第9話 a prayer
「ねぇねぇ、赤いドレスの女の噂知ってる?」
「えっ?何、それっ?」
連休も終わり、穏やかな五月晴れに夏の気配を感じる朝。登校するやいなや、かや乃は同級生の相田鐘子にそう話しかけられた。
「知らないのっ?今、女子の間で話題も話題よ!風間ヶ丘高の恋する女の子の前に姿を表すんだって。恋愛が上手くいくアドバイスをしてくれるらしいの。」
と、こちらも同級生の鈴木沙智子だ。
「それって、一般利用の人で占い師か何かってこと?」
「それがさ、突然目の前に現れて、助言をくれるとパッと居なくなるんだって!」
「それって……幽霊…?」
満が渡り廊下で襲われて以降、幸いにして大きな事件は起こっていない。三年生が受験準備を本格化する一方、入学時の緊張が取れてきた一年生は、早くも夏休みの予定で頭がいっぱいだ。
海やキャンプ、リゾート施設に遊園地、果ては海外旅行…初めての夏休みを初めての恋人と過ごす!
そんな妄想…、もとい夢を叶えるべく勉学と恋の両立に励んでいた。
と言うのも、同級生はもとより一般の大学生や社会人の利用も多いこの風間ヶ丘高校では、出会いの場が数多ある。ラウンジ、カフェ、コンビニ、体育館のフィットネス施設等、目と目で通じ合う瞬間もあったりなかったり。
特にこの年代の女子は歳上に憧れるもの。入学してすぐにお付き合いに発展したという話は、あっという間に生徒の耳から耳へ伝わる。
「幽霊ね〜でも、私達の恋の手助けをしてくれるなら、良い幽霊じゃない?」
「もしかしたら、本当は恋の天使とかー!」
オカルティックな存在も恋する乙女の前では天使に早変わりのようだ。
んな都合のいいモノあるか?と内心思ったが、かや乃はとりあえず話を合わせようとした。
「実際に恋が叶った人がいるの?話聞いてみたいな。」
「それが、そのドレスの女に会ったことは固く口止めされるんだって。話したら、せっかくうまくいった恋愛も必ず破局するって。」
「それじゃ、なんでそんな噂が?」
「それはさぁ、いくら言っちゃダメでも〜話したくなるのが人情ってモンでしょー?
絶対口外しないって約束に枕詞で伝播しちゃうのよ。」
「ただ、その赤いドレスの女の助言を受けた女子生徒は、体のどこかに赤いハート型の痣が出来るんだって!」
「そうそう、D組のコの肩に出来てたのを誰か見たって!」
どこまで本当なのかマユツバものだが、この校内では何が起こるかわからない。もし、その赤いドレスの女が妖者だったら…聞き捨てならない話だ。
「ところでかや乃ちゃん、好きな人とかいるの?」
またその話か⁈と、思わずかや乃は机に突っ伏した。
ーーー
ガッラッ!
「しっつれーしまっすと。」
風間ヶ丘高校、東棟7階の生徒会室に勢いよく入ってきたのは、副会長の國木田総司だ。ネクタイを崩し、まくった袖から出る腕は日焼けしたかの様に黒い。
「お疲れ様ですー。珍しいですね、定例会議の日以外で、生徒会室に顔出すの。」
机の島の一角で赤いノートPCをパチパチと打っているのは、副書記の霞城祐希だ。PCと同じく光沢のある赤い縁のメガネを掛け、背筋を伸ばして座る姿は可憐な美少女といって差し支えない。もちろんナチュラルにメイクはバッチリである。
「祐希こそ。バイトはいいのか?」
「今、バイト先のカフェが改装中で〜。その間の埋め合わせに、ブログでちょこっと稼ごうかと〜。」
「相変わらずしっかりしてンな。」
國木田は椅子に座ると、クルクル回りながらテーブル上のクッキーをつまむ。
「抜け目がないって言うんですよ。」
と、ツッコミを入れてきたのは祐希の向かいに座って、"世界の数学難問集"なるものに取り組んでいた、生徒会会計の徳岡益荒だ。左手でメガネをクイッと上げると、
「その労力をもう少し勉強に費やせばいいんですよ。ツイッターで恋愛相談ライブもやってますよね?」
「いーじゃない?これも才能だと思うの。益荒もお勉強ばっかりしてないで、赤い糸の1本でも探してみれば?」
「あんな非理論的な事、時間の無駄ですよ。」
