぐります。
トンネルの中を彼女たちがくぐったかと思うと、もう別の場所に来ていました。フラットの音符に囲まれた看板に、『異世界ミュージーンへようこそ』と、書かれてあったのです。
「この看板を見ちゃうと、さっきのトンネルをくぐる前の場所は何だったんだろう?」
「そこも異世界ミュージーンなんじゃない?」
「そうだよね。空とシャープの月がさっきの場所にいたときと同じだもんね」
「ねえ、渉夢、あたしたち、いつ元の世界に帰れると思う?」
「先輩を見つけてすぐだよ」
「先輩、見つかるのもいつになる?」
「それは……」
渉夢は言葉を詰まらせました。そして、このまま黙ってしまいます。この先、先輩の未莉が見つからず、元の世界に帰れないのではないかと不安になったのでした。
そんな気持ちに渉夢たちがなっていたとき、遠くから心地良い歌声が聞こえます。
「あっちから聞こえる」
クログーは耳をぴんとすませたあと、歌声のする方へ走り出しました。渉夢もクログーのあとに付いて行きます。
渉夢たちはまるで、パンでできているような花畑を通り過ぎ、人通りが多い道に出ました。そして、人が集まっているところまでたどり着きます。
しかし、人や、しかも動物たちまで集まっていたため、前がまったく見えません。
「ここからじゃ、歌っている人たちが見えない」
「どうしましょう」
渉夢がクログーと困っていると、
「良かったら、背中を貸しましょうか?」
と、声を掛けてくれた者がいました。
「ありがとうござい……」
「ます?」
お礼を言おうとした渉夢たちでしたが、表情が固まってしまいます。先ほど、声を掛けてきた者が首の長いキリンだったからです。
「いいえ」
体長もかなり大きなキリンは長い首をおろし、渉夢たちを乗せようとしてくれます。
彼女たちが慎重にキリンの上に乗ると、キリンはゆっくりと首を上げました。
「あ、歌っている人たちがよく見える!」
渉夢はキリンの背中につかまりながら、上から歌手たちを見ます。歌手は7人で歌っていました。
「キリンさんに感謝ね」
クログーはキリンの頭の上からステージを見ています。
「あなたたち、わたしが怖くないのですね。この辺の人たちなんか、みんな、わたしを怖がるのですよ」
キリンは渉夢たちを乗せたままの姿勢で声を掛けました。
「そうなんだ。最初はびっくりしたけど、キリンさん、怖くないよ。君ほど体は大きくないけど地球にもキリンっているし」
と、渉夢が言うと、
「あなたたち、地球から来たの?」
キリンは尋ねます。
「うん」
「そうよ」
渉夢とクログーが答えたあと、キリンはにやっと笑い、いきなり、動き出しました。
「あ、あの、キリンさん、どこ行くの?」
と、渉夢は質問しながら、キリンは7人の歌手たちのステージを滅茶苦茶にしてしまうのではないかと、考えてしまいます。渉夢が真っ青な表情になっていると、
「渉夢、あなたが何を考えているのか知らないけど、キリンさんはあたしたちをあの7人の歌手たちに会わせようとしてくれているみたいよ」
クログーが、キリンの頭の上から彼女を見て言いました。
「え、そうなの。でも、ライブの邪魔になるんじゃ……」
「そんなことありませんよ。わたしはピースたちの路上ライブ関係者なのだから」
「うそ……」
「本当です。スタッフです」
「キリンさん、スタッフさんだったの!?」
「キリンさん、ピースって誰なの?」
クログーがここで質問します。
「ああね、ピースは、ほら、センターで1番に目立ってる子」
キリンが答えたことで、ピースがどの歌手か渉夢たちは解りました。
黒のジャケットにズボン、白のシャツに、首に全音符のペンダントをかけ、両手に黒のリストバンドを付け、片手にマイクを持つ金髪のベリーショートの男性です。
その男性は渉夢たちの方を見て、にこっとしました。渉夢はピースの笑顔がまぶしく、キリンの背中に顔を埋めます。
「そこの地球人の子、話は聞いてたよ。おれ、耳がいいからね。おれは、ピチス=ロッビ。愛称はピースだよ。君、名前は?」
「進実渉夢です」
「ん、声がうんと小さくて聞こえないな。はいっ!」
ピースは片手を耳にやったあと、もう片方の手でマイクを渉夢の方へ投げますが、上へ行きすぎ、クログーがジャンプでキャッチしようとしました。
けれども、結局、マイクはキリンの背中の上から自然と転がり、渉夢の手に渡ります。彼女はマイクを持ち、
「進実渉夢です!」
と、大きな声でもう一度、自分の名前を教えました。
「うん、ばっちり、聞こえたぜ。すすみあゆむちゃんか。前進できる良い名前だな。みんな、急な地球からのゲスト、あゆむちゃんに拍手しよう!」
ピースは隣の歌手からマイクを借り、盛り上げたのでした。
渉夢は恥ずかしくなり、再びキリンに顔を埋めようとしていましたが、そのときに体が勝手に宙に浮きます。
マイクを持ったまま、宙に浮いた渉夢は悲鳴を上げていましたが、ピースが何か歌うと、渉夢は地上へゆっくりと降ろされたのです。
「助かった……」
「ごめんな、あゆむちゃん、忘れてた。オレのマイクは魔法が掛かってて、オレ以外の人が持つと空中に浮かんでしまうんだ」
