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地球侵略マニュアル   作者: 野口マリック
3/8

其の三

 蛙の鳴き声を聴くために、最近は窓を開けて寝ている。泥棒さん、チャンスですよ

   3


鎌倉寺詠子(れんそうじうたこ)は満員電車に揺れる。

帰宅ラッシュのこの時間だ。腕時計を目の前に翳せぬ圧迫の中で、前後左右と肩をぶつからせながら、ただ無心で吊革を掴む。

 車窓は気温差のせいか曇っていて、景色をぼんやりと眺めることすら赦されない。酔ったら遠くを見ていろと小学校の教師に教わったけれど、いざ使えないようではその教訓は役に立たない。


 普段ならあと3駅乗車し、そこから徒歩でアパートにたどり着くのだが、今日は友人と夕食の約束をしている。

 次の駅で降りたら、改札口で待ち合わせ。

 奢ってくれるというので誘いに乗ったのだけれど、せめて最も混雑する時間を避けて早い便に乗れば良かったなと、後の祭りながら後悔する。


 詠子は都心の芸術大学に特待生として入学した。3ヶ月前に成人を迎えた。

 両親もおらず、唯一の肉親は実家に隠居している母方の祖母のみだ。最後に会ったのが誕生日。旦那を亡くして未亡人になってから早十年が経つが、元気に日々を送っているので、孫としては安心である。顔の皺を一層深くしてプレゼントしてくれた画材は、大切に愛用している。とはいうが、顔を合わせる度に老衰していく様は、やはり目も当てられない。


 主席の権利もあって学費は免除されているものの、塾の講師として稼いだアルバイト代は家賃と生活費に消えてゆく。余った金銭は、絵の具とキャンパスにあてがわれて消えてゆく。学校から拝借(ちょうだい)すればいいと旧友に勧められたけれど、仮にも主席が困窮しているなんて噂で浮足立つのは勘弁だった。


 他人がどう思うかなんて気に止めないと豪語する生徒は腐るほどいるが、そっちの身にはなれない。


 上京から長らく経っても、都市部の過密した人口に慣れることはどうしても出来なかった。学校までたったの数駅なのだから、自転車通学、いっそ徒歩も検討している今日この頃だ。


 確か、実家の納屋に祖父が乗りつぶしたお買い物自転車があったはずだ。次帰省する際に、輪行してもいいかもしれない。

 故郷のだだっ広い風景を思い出しながら、身を田舎に投じる。

 

車掌のアナウンスで、降りるまでもう少しだと知り、踏ん張りを効かせる。

電車から吐き出されるように降車した詠子は、祖母から譲り受けた腕時計を見やった。

両針は垂直。待ち合わせの時間ジャストだ。


 駆け足でホームの階段を登り、ICカードを改札に滑らせる。二年前が、懐かしい。一人切符なのに、周囲は電子音と共に去っていくのだ。ひどくオーバーテクノロジー染みていて、まるで過去からタイムスリップした錯覚になった。―地元はそこまで郊外だった。


「お待たせ」

謝罪紛れの短い挨拶をする。

太い柱に背中を預け、文庫本の読書をしていた友人、土貞(ひじさだ)紡美は顔を上げた。


 詠子とは中学高校時代の友人で、共に上京した唯一の旧友だ。通う大学こそ違えども、こうして顔を合わせている。

 如何にも都会っ子なファッションだ。まあ、アパレルショップで働いているのだから、当然といえる。


 紡美は亜麻色のスカンツを胸下で履き、白地のブラウスにライダースジャケットを羽織る。下半身はダボっとした印象だが、ベルトで引き締めているからか、スタイリッシュだ。細めなトップスとマッチしている。

 一目で、センスがあると思わせる服装だ。

 装飾品は付けていない。昔の名残だろう。


 比べて詠子は、ダークグレーのニットにジーンズという出で立ちである。赤いマフラーを巻くことで、多少はお洒落になるかなと思っていたのだけれど、東京で洗練されたファッショニスタを眼前にすると、如何に自分が∣俚俗りぞくな人間なのか思い知らさせる。


 そもそもジーンズを履いている理由が、一週間洗濯をしなくても臭わないからだった。その時点で、ファッションに対する見識の高さが負けている。元より、張り合っているつもりはないのだけれど。

 