祐希は、ふぅとため息をつくとメガネを外す。陰の美貌があらわになり、肩にかかった髪をかきあげながら、ゆっくり立ち上がる。
「理屈じゃないから楽しいんじゃん。1たす1が5にも10にもなるコト……お姉さんが教えてあげようか?」
と言いながら益荒の頰に両手を当て、あと数cmの所まで迫る。硬直した益荒のメガネがズレ落ち……
「はい、そこまーでー。おまえら、ほんっと仲良いんだな。」
國木田が仲裁に入る。
「ところで満は来てないのか?」
「それが…最近、あまり…。」
メガネを直した益荒の物言いが歯切れ悪い。
「満ちゃん、警備室じゃないですか?ここのところ、鬼瓦さんといい感じみたいですよー。」
「ゲッ!まぢかっ⁈」
「おいっ!祐希っ!」
咎める益荒に
「いーじゃない。いずれ話題にのぼるわ。20歳差の壁を乗り越えようとしてるんじゃない。"No one can get in the way of love."ってとこかしら?」
と祐希は応援モードだ。
「鬼瓦先輩とっ?…恋愛は自由だが。満は先輩の家庭事情知ってんのか?」
「知ってるハズですよ。今年のバレンタインのチョコ渡す時に冗談交じりに言われたって。ショック隠しきれないようで、話し聞きましたから。」
「そもそも、未成年との関係ですよね?学校側に知れたらまずいですよ…。」
三人三様の立場に、お互いにしばし沈黙する。
倫理的に正しい益荒と、恋愛にイケイケな祐希と、猪突猛進の國木田…こーゆー時に判断をくれるのは……
「あっ…礼奈は?」
國木田は、いつもいるはずの礼奈がいない事にやっと気づいた。
ーーー
「改まってなんですかな?明日の葵の手術の説明なら先週受けましたが。」
ここは桃園大学付属病院の会議室。壁にデスク、全て白で囲まれた20畳ほどの会議には、外科医の西村孝治と彼が仕事を依頼した霊能師(見習い)の覇王礼奈、そして孫の手術を控えた鈴原陽平が向かい合わせで座っていた。
礼奈はいつものラフな格好ではなく、就職活動中の学生然とした黒いスーツ姿。左腕にはグランドピアノ形のブレスレットをしている。礼奈の細い腕には少し不釣り合いな大きさで、腕時計ではなさそうだ。
鈴原は汗をにじませながらも首元まで閉めた襟付きシャツに薄手のカーディガン、グレーのスラックスという年相応の格好だ。
「少し暑いですか?空調を入れましょう。」
そう言って西村が席を立つ。広い会議室なので、エアコンのスイッチも遠い。
「あっ、ありがとうございます。西村先生、お話とは?それに、こちらのお嬢さんは…以前…?」
「あぁ、私の古い知り合いの娘さんでね…。」
と席に戻る。
「おじさま、私からご挨拶申し上げますわ。」
礼奈は一枚の名刺を取り出した。そこには自身の名前と国家資格を示す覇王家の霊能師登録番号が記されてある。本格的に仕事に入る際には、この番号を依頼主などに明示しなければならない。
「西村先生からご依頼を受け、お孫さんに起こっている霊障を解決するために参りました。覇王礼奈と申します。改めてよろしくお願い致します。」
名刺を手に、鈴原は事が理解できないようで不可解な顔つきだ。
「葵…孫に起こってる霊障?霊能師という仕事があるのは知っているが…まさかっ?心臓の病がかっ?」
「いえ、残念ながら心の臓に関しては生まれつきでございます。そちらは明日、手術を予定されていると伺っております。
もう一方、時折呼吸困難の症状が出る件ですわ。」
「あぁ、アレならすっかり治ったと思っていたが…。」
「その事に関しましては、霊感の強い病院スタッフが数名、お孫さんの首を絞める手を目撃しております。」
「手?幽霊か何かが、葵を襲っているとでも⁈」
「正確には、手首から先のみ…しかも計3組の手首だけの存在が確認されております。それらは…申し上げにくいですが、鈴原さん、貴方様の中に存在しております。」
「私の中に……?私が葵を憎んでいると言いたいのか?!」
思わず椅子から立ち上がり、礼奈に詰め寄ろうとする鈴原を西村が肩を抱き抑える。が、構わず礼奈は言い放った。
