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地球侵略マニュアル   作者: 野口マリック
6/8

其の六

今回ちょっと長め。

異星人は車なんて、知っているわけないよね?ってことで、この表現は何なのだろうかと、パラテラ卿と一緒に考えてみてください。

   6


 3時間前。

 持ち前の観察能力及び学習能力を最大限に発揮させた兎人達は、漂泊していた。決して迷子になったのではない。地球の風景に圧倒されて、あちこち見て回っているのだった。

 天までありそうな摩天楼が等間隔に突き刺さっている。一軒一軒の敷地こそ兎国の建造物には遠く及ばないものの、技術の高さは並ではないようだ。

 

 ガイギが珍しいのか、背後から視線を感じる。すれ違った後に振り向くとは、地球人は小賢しくて嫌らしい。こうもジロジロと目をつけられていたら任務に支障を来す。変装用の服を早急に調達しなければならない。タゲェティブ大臣も、パラテラ卿と共通の案件を抱えているようで、目が会うと、お互い頷いた。


 地球の隠れ家が描かれた地図を確認する。一刻ばかり足を動かし続け、目的地まであと少しの距離だ。あとは彼女らだけでも辿り着けるだろう。

(やつがれ)は衣類を仕入れて参りますので―」


 全てを言い終えるより先に、タゲェティブ大臣は手を翳した。

「頼んだ」

 タゲェティブ大臣に隠れ家の鍵と各説明書を手渡す。その他にも、二種類の身分証明書を支給されている。名刺のような形をしたものと、紅色の手帳のようなものだ。地球の通貨同様、贋物と見分けられない精密さだ。


 十字路で別れを告げ、地球人が縞模様の道路を横断し始めたのに便乗してパラテラ卿は反対岸に渡る。なるほど、地球人はあの色とりどりな箱型乗り物の間を縫って渡ることができないから、こうして赤と青の光で歩行者と箱を分けているのか。


 人間化してから、神経が敏感になったようで、肌にブツブツが現れている。四肢は思い道理に動かないし、指は固着したかのようだ。顎が忙しなく痙攣し、歯がガチガチ鳴っている。

 これが書物に記されていた《気温》による影響だろう。人間は、敏感というより、虚弱なのかもしれない。体力がどんどん消耗されていく。

 パラテラ卿は服屋らしき建物の前で立ち止まる。

「ここか……」

 意を決して建物内に這入る。人間が纏っていた衣類がそこかしこに積まれているところを見ると、ここが服屋で合っているようだ。

 天井に散りばめられた光源の正体が気になったが、地球における神羅万象に驚いてはならない。怪しまれるからだ。


(たの)もう」

「い、いらっしゃいませ」

 店員が警戒心を宿らせながら怪訝そうに目配せしてきた。しまった、なにか場違いな言動をしてしまったか。


人間は建物内では全裸にならないのだろうか。だが、ここは服屋だ。模倣として店員が服を着ていてるとしたら納得できる。さぞ不本意だろう。

「すまんが、寒くてな。暖かい服を探している。私と、女性ものを二人分だ。内、童が一人だ。頼めるか」


 店員はなおも怪訝な顔をしていたが、何かを諒解(りょうかい)したように顔を明るくさせた。

「お、お任せください。……あ、コスプレをしているんですか?」


 危うく聞き返してしまいそうになったが、怪しまれるわけにはいかないし、知っていて当然だと言わんばかりの口ぶりだ。変に刺激しないほうが良いだろう。

「―そうだ。だが、欲しているのは、その、普通のだ」


 店員が口元を抑えて肩を揺らす。

「凄いクオリティですねぇ。―そうですね、こちらのコートなんてどうでしょうか。今季のトレンドなんですよ。あとは……こちらのセーターと合わせるといいかと思います。お客様は背が高いので、スタイリッシュに見えますよ。暖かくて、機能性もあるんです」

 店員が提示したのは、赤色のゴワっとしたアミアミと藍色の裾が長い分厚い上着だった。


「ほう、ではそちらを買わせて貰おう。履物も探しているのだが」

「……靴下でしょうか」


 地球の歴史書によると……。.

