第5話 night of fire
かや乃の掌底から生み出された炎の鳥は、翼を広げ尾翼をはためかせながら優雅に廊下を飛翔した。くすんだ赤い焔と快晴の空を思わせるような青の炎のコントラストが、廊下全体を美しく彩る。
大きく広げた羽の一枚一枚から金色の光があふれ廊下をおおっていた焔を沈静化してく。
光は前方だけでなく、かや乃の後方にも広がっていき、ものの数秒で廊下は元の静けさを取り戻した。
南向きの窓から春の日ざしが差し込み、それにのって鳥のさえずりが聞こえた来たとき、かや乃はガクッと両手、両膝をつき荒い呼吸を繰り返す。
「大丈夫かいな? 力を使い過ぎてもうたか?」マコルが2つの尾を激しく揺らしながら駆け寄った。
「うん、ちょっとね…大丈夫。 こんなこともあろうかとチョコレート…持ち歩いてるから。」
ブレザーのポケットから小分けのチョコレートを一袋取り出す。震える手で袋を開けようとするが、力余って大きく引き裂いてしまった。
「あっ……!」
チョコレートが床に落ちそうになる所を、マコルの尾が素早くキャッチ、そっと口に運ぶ。
「あひがと……これでしばらく持つわ……。」
3回の咀嚼で立ち上がると、胸元のリボンを解きそれで髪をまとめる。
「こんな強力な怨念を持った妖者を相手にしなきゃいけなかったなんて…私、考えが甘かった。ちょっとした魔物退治くらいに考えてた……」
俯き加減で足元を見つめる。
小さい頃から力に目覚めていたかや乃は、それが普通ではないことに気づいていなかった。
道を飛んでいるだけの浮遊霊を燃やし、排水溝に潜む妖怪を燃やし、お地蔵さんの側に立ち、道行く人を見守っているだけの半妖半神の存在を炎でからかう。そんな日常だった。
嶺岸家に引き取られてから、それが異能である事、そして正しい使い方をせねばならぬ事を学んだのだ。潜在能力が高いゆえ、力のコントロール方法さえ会得し、霊力さえ保てば、怨念ごと一瞬で消し去る事もできる。
だが、あの赤子の泣き声と泣き崩れる男性の姿が頭から離れない。あれは燃やしてよいものなのか…。
「同情は禁物やで。ただ、現実に目を向けて自分で何が正しいのか模索するっちゅうのはえーこっちゃ。
さ、犯人は恐らくこの上階におる。こっからは慎重に階段つこうて行くで!」
尾をピコピコさせて、焔で隠されていた階段を指す。
「うん、行きましょう。」
目に決意をみなぎらせ前を向く。マコルが肩に飛び乗り、かや乃は5階への階段を駆け上った。
(にしても、火関係っちゅーことは、第六階層やないけ。そんな奥の方から地上に出てくるなんて……封印がそうとう弱まってるっちゅーことやな。)
マコルは尾をフリフリしながら例のポーズで考えに耽る。
陽の暖かさを背に感じながら階段を登りきると、5階の廊下にたどり着いた。がらんとした廊下に窓からの日が、モザイクを描く。
「さ、行くでー。用心せなあかんで。」
「うん、入るよ。」
音を立てぬよう、ゆっくりと廊下に足を踏み入れた途端、目の前の景色が一変した……。
リリリリン…リリリリン…
秋の代名詞のような音が静かに響く。足元は丈の高い草が生い茂って、視界をわるくしていた。周りを見渡せば、背の高い樹木で一面覆われており、わずかな隙間からは月が顔を出していた。見渡す限りの雑木林だ。
「ここ…どこ?」
「おそらく妖者の結界内や。深層心理とか記憶とかに影響されて再現されとんねん。」
「こっち、行けそう。」
かや乃が指差した方には、草むらが倒れ獣道ができていた。
「こっちに来いっちゅーことやろな。ま、行かな話が進まへん。」
「うん、行ってみよ。」
月明かりを頼りに、草むらをかき分け獣道を進んでいく。おそらくススキだろう尖った葉が肌に突き刺さるので、ブレザーの裾に手をしまい、葉をはらいのける。時折行く手を阻むような倒木をくぐり抜け、どのくらい歩いただろうか…。
ザザザッ!