「あの症状こそ、あなたが…あなたのお母様、鈴原莉子さんから受け継いでしまった呪いですわ。」
鈴原の表情が一瞬で凍りついた。
「何故っ⁈あのオンナの名前をっ!」
鈴原の首に絞められた跡のような痣を目撃した礼奈は、鈴原の過去を調べ始めた。鈴原は61歳、56年も前の事を探り当てるのには時間がかかった。彼が5歳の時だった…
「バカなっ!なんであのオンナが出てくるんだ!とっくに死んだんだぞ!自らの手でな!!」
退魔の音楽は対処療法でしかない。孫の手術中に思わぬ手出しがあっては…と礼奈は考えた。そこでここ1ヶ月間、鈴原の母親である莉子の霊を呼び出そうと試みたが全て失敗に終わったのだった。莉子は成仏をしておらず、息子である陽平のトラウマの元を今でも生み出しているとう確信が礼奈にはあった。
鈴原の握りしめた拳は、今にも血が滲まんばかりだ。
「あのオンナはっ……あのオンナはなっ!私を殺そうとしたんだっ!!首を絞めて殺そうとしたんだぞっ!」
そう言って立ち上がると、シャツの襟を開け、首元にハッキリ残る痣を出した。
初めて見る西村も2回目の礼奈も、禍々しい痕跡に大きく息を飲む。
「あのオンナは私が邪魔だったんだ!結局、いらない存在だったんだよ!わた…シ……ガ……」
鈴原は言葉を途切らせると、途端に体を大きく揺らした。白目をむき、口を開いたままゾンビのごとく部屋をさまよい始める。照明がチカチカとついては消え、壁に設置されたモニターは砂嵐を雑音とともに映し出している。
「礼奈君っ…!」
「大丈夫ですわ。おじさま、下がっていらして!」
礼奈は席を立つと、左腕のブレスレット、そのチャーム部分の蓋をスライドさせて開けた。そこには細い弦が10本張り巡らされている。
礼奈の白い指が弦を一つ弾く。
「Strike A pose!」
ビィィィインッ!!
赤子が生まれた時に最初に発するというAの音が響き渡る。
「アガァァ!」
鈴原は叫び声を上げると、震えが止まる。すると、背中から指を足のように使いながら手首が計3組、肩越しに這い出した。
「調べに身を任せなさい!」
A C A G A
Bb A G F G A Bb
A C A G A
A C E C D
礼奈は細い弦をゆっくり爪弾きはじめる。その指は徐々に駆け足になり、
「Allegro!」
弾く弦から紡ぐ音は空気を震わせ、鈴原の体を這い回っていた手達を捉えた。BPMが高まると共に、3組の手首は小刻みに震え出す。
礼奈は弦を一気にかき鳴らした。
「Fine!!」
掛け声と共に、手首は腐り落ちる様にボロボロと崩れていった。
ドスっ!!
「鈴原さんっ!」
倒れ伏した鈴原に西村が駆け寄る。すぐに脈と呼吸を確認し、気を失っているだけだとわかりホッする。
「礼奈君、今ので終わったのか?」
鈴原の大きな体を2人で運び、壁際のソファに寝かせる。
「今、鈴原さんの中に潜んでいた……母親からの暴力による心と体の傷、そこから生み出された呪いは消えましたわ。ただ、トラウマが残る限り再び現れないとは限りません。」
「では、どうすれば?」
「トラウマを作り出した張本人、鈴原さんの母親である莉子さんの霊と直接対話をしなければいけません。何度か降霊を試みましたが、ダメでしたわ。そこを何とかしなければ意味がないので、対処療法でしのいでまいりましたが。とりあえず明日のお孫さんの手術に影響なきよう、浄霊させていただきました。」
「それでは母親を何とかしない限り、葵ちゃんの呼吸困難の症状は再発するということか?」
「その通りですわ。明日の手術中は私が護衛させていただきます。その前に…」
ブルルッブルルッ
会話を断つように、ジャケットのポケットに入れてあるスマホが震えた。画面を確認すると、滅多にかかってこない人物からだ。この人物からの電話は十中八九、トラブルに間違いない。
「もしもし、どうされましたか?」
「礼奈か? すぐ学校に戻れ!満がヤヴァい!」
ーーー
「あら、かーや。何してるの?こんなところで。」
ドキッ!