「いや、は、袴だ」

「パンツですね?」

「そ、そうだ」


 新たな棚へと案内された。

「こちらのボトムスなんてどうでしょう。裏起毛で、暖かいですよ。先程のコートと合わせていただくと、シュッとしてお似合いかと思いますよー。あとは、このインナーを着ていただくと、発熱して、重ね着しなくてもいいんです。私も今着てます」

「発熱!?」

 布が熱を帯びるというのか。地球にはたまげた素材があるのだと、パラテラ卿は目を剥いた。


「はい、汗を吸収してそれを熱に変えるんです」

 店員は打って変わって、事務的な口調に変わった。叩き込まれているようだ。つまりは、同様の質問が多数あるのだろう。真新しい技術という事実に直結する。

 ―汗とはなんぞや。


「承知した。こちらも頂こう。婦人服だが、身軽な物がいいとおっしゃ……言っていた。拘りはないようだから、店員に全て任せると」

 目の前の女は難色を示した。 

「失礼ですが、その方達のおよそのスリーサイズなどはわかりますでしょうか」

 ―すりーさいず?


 またもや知らない単語だ。だがここで聞き返してはならない。地球人は知っていて当然のように話すものだから、何を問うているのか自力で導き出し、取捨選択を課せられる。だから今までの会話で、何を聞き取らんとしているか察する必要があるのだ。


 地球人は兎人の知らない言語を操るようだ。今後も彼等と会話する機会は絶対的にあるので、この謎言葉を早急に覚えなくてはならない。


 この女はひょっとして、寸法を聞いているのではないか。今ここにタゲェティブ大臣はいない。すなわち、体格がわからないといえる。

 服屋が不在の兎人―体は既に人間だが―に求める情報といえば、それに違いない。


 とはいっても、兎国と日ノ本ノ国では単位が異なるだろう。

「肖像画でもあればよかったのだが、えーと、大人のほうは」

「しょうぞう……」

 女は耳と頬を赤く染め、顔を反らした。


 ―地球では二人称をなんと呼ぶのだろうか。

「背丈はき、貴女と同じくらいだ」

 店員は口に手を当てて鼻息をふっと吐いた。正しい呼び方ではなかったらしい。


「そ、そうですか、バストなど分かりますかね」

 女は、胸周りを腕で動かして示した。

「……握り拳2つ分重ねたくらいの高さだ」

 パラテラ卿は、心臓の当たりに拳2つを積んだ。

「DかEといったところでしょうか?」


「そうだな。いーと言っていたのを思い出した」

 でぃーを上手く発音できそうになかったから、消去法である。

 「下着も頼む」と付け加えた。女は眉を顰めたが、「畏まりました」と頭を下げた。


「お子様のほうはぁ……」

 兎国では十を過ぎたら成人なのだが。

 はて、ニュービーン姫の背丈はどうだったか。パラテラ卿は朧げな記憶を頼りに、胸のあたりに手を当てる。


「このくらい……だった筈だ」

「なるほど。レディースでも大丈夫じゃないですか?どうされます」

 ―れでぃーす、だと?

 半世紀たった現在でも、日ノ本ノ国以外の言語は消滅していないのだろうか。だとしても、文字どおりの死語を多用しすぎている気がする。


 そんなことより、今は会話に集中するべきだ。

 知っている単語とやりとりを反芻する。

 『寸法』『子供』『大丈夫』……。

 わかったぞ。

「大人用でも構わない。まだ成長するかもしれないから」

 実際、パラテラ卿邸に飛び込んで来た時には、一年前と比べて背が伸びたのではないかと思った。


「そうですか、多感な年頃ですしね」

 ―コツを掴んできたぞ。

「モデルさんのようなファッショナブルなルックスか、質素な大人な感じにするか……。どっちですかね」

 前者はなんだかよく分からなかったが、地味に越したことは無い。


「落ち着いている子でな。目立たない方が好みらしい」

 実際の性格は正反対なのだが。


「畏まりました。う~ん、コレとタイツに、こちらのトップスをチョイスして、カーディガン……、デニムパンツにこのブラウスとコートに、落ち着きを出す為に黒系のマフラーなんかもいいかもしれませんね。このジャケットにロングスカートの線もあるしなぁ」