不意に響いた音に歩みが止まる。
ザザッ! ザザザザ!!
1…2……3体⁈
草むらの陰から、髪の長い女のシルエットが見え、徐々に近づいて来る。かや乃は急いで先を進み、見えかけていた半径2mはあろうかという木株の上に飛び乗る。
ザザザッ!!
草むらから勢いよく女が飛び出してきた!
いや、女に見えるのは上半身だけ。下半分は蛇のそれ。顔も目が細く釣り上がり、歪んで飛び出た鼻と口は蛇の顔を連想させる。
下半身をくねらせ、木々の幹に尾を打ちつけながらかや乃に迫ってきた。開いた顎の中は鮮血で満たされているかのようだ。
「Mai danse(燕の舞)!」
空中に炎の円を描くと、その中から燕の姿を模した炎が一斉に飛び出す。燕はまっすぐ蛇女に向かって飛んでいき……直撃寸前っ!…蛇女は顎をさらに大きく開き、燕を全て飲み込んでしまった!
「exploses(爆ぜよ)!」
と同時にかや乃は指を鳴らした。
直後、蛇女の体は3倍にも4倍にも膨れ上がり、光を伴って四散した。
「後ろや!」
さらに2匹の蛇女が、かや乃の背後から迫る!
「Crocs de chauve-souris(コウモリの牙)!」
霊気のこもった左手を前方に軽く振ると、そこから複数のコウモリが楕円をえがきながら出現、かや乃の後方に迫る蛇女に喰らいつく!
蛇女達は絶叫を上げながらのたうち回るが、コウモリは牙を立てながら徐々に翼を広げ蛇女達を包み込み…一気に爆破した!
「流石やな…咲良はんのとこで鍛えられただけのことはある。」
「カナダ《あちら》にいる時は、毎晩の様に心霊スポットに連れていかれて…こんなものじゃなかったわ。」
「次のお客が来はったで!」
マコルの尾が上空を指す。
釣られて真上を見上げると、木々の間に大きな鐘型のシルエットが見えた。遠目にも全身をポンプのように震わせているのが確認できる。その鐘型ポンプはひときわ大きく体を震わせると、音もなく落下してきた。
かや乃たちが立つ木株を目指して。
「あかん!避けな!」
マコルは素早く草むらに逃げ込んだ。
かや乃は両手を何かすくうように手前に出すと、力を集中させる。一瞬止まって水平に一気に開く。
「Griffe d'aigle(鷲の鉤爪)!」
鷲の形をした炎が鐘型ポンプに向かって飛ぶ!
バシュゥゥゥッ!!
両者が空中で激しくぶつかった!
霊力は拮抗し、雷のようなスパークを起こす。その明かりに照らされて、鐘型ポンプの容姿が見えてきた。
大きさはちょうどお寺の鐘くらい、全身が茶色の獣毛に覆われて、野球ボール大の目玉が2つ飛び出ている。その目玉は青く血走っておりギョロギョロとあさっての方向を見回している。
「くぅぅぅっ……」
力の拮抗に耐えられず、少しずつ後ろに押されるかや乃を草むらから飛び出したマコルが背中から支える。
「気張りゃー!!」
しかし、応援虚しく徐々に押されて行く。
鐘型の妖者もさらに激しく目を動かし、体をポンピングさせて、炎の鷲にのしかかる。
両者が最後の一押しと霊力を込めた時、競合いが限界に達っした。スパークがさらに激しく光ると、拮抗した霊力が激しい爆発音を響かせる!
声を上げることもできず弾き飛ばされるかや乃を、体を大きくしてマコルが衝突する木々から守った。
ズザザザザッッ……ドンッ!!