ピースが申し訳なさそうに謝ると、
「あれ、ピチスお兄ちゃん、今のは路上ライブの妨害した地球人にお仕置きじゃなかったんだ」
と、前の席で大きな声で言ってきた少女がいました。
少女は外見はぽっちゃりしています。また、茶髪のショートに青の帽子をかぶり、ゾウの絵が入った黄色い長そでに紺の長ズボンを履いていました。
「あゆむちゃん、いとこが失礼言ってるけど、気にしないで。本当、ごめんな。あとでちゃんと、お詫びをするから」
ピースは渉夢にひそっと言ったあと、彼女の手をとり、隣の女性歌手のところに連れて行きます。
「きゃー、地球人の女の子、初めて見た。あゆむちゃん、私はコンティーニュよ」
コンティーニュと名乗った金髪のポニーテールに青のドレスを着た女性歌手は、そのあと渉夢の手を取り、後ろに控えていた男女2人の歌手のところに連れて行きました。
ピースとおそろいの衣装を着た男性の歌手の方は黒髪のワイルドヘアーにメガネをかけています。また、女性の歌手の方は茶髪のロングヘアにオレンジのドレスを着ていました。
「ぼくはメイク」
「あたしはファインド」
メイクとファインドもコンティーニュに続いて渉夢の手を取り、あとの3人の男女歌手のところに連れて行きます。そこから、演奏がかかり、イントロからピースの歌声が響きました。
「オレはエフォート」
「わたくしはディアル」
「僕はラビング」
演奏が始まってから、渉夢はこの3人の歌手とずっと踊っていたのでした。
エフォートとラビングと名乗る男性歌手は、ピースたちとおそろいの衣装はもちろん、エフォートは緑のメッシュが入った金髪が特徴です。ラビングは黒髪のモヒカンにハートのサングラスをしていました。
そして、ディアルと名乗った小麦色のショートボブの髪型をした女性歌手は、薄いピンクのドレスを着て、曲が終わるまで渉夢とよく踊っていたのでした。
路上ライブ終了後、渉夢はクロバーとキリンとピースたちを待っていました。
「ところで、ピースさんたちのグループ名、何て言うの?」
渉夢がキリンに聞くと、キリンが上を向いたあと首を傾げます。
「あれ、あの子たち、最初の方でグループ名を言ってなかったのかな」
「ううん、ほら、私たち、最初から路上ライブを見てたわけじゃないから」
「あ、そっか。あの子たちのグループ名はね、ENCOURAGEだよ」
「えんかれっじって?」
クログーが不思議そうな表情です。
「勇気づける意味だったかな」
渉夢がクログーの疑問に答えたとき、ENCOURAGE本人たちがやっと来ました。
「そう、あゆむちゃん、よくENCOURAGEの意味がわかったね」
感心するピースです。
「いえ、地球の学校で英語っていう勉強を習ってて、それで知ってたんです」
「地球でも英語習っているんだ。こっちもだよ」
と、これはコンティーニュが言いました。
「ミュージーンも英語って教科あるのですね」
渉夢が言ったあと、
「勉強の話は眠くなるぜ。なあ、リーダー、そろそろ、帰ってもいいか?」
ラビングがあくびをします。
「って、リーダーはあんたじゃん」
ツッコむエフォートです。ラビングは彼にツッコまれたところでハートのサングラスが取れそうになり、慌てていました。
「ふう、サングラスが取れるとこだったじゃないか。さ、もうそろそろ帰ろうか。各自、自由にしよう」
「あ、リーダー、待ってよ。飲みに行こうぜ」
メイクがラビングの肩に手を回し、歩きます。
「ねえ、2人とも、これからさ、ディナーしに行かない?」
「いいね!」
「お腹空いたよね。行こう、行こう!」
コンティーニュに誘われ、ファインドとディアルはどこかのレストランへ向かいます。
「じゃ、オレは図書館に寄るから。じゃあな、ピース」
ピースに手を振ったエフォートも途中までコンティーニュたちにも手を振ったあと、図書館の方へ向かいました。
「そうだ、あゆむちゃん、さっきは本当の本当にごめんな。お詫びは何がいいかな」
渉夢に頭を深く下げるピースです。そんな彼に渉夢は困ったような表情になり、両手を振ります。
「ピースさん、気にしてないですから、そんなに謝らないで下さい」
「おれが、あゆむちゃんにお詫びできることは何かないかな。あ、そうだ、あゆむちゃん、君は地球から来たってことは、今夜は泊まれる場所がないだろう」
「そんなこと、ないとは思いますよ。泊まれる安い宿を紹介していただければ、それだけで助かります」
「安い宿、あるかもしれないけど、君はこっちの通貨、持ってないだろう」
「あ、荷物はみんな第2音楽室だった。しかも、財布にお金が入っていたとしても、こっちじゃ使えないんだ」
ピースに言われ、渉夢は異世界ミュージーンにいるときは、一文無しであることに気が付いたのです。
「決まりだな。おれんち、今夜、泊まりなよ。うちの家族もきっと、地球人を大歓迎してくれる」
「あゆむさん、せっかくだから、ピースんちに泊まったらいいよ」
「そうしようか、クログー」
「ええ」
キリンにも勧められたことにより、渉夢たちはこうして、ピースの家に泊まることになったのでした。