 前言撤回だ。パンツしか意味が把捉出来なかった。鼻を折られ、パラテラ卿は塩をかけられた青菜の様にしょげる。

 これは壱號機帰還の際に伝来した言葉だ。諺や、慣用句、故事成語等が挙げられる。


「済まない。若者の言葉は良くわからなくてな」

 これで逃げられると思ったが、なんと店員は特徴のある引き笑いをし始めた。愛想笑いではないのは一目瞭然だ。


「アハハ、お客様、ご冗談はおよしください。充分お若いじゃないですか。というか、私と同じ位ですよね」

 パラテラ卿は隕石を喰らったような衝撃に襲われた。


「あ、ああ、はは。そうだったな。……あー、殿方の私には決めかねる。任せるから、三着ほど揃えてくれ。3人分をだ」

 中々良い言い訳だろう。


 店員に連れられて店内を回っているうちに、積み上がった着物で店員の顔が見られなくなっていた。

「これくらいあればいいだろう」

「ありがとうございます、ではレジにお並びください」

 

 赤い光線を放つ白い棒を、衣服に付いている紙に当てていく。地球人は縞模様が好きらしい。

 というより、人間はこれくらいの計算すら暗算出来ないのだろうか。

「お会計は、カードでよろしいでしょうか……」

 言いづらいのか、言葉を濁して伝票を渡される。

 ―なんだ。たったの六桁ではないか。


「これではだめか」

 事前に用意していた紙束の一割を渡すと、店員は目を点にして受け取った。両手一杯の袋を受け取った。


「ありがとうございました!えーと、着て帰りますよね?こちらの試着室でお着替え下さい」

「ああ、また参ろう。世話になった」


「あ、お客様、お釣りを!」

「いらぬ」

「でも、この額ですし……」

「何度も言わすな。―では」


 地球産の衣類を着ると、嘘のように全身が弛緩した。これが《温かみ》だろう。人間は機能性を犠牲に、温かみを手に入れているのだ。

 忘れないうちに、やり取りを手記に書き入れる。


 重たい荷物をえっちらおっちら運びながら、時間をかけて隠れ家に辿り着いた。道中、何度も「兎国だったら」と想い馳せた。


 地図を辿って隠れ家に付くと、下から三番目の窓から、ニュービーン姫が顔を覗かせた。

 ガラガラと音をたてて開け放たれた。裸だからか、身震いした後すぐに身を縮こませた。

「あ、帰って来た!おーい!何持ってるのぉ?」

 屈託のない笑顔に魅せられて、パラテラ卿も笑顔を向ける。

 形では成人していても、やっぱり子供らしくて、微笑ましい。


「衣類ですよ」

「いるい?」

「はい、今(やつがれ)が着ているのがそうです。お召しますか?」

「うん!」

 ニュービーン姫は興味津々、居ても立ってもいられない様子で窓に足を掛けた。飛び降りるつもりだろう。

 パラテラ卿は無邪気で可愛らしいなと思いながら見届ける。


 ―ちょっと待て。


「あ、駄目です!やめてください!飛び降りてはなりません!直ちにお戻りをっ!」

「えー、けちぃ」

 無視してもう片方の足を掛けようとしているが、窓枠の位置が高いからか、幸いにも苦戦している。


「大臣、タゲェティブ大臣!?」

 彼女は腑抜けでも頭はキレる。それに賭けるしかない。

 最悪を想定して、地面に袋を敷き詰める。必死の説得を試みた。

 

 理詰めで説明したって解せないだろう。

「あっ、そちらに投げるのでお受け止めください!いきますよ」

 反論の余地も許さないよう、間髪入れずに構えの姿勢をとる。

「わかった!」

 ニュービーン姫は嬉々とした様子で両手を差し出した。もし手を滑らせて袋が落ちてきたとしも、害は無い。


 発熱する薄着の入った袋を手に取り、「せーの」と投げ上げる。力の加減がわからなかったが、幸い丁度いい高度だった。

「おおお!」

 ニュービーン姫は案の定頭を引っ込めた。

 