こっそり警備室の様子を伺っていたかや乃は、突然後ろから呼びかけられ全身の毛が猫のごとく逆立った。振り向いた先には…
「祐希さん…って、國木田さんと徳岡さんまで。」
そこには風間ヶ丘高校生徒会、副書記、副会長、会計の役員面々が揃っていた。
かや乃たちがいるのは、校内の北側にある体育館内、その中の警備室前だ。一般開放をされている体育館内には、多目的フロアの他、プール、マシンジム、フィットネススタジオ、室内テニス場、柔道場、宿泊施設を完備している。
平日は朝9時から22時まで、土日は10時から20時まで、祝日と各週の水曜日が定休日となっている。都度払いで1回700円から1500円ほどで利用できるため、社交の場としても人気だ。
館内運営は大手フィットネスクラブに業務委託されているが、学校の事情もあり警備員は特殊に編成されている。常時10名ほどの警備員がシフト制で交代勤務をしており、通常の安全管理から校内の除霊まで幅広く請け負っている。
「最近、満さんの様子がおかしいなって思って…ちょっと見に来たんですよ。みなさんはどうしたんですか?」
かや乃は声が響かないよう、小声になる。
「どうしたもこうしたも私達も満ちゃんが気になってね。」
と祐希は左手を返して國木田を指す。
「右に同じ。」
答える國木田も左手を返して徳岡へ。
「僕は2人が無茶しないか監視しに来たんですよ。」
益荒だけ、メガネをクイッと上げながら自分は違うアピールだ。
「そうなんですね。皆さん気づいてらしたとは…てっきりメイクオタク、熱血ハンドボーラー、数学馬鹿だとばかり……。」
「かーや、さりげなく毒吐くわね…って、大変!それどころじゃないわっ!みんな見てっ!いや、見ちゃダメっ!!」
突如、興奮した素ぶりの祐希が、警備室の窓にかじりつく。他の3人もならって、こっそり窓をのぞくと…。
朝番で勤務明けであろう私服の鬼瓦と満が……熱い抱擁を交わしていたのだ。
鬼瓦は自慢の体を強調するかのようなタイトな黒のコットンシャツにデニム姿、満は制服のジャケットを脱いでシャツ姿なので、お互いの体温が伝わっているのは想像に難くない。
「鬼瓦さん…って、とっても暖かいんですね。」
「筋肉量が多いからな。代謝がいいんだよ。」
「ふふっ…そうか。前にもそう思ったこと、あるんですよね。」
「前?いつだ?」
「わかんない。忘れちゃった…。」
「あんまくっつくと、色々と大変なことになるぞ。」
「大変な事?何だろぉ〜?」
窓越しに聞こえる恋人同士の談笑に、コソッリのぞいていた4人、特に祐希は大興奮だ。
「やだ!満ちゃん、やるじゃない!そこでボタンを一つづつ外して、ポニーもとくのよっ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。止めないと。」
と言いつつ、現場を直視できない益荒はメガネを外している。かや乃に至っては、顔を真っ赤にして目を回している。
そして、一番パニックに陥ったのは…
「恋愛は自由だっ!歳も性別も関係ねぇ!でも、ここは学校だ…満は大事な後輩だし、鬼瓦さんも尊敬する先輩だ…そんな2人がめでたいなら……でも、先輩は離婚協議中だし。せめて、それが終わってから〜いや、どうせなら今すぐ離婚届けを出してもらいに行くかっ⁈」
國木田はグルグルと回りながら、一人で自問自答している。
そしてぽんっと一つ、拳で手を叩くと、
「礼奈を呼ぼう。そうだ、あいつならなんとかしてくれる。」
ゴソゴソとジャケットのポケットからスマホを取り出す。画面を打つ表情は妙案を思いついた子供のようだ。
「礼奈か? すぐ学校に戻れ!満がヤヴァい!」
ーーー
「満がどうかしましたか?」
「あいつ、禁断の恋に身を投じやがった!手助けしてやってくれ!」
禁断と言う割には止めるのではなく、そこをなんとかしろと言うあたりに混乱が伺えた礼奈は
「とりあえず、すぐ向かいますわ。」
と告げ、電話を切ろうとしたその時、左手のブレスレットの弦が震え、スマホの向こうから複数の叫び声が聞こえた。
どうしたのかと問う暇もなく電話がきれた…正確には電波が途切れた様だ。
不可思議に思いながらスマホの黒い画面を見つめる。ぼんやり写るたて巻きロールの自分の顔が一瞬、赤い着物にオカッパ姿の女性に変わった。途端に全身に鳥肌が立ち、ある予想が頭の中を駆け巡る。
「おじさま、鈴原さんを頼みますわ。明日、手術の時間にまた参ります。」
「あぁ、よろしく頼むよ。」
自体を察したようで、西村は一つ返事で頷く。
礼奈はヒールを鳴らしながら部屋を出ると、一気に屋上に向かった。
(私が請け負ったこの事件と、私の身の回り…風間ヶ丘の件が交わる…お父様の仰った通りのことが今、現実になる…?…まさか…。)
バタンッ!!
屋上のへのドアを乱暴に開け放つと、誰もいないことを確認する。
「麗っ!」
突如、礼奈の足元を黒くてモフモフの生き物が円を描きながら現れた。
それは次第に半径を伸ばし大きくなり、5周程で体高2メートルはある狼の様な姿に変わった。背には銀色の翼を一対、四肢先から伸びる爪は太く鋭い。
礼奈は素早く背中に飛び乗る。
「学校へ。一刻も早く。」
ガッテン承知の助と言わんばかりに、咆哮一つあげると、狼は翼をはためかせながら一気に宙へ躍り出た。