 やんちゃな田舎娘だった面影は、今の紡美にはどこにもない。それが、少しだけ寂しい。

 文庫本をダッフルコートの内ポケットに入れた。防弾やらなんだと少年のような台詞を思い出し、失笑する。


「じゃ行こっか。近くに美味しいって評判のイタリアンがあるんだって」

 前置きなしに本題に入るのは昔から変わっていない。せっかちなのだ

「うん。……え」

《イタリアン》という単語の意味を吟味し、明らかにお高いやつだと気付く。明らかに、コストパフォーマンスに優れた大手チェーンではない。

詠子はファミリーレストランで井戸端会議と愚痴を聞くのかとばかり思っていたから、拍子抜けた。


「悪いよ。それは」

今日は紡美の奢りという建前で来ている。必要最低限は持っているが、勿論高級店で支払える額はないし、有り金を叩いたら火の車になってしまう。

紡美は有無を言わせないように、腕をブンブン振った。

「いぃいぃいぃ!いいの、いつもお世話になってるし、カレも喜んでるから」


お世話というのは、紡美カップルにデッサンのレッスンをしてやっている事だ。

 紡美は美術のセンスがある。彼氏の性格もいいし、彼は上達が早い。詠子のアドバイスを素直に受けてくれるからだ。一つ年上なのにも関わらず、傲慢な姿勢は一切みせない。教え(がい)のある好青年といった印象だ。


 詠子には絵の講師が務まる自負はないけれど(小中学生に国語と英語を解りやすく教えられる自負はある)、人に教えることで新たな発見がある。それに、素人の意見は玄人(ようこ)の感性を刺激させるので、先生もまんざらではない。週一回のペースで紡美宅を訪問している。無論(タダ)だ。明後日の日曜日も訪れる予定だ。


 二人共、イチャイチャせずに詠子の授業に耳を傾けてくれている、熱心な生徒だ。並んで黙々とデッサンするカップルというのは、画になる。密かにデッサンしているカップルをデッサンしているのは、秘密だ。一周年記念にプレゼントしてあげようと決めている。

 ただ、美男美女カップルというのは、∣客臘かくろうの24日も独りで過ごした詠子にとっては、なかなかに()るものがある。


「じゃあ御言葉に甘えて……」

断る言い訳を失った詠子は、礼を言って付いて行く。


駅から出ると、寒波に頬を撫でられる。

 身が縮み、腕にかけていた外套を羽織り直した。祖父の形見だ。男物の真っ黒なオーバーコートは、決してお洒落ではないけれど、とても暖かい。


「詠子って、彼氏まだいないの?」

「えっ、いないよ」

 唐突だったものだから言葉に詰まってしまった。この前に会った時も、同じ質問をされた気がする。

 

「いい加減作れば?ルックスいいんだし、それに今ドキまだ(・・)って、遅いよ」

 紡美はプラトニックな付き合いではない。

「いいでしょ別に。私はヒロより可愛くないし。それに彼氏なんていてもアレだし、付き合えるお金も余裕もないよ」

 アレに当て嵌まる台詞が思いつかない。


 つっぱりながらも、内心では焦っている。人と比べて早いか遅いかなんてことは、どうでもいい。しかし、生涯を省みても、初恋経験をしていない。これに不安を感じていた。


 中学高校と、何度か告白された経験はあれど、気持ちが昂らない。目の前の男子は総じて顔を赤くしているのに、冷めた自分がいつも背に立ってこちらを見透かしている。

 告白というのは、どこか、切り取られた陳腐な青春劇のような気がしてならない。目の前で背を凍りつかせている者達を、皆不憫に思った。

 畢竟、彼らは私とセックスしたいだけに過ぎないオスだ。


 体だけが目的ではないだろうと理解はしている。でも許容はできない。

 言い方は悪いが、最終的には己を孕ませることで、繁栄しようとしている。過去何十億年と、歴史が証明している。


 だから、何と返事をしていいかも不明瞭で、ドラマなどで得た知識で謝った。

 交際の申し出を断っているうちに、自分は何も悪くないのに、謝罪するのが癪になった。爾来(じらい)、男の人と仲良く話すのを控えた。


 結果、下心を滾らせて告白する輩は減った。最後に告白されたのは、確か高校の卒業式だ。さっさと帰ればよかったものの、同性の友達と談笑していたせいで捕まった。暗澹(あんたん)とした気持ちで指定された空き教室まで向かうと、学年で最もはしゃいでいた男子がいた。詠子を除く女子にも人気があった。裏で他の者が乱入してこないように、準備や暗示を重ねたのだろう、辺りは不自然な程に誰もいなかった。