 袋の中身に彼女が見入っている内に、這入ってしまおう。

 隠れ家に駆け込むと、残りの袋をこれでもかと言わせるほど、小さくて狭い部屋だった。更に三人で住むと来たものだから、やっていられない。


 部屋は服屋よりも《暖かい》。この分厚い衣類も着ていられないくらい暖かくなってしまったので、脱ぐことにした。全裸を前提とした室温なのだ。


「くっ、どうやって脱ぐんだこれは」

 殆ど店員に着付けられたので、仕組みが不明だ。

 丸くて半透明な接合部(ボタン)を千切らない程度に引っ張ってみる。からくりが判明し、次々に解いていく。

 一枚目を脱ぐと、次はチリチリする服が現れた。確かせーたーといったか。

 これも脱ぐと、発熱衣類が現れる。それも脱ぐと半裸になった。


 袴も脱ごうとしたが、腰の帯が邪魔だ。切ってしまおうかと思ったが、意外にも簡単に外せた。

 次に股引を脱ぎにかかるが、妙に肌に張り付く。


「ああ脱ぎづらい!」

 実に一分。人間はただでさえ短い命なのに、常軌を逸している。ガイギなら、一秒もかからないというのに。

「只今帰りました。衣類です」

 重たい袋を下ろし、肩を回す。人間の体になってから、不満しか蓄積されていない。


 ニュービーン姫は見惚れたように、ツマミらしき機械をカチカチと弄っている。

 何をやっているのだろうと、声を掛けようとしした刹那、タゲェティブ大臣が奥からやってきた。


「ご苦労。―ほぉこれが。……それにしても、腹が空いたな」

 労いの言葉と共に、暗に新たな命令が下された。

 言われてみれば、空腹だ。喉がひっつく感覚もあるが、これはなんだろう。

「地球人は水を飲むらしい。これを撚ると、水が出てくる。……ほら、飲め」

 差し出された液体を飲み込むと、とても気持ちがいい。今まで感じたことのない快感だ。

「ありがとうございます」


 兎人は一ヵ月に一度、地中に生息する『ニジア』を頭一つ分ほど食する。

 対し、人間はどのくらいの頻度で食事をするのだろうか。三日に一食の頻度か、その周辺だと当たりを付ける。

「では、行って参ります」


 また着衣するのは億劫だったが、仕方がない。着方を忘れてしまったので、脱衣より一分多く掛かった。


 扉を開け、目の前の階段から危うく飛び降りそうになってしまった。捻挫でもすれば、任務遂行に支障を来す。


  幾分暗くなってきている。道路は等間隔に明かりが灯る。夜道でも明るいとはか地球人は中々知恵を持っている。


 喧騒とした表通りに出ると、最初にすれ違った人間に声をかける。人間用の服装だったお陰か、今度は怪訝な目で見られなかった。

「すまない、食品店を探している。最近越してきたばかりでな」


 振り返ったのは女だ。パラテラ卿に人間の年齢などわからないが、シワがないのでそこそこ若い。

 女は服屋の店員と同じような反応を見せた。自分の喋り方は変なのだろうか。本意ではないが、丁寧語の方が当たり障りないのかもしれないと悟った。


 女は車道を挟んだ一際明るい建物を指差した。

「あそこです」

(かたじけ)ない」


 一際明るい建物に這入ると、店員が活気付いた挨拶を返す。服屋とはまた違った雰囲気だ。係りの者が近寄ってくる気配すらないので、とりあえず進む。

「さてどうしよう」


 適当に∣彷徨うろつけば食べられそうな物位見つかるだろうと思っていたが、まるで利き目が効かない。過剰な程に真赤だったり真緑なので、どれも毒に見える。上司と姫に服毒させるわけにはいかない。