かや乃を包んだままゴロゴロゴロっと5回転ほどまわって止まる。ふしゅ〜っと風船がしぼむごとくマコルの体をが小さくなっていく。
「マコちゃん! 大丈夫っ⁈」
かや乃はいつもの大きさに戻ったマコルを抱き上げ、半泣き状態だ。
「大丈夫やで〜猫の体は柔らこうてなぁ……それより…着いたみたいやで。あっちや。」
白い部分が煤けてほぼ黒になってしまった尾を振りながら指したのは、茅葺き屋根の日本家屋だった。
その家屋は屋根や障子などに燃えたような跡があるものの、その他はいたって綺麗な外観であった。
マコルを抱いて、そっと近づいてみる。古い作りの家を目の当たりにすること自体が初めてのかや乃は、興味を引かれ細部の作りまで観察してしまう。向かって左手に回ると、井戸らしきものや畑も見えた。
「社会科の勉強は後まわしにしーや。建物が破損してへんちゅーことは、妖者の霊力が衰えてへん言うことや。
屋敷の中に間違いなくおる…本体を叩かへんと終わらんで。」
「わかった、玄関から入るのが礼儀だよね?一応…。」
と、玄関と思われる引き戸を用心深く開ける。
入ってすぐは土間になっており、板敷の広い空間、部屋の真ん中には囲炉裏があることから茶の間と思われる。
少しためらったが、土足でそのまま上がる。周囲を伺いながら奥に進むが、やかんひとつも見当たらない。
「この奥や…。」
と、尾で示した先は、右手に広がる座敷から入るわずかな月明かりで廊下が続いていることがわかる。踏み入ると、板敷に靴がわずかに沈む感覚があった。さらに慎重に、足先で床をつついてから歩を進めた。そして予想通り……
バゴっ!!
「くっ…!」
左足が床板を貫いた。落ち着いて抜こうとすると、何かに引っかかる。
「これはもしかして……。」
あまり見たくないものを予想しながら横目で足元を見ると、かや乃の左足首を両手で掴む焼け焦げた腕が見えた。穴は思いのほか大きく空いており、その先には女であろう濁った目がじっとかや乃を見つめている。
「うざっ…!」
あまりに予想通りの展開に苛立ち、左足を振りほどくと、あっさり自由になる。と、その時…
ボッボッボッボッ!!
右手の障子と左手、おそらく納戸であろう扉を破り、無数の腕が一斉に生え出て来た。その全てが黒く焼け焦げており、何かを掴もうとうねうねともがき異臭を放っている。
「飯駒山のおばけ屋敷やないけー!」
マコルは器用にすがりついてくる腕を避けながら進む。
一方、かや乃は先程掴まれた左足首に違和感を感じて動けずにいた。
「かや乃!はよせいな!」
「マコちゃん、うまく避けてね!!」
両手を互い違いに肩に触れ、一気に斜め下に振り下ろす!
「Jeu d'abeilles(蜂の戯れ)!」
かや乃の正面に楕円形の炎が上がると、そこから無数の蜂形の炎が飛び出した。ランダムに飛行しながら前進すると、次々と壁と障子から生えた腕にぶつかり、片っ端から青白い炎を上げる。
「ひぇ〜無差別やんけぇ〜」
「だから避けてって言ったでしょ!」
燃え上がる腕達を尻目に、一気に奥座敷をめざして走った。
「足、大丈夫かいな?」
「うん、一時的なものだったみたい。」
少し息を切らしながら、廊下の先、奥座敷の襖までたどり着いた。目の前には美しい初春の景色がひろがっている。大きな梅の木の下、生まれたばかりの赤子を抱える母親、隣には父親と思われる武士姿の男性とそれを囲む従者達。
襖に描かれたそれはとても幸せと優しさで満ち溢れており、かや乃は思わず見入ってしまった。
「えっ?」
「どないしたん?」
「また聞こえた…赤ちゃんの泣き声…。」
「そうか…この奥やで。なんで赤ん坊が泣いているのかもわかるやろ。」
「ええ、行きましょう。」
繊細な模様が施された取っ手に両手の指をかけ、静かに横に引いた。