 その男子は、やはり陳腐な絵画だった。

 ありきれた模造品など買う筈もなく、「つまらない」と残して学校を立ち去った。その日の空は、飛べそうな位青々しかった。

 私は病気なんじゃないかと疑った。恋愛のできない病気。

 

 未知なる病気のせいか、男子という生物が不思議でたまらなった。なぜ、素性も知らぬ者と付き合わねばならないのか。男子はぶっつけで胸の内を(あらわ)にするけれど、それを受け入れてしまう周囲の同性にも違和感を覚えた。


 己だけが他人と感性がズレていることに不安を感じた。記憶に新しい出来事だ。


 男に持て囃された程度がキャリアではないと信じたい。

 処女を捨てるイコール女という価値観は嫌いだ。女は男に付いていくという慣習が気に食わない。

 集る男は口々に守るだの幸せにするだのを公約を掲げてきた。

 全部余計なお世話だ。


 確かに女性は惰弱だ。高校までは桎梏(しっこく)が繋がれていたから実害はなかったけれど、もう違う。一層警戒心を強めなければならない。か弱い女性が十指の指す所だ。


「まあ、気負いしないでって、高校生なんて子供だし、その付き合いだって全部遊び。真剣に考えてくれるノだって、いるよ」

 それは一理あるかもしれないと思った。

「相変わらず前向きだなぁ」

「ほら画伯さんもレッツポジティブ!」

 背中を強めに叩かれた。


「その呼び方やめてってばぁ」

 ずり落ちたメタルフレームのスクエア眼鏡をかけ直す。祖母が買ってくれたものだ。

 詠子は重度の近視持ちで、寝る時と絵を描く時にしか外さないレベルに視力が悪い。一応コンタクトレンズも持ち歩いているのだけれど、筆を執る度にレンズを破棄していたらコストパフォーマンスが悪くなるので、何かの拍子で眼鏡が割れた時にしか使わないと端から決めている。



 こうしてケラケラ笑っていると、恋愛の悩みなんて萎んで小さくなる。

 このまま、なくなってしまえばいいのに。


 暫しビルの谷間を進む。

 ∣櫛比しっぴした飲食店が軒を連ね、街路は喧騒としている。そろそろ夕食の頃合いだ。仕事帰りの背広姿や、大学生と思われる若者が、続々と明かりに吸い込まれていく。


「ここ!」

紡美は足を止めた。詠子はイタリア国旗が上っている建物を見上げる。モダンテイストで、証明の当てられた看板、店内のシックな雰囲気は、一瞥くれただけで学生お断りを醸している。


這入るのに躊躇するが、紡美はスッと入店してしまった。

 詠子は溜息を零してから、後を追う。

「何名様でしょうか」

慎ましい態度の店員が近寄ってくる。


「予約してた土貞です」

 ―よ、予約!?

 店員は丁寧にも頭に入れていたようで、確認を取らなかった。

「恐れ入りました、土貞様ですね。お待ちしておりました、こちらのお席へどうぞ」


二階に案内された席は窓際だった。他の客はまだ見えない。

 厨房の騒音すら聞こえないので、落ち着いたジャズのみが聴覚に訴える。


コートを脱ぐと店員が受け取り、ハンガーに掛けてくれた。椅子も引いてくれたので、これはいよいよお高いところだと身構える。と美はちゃんと持ち合わせがあるのか、心配になってきた。

 向い合わせで座ると、和やかなBGMのせいか気分が弛緩する。


「とりあえず、ビール。詠子は?」

 詠子は酒類を苦手と心得ている。肝臓のアルコール分解能力が低いせいだ。成人祝いで祖母が日本酒を開けてくれたが、五杯目以降の記憶が曖昧だ。

 ただ、肝臓が弱いお陰で、ストレスが溜まっても酒を呑む癖が付かない。結果、生活費が浮くので助かっている。

 

 本音を言えば水でいいけれど、それでは怒られる。

「ジンジャーエールで」

 承った店員は階段を降りていき、すぐに戻ってきた。

 ―グラスが小さいな。

 流石は都会だ。

 飲み物を手に取ると、紡美がビールを掲げた。つい、あの一杯で幾らして、絵具が幾つ買えてしまうのだろうと換算してしまう。


「それじゃ、先生にかんぱーい」

「先生じゃないってば。乾杯」

 紡美は∣屡々(しばしば)、変わったニックネームを用いて茶化す。詩子もまんざら嫌ではない。

 苦笑しながらもグラスを軽くぶつけ、両者一思いに煽る。香辛料の辛みが鼻から抜ける。久し振りの炭酸飲料に∣曖気(あいき)が漏れそうになったので、詠子は鼻を啜った。


 紡美は机に置かれているメニューを開いた。机上には人数分配置されていたけれど、奢ってもらう立場で先に手に取ったら∣顰蹙(ひんしゅく)を買うだろうと懸念し、暫し待ってから冊子を広げた。