「これは……」


 《加熱用》と《生食用》の二種類の看板が立っている。対象の食料は青くて長っぽい生き物だ。腹は白く、総じて口を『く』の字に開けている。何より見た目が気持ち悪い。


「加熱するものもあるのか。……わからん、生き物は駄目だな」


 となると、ジニアと同じ、植物ということになる。視覚にうるさく訴えかける毒々しい植物を手に取った。看板には《りんご(ふじ)》とある。

「これ、とかか?」

「あ、失礼しますね」


 灰色の押し車に体重を預けている女が、りんご(ふじ)を3つ手に取った。

「これ、きっと蜜があって美味しいわよ。ポイントはね、重くって、底が黄色くなっているかどうかを見るのよ」

 声の主は老人だ。パラテラ卿に話しかけてきた。パラテラ卿の半分も生きていないだろう、兎人からしたら青二才である。


 好機と判断し、カマをかけてみる。

「そうなんですか、私は、コレを切ってそのまま食べるのが好きでして」

「皮ごと?いいわねぇ若くて。食糧難だった頃は、私達もそうしてたのよぉ」

 貴女の倍は生きてるんですけれどね。と口を滑らせてしまいそうになり、危うく紡ぐ。パラテラ卿は日本歴に換算すると、天保三年生まれにあたる。


 食糧難というのは、『第二次世界大戦』の戦後を指しているのだろう、老人の年齢と年号が一致する。

 となると、結論は基本的に丸ごとは食べないということだ。


 他にも仕入れるべき情報は数多ある。可能な限り聞き出したい。

「そうなんですか。今日は何をお召し上がりに?」

 老人が手に取っている手押し車を指差す。

 訊かれて嬉しかったのか、老人は一層顔の皺を深くさせた。


「今晩はすき焼きなの。孫が来ててね、あの子好きなの」

「へぇ、∣吻合(ふんごう)していますね。私も今宵はスキヤキでして、美味しい作り方のコツがあればお伺いしたいのですが」

「吻合だなんて、博識ね」

「いえ」

 パラテラ卿は愛想笑いを作る。奔放な上司に何万回と作ったことか。手慣れたものだ。

 

 材料から調理方法まで丁寧な説明を受け、頭に叩きいれた。

「ありがとうございます、参考にさせて頂きます」

「いいのよ、ハンサムとお話しできただけで脳が若返ったわ」

 老人に別れを告げると、もう一度店内を何周かする。

 

 食料店の他に、鍛冶屋と雑貨屋が融合したような店で、最高値の食材と調理器具を買い揃えた。王族である姫様に、庶民と同様な食事ではならない。


「それにしても荷物が重いな」

 また一つ悪態をつく。道路の真ん中を走っている、車のような乗り物の購入を検討しようか。


 一人頷き、帰路についた。

 あとは世話騒がせな二人を奉仕する仕事が待っている。……五年もだ。


 なのだが。


 パラテラ卿は隠れ家の路地まで歩くと、透明袋を取りこぼした。

「なん、だこれは」


 隠れ家が轟々とうねりながら光っている。嘗て教科書に記されていた、地球人が戦争している絵そのものだ。

「すまん、パラテラ卿」

「タゲェティブ大臣!これは……」


 物陰から現れたタゲェティブ大臣は、地球の衣類を着用している。ニュービーン姫はどこだろうか。

「姫様があのつまみで遊ばせになられていたんだが、特に危険はないだろうと寝ていたんだ。そしたら、コレだ。クソ、私としたことが」

 

 タゲェティブ大臣は炎を仰ぎながら毒づいた。彼女が取り乱した瞬間を見たのは初めてだった。人をこき使っておきながら寝やがってとは、状況が状況なので感取しなかった。

「それで、姫様はどこにいらっしゃるのですか」

 

 タゲェティブ大臣の表情が更に暗くなる。

「脱出には成功した。だが目を離した隙に……」

「―まさか」

「まさかだ。私は捜索、君は引き続き調査に当たってくれ。見つかったら連絡する」

 兎国特製の通信機を渡された。パラテラ卿には手が届かない代物だ。

「人間が集まる前にずらかろう。ではな」


 タゲェティブ大臣は闇夜に溶けたように去ってしまった。

 あまりの急展開に、思考が追い付かない。タゲェティブ大臣の早すぎる機転の良さに付いていけないだけかもしれない。


 透明袋を持ち上げ、パラテラ卿もひた走る。食材を捨ててまた買えばいいし、錘など捨てておきたいところなのだが、袋から足がつく恐れがある。

 ひとしきり逃げると裏道に周り、膝から崩れ落ちた。疲労も尋常ではない。

「ハァ、ハァ、クソ生物めっ……」

 

 荒ぶる呼吸を整え立ち上がる。

 棒になった足で、頼りもなく、見知らぬ土地に息絶える。

 あんなにも憧れた地球だったのに、全てが崩れてしまった。一世紀に及ぶ努力の軌跡は、無駄だったのだ。

 自棄になっている自分にも嫌気がさし、足元の石ころを蹴飛ばす。 


「ってぇな」

 髪の毛が金色の男が怒号を飛ばした。見上げて確認すると、石が頭に当たってしまったらしい。

「あぁ、申し訳ない」

「申し訳ない、じゃねぇんだよ!」


 男の背後には女がいる。逢引き中のようだ。

「わざとではないんです」

 「ああ?」男がにじり寄り、パラテラ卿の胸ぐらを掴む。


「やめてくれませんか。私、今無性に腹が立っているんです」 

「んだとてめぇ」

 男はパラテラ卿を持ち上げる。パラテラ卿は袋を落とした。

「謝れよ」

「謝りましたが」

「それで済んだら警察は要らねぇんだよ。ちっ、わかんねぇやつだな……」


 なおも手を離さない男に、パラテラ卿の堪忍袋の緒が切れた。

「……わからず屋は貴様だ」

「あぁん?」

「―人間風情が僭∣(せん)するなっつってんだ」

 掴まれている手首をへし折ると、男は尾を巻いて逃げ出した。「下等生物がっ」パラテラ卿は吐き捨てた。


「……しまったっ」

 不満が募っていたとはいえ、暴力沙汰まで発展させてしまった。初日で掟を破るなど、赦されざる行為だ。

「まあ、平気だろう」

 大臣だって∣不羈奔放(ふきほんぽう)にやっているんだ。ここは∣漸進的(ぜんしんてき)に状況を打開する事が先決だ。


 女は放心したように動かない。どころか、舟をこいている。

 逢引き中ではなかったらしい。

「大丈夫ですか」

「うん」

「あの……」

「お礼してあげる」

「へ?」

「いいから、何かお願い事言って」


 パラテラ卿は、この僥倖を逃してはならないと本能的に察した。

「……実は私、旅をしていまして。数晩泊めてもらえないでしょうか。あ、もちろん宿泊費は支出します」

 女は考える素振りを見せる。

「うーん。わかったいいよ」

「あ、ありがとうございます」

 

 風を凌ぎたかったパラテラ卿の悲願が叶うとは思わなんだ、深く礼をする。

 目が虚ろで、∣蹌踉ろうそうとした女に多少の警戒心は持つべきだが、我儘をいっていられる状況ではない。

「ここ」

 女が指定した住処は、嘗て燃え落ちた隠れ家と大差ない見た目だ。広さも変わらないだろう。

「お邪魔します」

「どうぞ〜」

 

 第一印象は、散らかっている。

 ゴミ屋敷とまでいかなくても、様々な小道具が散乱していた。奥の部屋から漂う、鼻につく刺激が特徴的だ。

 反して廊下は掃除が行き届いている。

 パラテラ卿はゴワッとした上着を脱ぎ、机上に置いた。焼け落ちた隠れ家は全裸前提の室温だったが、この狭い家のそれは外と変わらない。


「腹が空いたのですが、調理場を借りてもよろしいですか」

「うん」

「では拝借します」


 これからスキヤキの支度をするのは億劫だったので、面倒な料理は翌日に持ち越すことにした。買った緑の球と、黒い液体の入った容器と一緒に袋を縛り、棚の上に置く。手軽に摂取できるりんごとみかんを腹に入れることにした。兎人が一ヶ月間生活するには申し分ない量だ。