 詠子は出来るだけ安価なもので済まそうと、料理よりも料金を睨んだ。


「ねぇ、このキノコのパスタ頼もうとしてるでしょ。しかも単品で」

 うっ、と息を詰まらせる。チープで、尚且つ腹に溜まりそうな名から、速攻で決めたのだった。

「……図星」


「ダメダメ、もっと贅沢して」

 詠子は人差し指で口元を被せるように人中を撫でてから、鼻頭を摘まんだ。

「……変わらないね、その癖は」

 紡美は目を細めた。


「えーと、生ハムにこの鶏のフリッツ、海鮮パスタ、鯛のカルパッチョね、決定。異論は受け付け、ない」

 どれも値を張るものばかりだ。嫌がらせかよと思いながら、詠子はキノコパスタの次に安いものをチョイスした。

「何言ってんのさ」

「……うん?」

「いや、今のは詠子の分。これくらい、食べれるでしょ」

 

 詠子は常からまともなものを食べていない。食事に興味がなく、栄養が取れればそれでいい、というのが持論だ。顎を動かしている暇があったら、絵を描いていたい。

 確かに食べきられる。回答は容易だけれど、問題はそこではない。どれも値を張るものばかりだ。


「悪いよ、それは」

 紡美は呆れた様子で深くため息をついた。

「今日はソーユー日なの、言ったじゃん。まあ、滞納した授業料だと思って」


 そう説得されてしまうと、反論ができない。紡美には言い包められてばかりだ。この二人の関係は、出会ってから変わっていない。

「すいませーん」

 紡美は店員を呼びつけた。

 案の定、詠子のメニューは宣言通りの内容だった。紡美もうんと食べるらしい。


 紡美はどうやら飲酒をするようだ。知らない単語だったけれど、グラスの数を訊かれていたのでそこから察した。ワインだろうか。


「2つで」

 店員は確認をとると、ペンとメモ帳を胸ポケットに仕舞い、階段を下って行った。

「え、ちょ待って。私は要らないよ」

「一口位いいじゃない。たしか、酔っちゃったのって日本酒でしょ」

 それにしても記憶力がいい。嘗て報告したことがあったっけか。詠子自身は雑談の一つとして片づけてしまっているせいで思い出せない。


「種類で酔う酔わないあるからわからないよ。私のお父さん洋酒好きなんだけど、日本酒がだめなの。ほら、いつもストイックなんだから、今日くらいパーっとね」


「へー。じゃあ試してみたい」

「じゃあおつまみ一緒につまもう」

 詠子はストイックでもなんでもないし、本音を言えばワインなんてどうでもいいのだ。あーだこーだ突っ込まれるよりも、一杯付き合ってやった方が手っ取り早そうだ。


 紡美は「ねえちょっとさ」と、手招くように指を振る。

「そういえばさっきバイトで面白いお客さんがいたんだけどぉ……」

 いつもの長いトークが始まる。

 詠子は毎度聞き手だ。ならんずく語る訳でもないのに、ジンジャーエールで口を湿らせた。

どうも、野口マリックです。あー、ちょっと待ってくださいね。今、他の小説の後書きを参考にしてますから……


 ―はい。このお話を読んでくれた皆様、ありがとうございました。……えーなになに?『今回は○○な回でしたが』……ほう。

 ―はい。今回はセカンド主人公?、メインヒロイン? とりあえず、鎌倉寺と書いて、レンソウジと読む鎌倉寺詠子が初登場しました。詠はウタと読みます。

 裏話(なのか?)を言いますと、彼女の出で立ちは100%僕の好みで描写しました。私はサバサバした子が好きでして……、私の性癖はいらないですか? そうですか。

 さて皆様は、パラテラと詠子はいつ会うのかと。そうお思いでしょうが、もう少しお待ちください。あれ、このくだり既視感あるぞ……?

 えーゴホン、ではまた次回。まだストックあるので、よろしくお願いします!

 ではっ

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