「橙色のコレ皮が硬いな」


 爪で引っ掻いても剥けそうにないので、真っ二つに割る。

 香りと手応えがなんだか気持ちよくて、もう半分に割った。

「おお、剥けたぞ」

「それ和歌山流だよねぇ」

「え、ああ、そうですよ」

 ―みかんの剥き方には流派があるのか。


「あ、一欠片どうぞ」

「あーん」

「……?」

「口に入れて」

「え、ああ」パラテラ卿はみかんを女の口内に放り込み、毒味をさせた。善意で分け与えた訳ではない。


「ん、甘い」

 女に躊躇はなかったし、即効性の発作は見られなかったので、パラテラ卿も恐る恐るみかんを口にした。

「む、むむむ、なるほど」

 不味くはない。不思議な食感と刺激だが、直慣れるだろう。


 うんうん唸りながらみかんを完食し、ガサガサと喧しい袋から皮と引き換えにりんごを取り出した。

「割れんな」

 みかんとは違い、爪が引っ掛からない。皮は薄そうなのだが、手や机で擦っても一向に剥がれそうにない。

「これ食べますか?」


 匙を投げてまたも毒味をさせようと差し出したが、女は視界から消えていた。

 というのも、女は大の字に倒れていた。

「! やはり毒かっ……!」


 見るからに怪しい警戒色のブツブツとした楕円体を何故食べようと試みたのだろうか。後悔したところでどうにもならないが、慌てて吐き出そうとも、上手くいかない。要領がまるで違うのだ。

 ―ここで死ぬのか。

 心中した自分を想像すると毛が逆立った。

 混乱状態に陥りそうになりながらもがみかんが致死毒か確かめる為に、顔を女に寄せた。

「すぴー、すぴー」


「ね、寝ているだけか」

 ホッとすると同時に、どっと倦怠感が押し寄せる。今日はもう寝てしまいたい。昼夜も逆転している。

 

 そういえば老人が、そのままでも食べられると言っていたことを思い出し、剥き方の模索も面倒になり齧りついた。

 実は意外にも白い。みかんとは違って味もあっさりしている。


 シャキシャキと咀嚼しながら、種を袋に吐き出す。∣(へた)と軸を残し、袋の持ちてを結んだ。

 満腹とは程遠いが、寝床につく事にした。所詮姑息な腹ごしらえだ。翌朝になったらまた店で果実を買おう。


「……運ぶか」

 廊下で寝息をたてる女を、部屋にまで運ぶ。折り畳まれた布団を広げる。

 女を横にさせると、パラテラ卿は全裸になり床に寝そべった。

 ところが6倍ほどまで重くなった自重により節々が痛くなり、とても眠れそうにないので、女を布団の端まで転がし、半分借りた。


「駄目だ眠れん」

 家の中なのにも関わらず、隣りで服を着たまま寝ている女がいるのだ。眠れという方が無理だ。

 掛け布団を一旦剥がし、女も裸にさせる。わざわざ邪険に扱う必要はない。恩義もあるにで、ちゃんと服は畳んだ。

「これでいい」

 自分は地球の常識を知らなすぎる。このままでは化けの皮が剝がれるのも時間の問題だ。女が目覚める前に置手紙と謝礼金を置いて書館へと赴かなければならない。


 今日は蹉跌だけで一日が過ぎ、明日は読書で一日が終わりそうだ。月でも地球でも、書物から離れられることが出来ない運命に諦観しつつ、喜びもまた密かに感じている。

 つっかえがなくなり、パラテラ卿は瞼を閉じると、途端に睡魔が襲った。


 兎国を離れようと、あの人の眩しい笑顔は、毎晩脳裏に現れるのだった。

 パラテラ卿は、フッと鼻で笑った。この失笑の宛先は誰に向けたもだったのかを理解する前に、意識が消えた。

どうも、野口マリックです。すみません、わざわざ分かりにくい表現を多用してしまって。

色とりどりの四角い箱っていうのは、車

腹が白くて口がくの字っていうのは、魚

はい。これは作中の一例です。

映像化したら楽なんでしょうけど、そんな夢物語を見るのは止めておきます。それに、頭を捻って考えた表現で、皆様に苦労していただきたかったのです。笑


ではまた次回!

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