婚約発表4
月日は瞬く間に過ぎ、出立の秋がやってくる。
王都では華々しいパレードが開催され、ユミエルガは美姫として存分に民草を賑わした。
婚約相手はついぞ現れなかったが、それも北壁が大改修中と言われれば責めることもできない。代わりに現当主であるジュリウス伯が現れたが、国王への奏上を済ませると先に領地へ戻ってしまったため、ユミエルガは嫁入りの一行を引き連れて後から旅立つことになった。
途中までは親戚の公爵や父のフェルゲン錫公もついてきていたが、なにせ田舎へと進む道中である。面白いものもなければ面倒もあるわけでもなしと、ユミエルガの遠慮もあって途中からはどんどんと共連れも減らしていき、北方辺境領に入る頃には当初は三十あった馬車も五つだけとなっていた。
「このくらいであれば面倒とも思われないでしょう」
「姫様〜これだと貧相じゃありませんか〜?」
年若い侍女のメロディアナの言い分に誰もが頷きかけたが、ユミエルガは扇子を閉じて言い切った。
「花嫁たる私がここにおります。他事は全て添え物なれば、なにが貧相というものでしょう」
その姿は往年の女主人もかくやという貫禄と威厳で、まだ十八とは到底思えるものではない。下手な小娘が言えば笑いもとれようが、北方辺境伯の使いとして同道している伯弟スヴェン・フォン=リーガ・オーリンゲン将軍も、思わず見とれた迫力だった。
ほぼ全ての道程が順調に行ったのだが、最後に一つだけ致命的な事態が起きてしまう。
近郊の町を出立する朝、異例の早さで雪が降ったのだ。良く冷える晩ではあったがまだ十一月の頭と誰もが油断していた。
積雪があると北方領地では途端に身動きができなくなるため、何としてでも降雪より早く北壁へ向かいたかったのだが、ここにきてその目論みは頓挫した。
「さて、どうしたものか」
脛の半分ほどまで埋まる雪を見て、スヴェンは嘆息した。
たとえ少なくなったと言えど五つの馬車を引いて行くには遅くなり過ぎる。道中なにもなければそれでいいのだが、先行させていた斥候からは冬恒例の出稼ぎ山賊共が発見されたと報告が上がっている。
王家の紋章をつけた馬車を襲う命知らずな賊ではないと思いたいが、他国の間者がそこに混じっていれば事態は違ってくる。最悪を想定するならば、馬車は後回しにして姫だけでもつれて駆け抜けるべきだ。
北壁までの道程は、馬車で進んで七日程。馬だけであれば平均五日といったところか。スヴェン達慣れた北の男だけであれば三日でいいのだが、そう言っては元も子もない。
「どうかなさいましたか」
朝早く、出立するかどうかといった外の具合を見ていたスヴェンへ、ユミエルガが声を掛けた。
「少し日程を遅らせようかと思ってな」
「やはり、積雪はよろしくありませんものね」
「先に砦に遣いをやり、迎えと合流する日程で出立しよう」
「……随分と慎重ですのね」
王家に連なる姫君の嫁入り道中だ。慎重にしすぎて悪いことはない。普段なら何か出れば撃退すればいいとスヴェンもある程度楽観視するが、今回は勝手が違う。
「賊の気配がある。臆病者と思われるか?」
「いえ、まさか。スヴェン様の采配とあれば憂うべくもなく。過分のお心遣い、嬉しく思いますわ」
スヴェンが片頬を皮肉気にやや上げたのを見て、ユミエルガは略式の礼をした。
軍略史をも嗜む才媛と聞いていたがそれを鼻にかけるような小娘ではないらしい。出ばなを挫かれて驚きながらも、可愛い娘のようだとスヴェンは眉を下げた。
伯弟として指揮をとり数多の戦場を潜ってきたスヴェンの顔には大小様々な疵がある。一見すると痛々しそうにも恐ろし気にも見えるし、顔の作りも精悍だが、少し頬を緩めると印象が幼くなるのだとユミエルガは知った。兄の領主が狼ならこちらは虎だ。金髪のせいか、なおさらそのように見える。
「では私は侍女達を休ませてきますわ」
「天気が崩れなければ、五日程で出立する予定だ。長旅の疲れを少しでも癒すと良い」
「手勢が必要であればおっしゃってください。念のためお伝えしておきますわ。三名ならば、雪国での戦闘もできる手勢に騎士がおります」
「承知した。お借りすることはないと思うが、有事の際には声をかけよう。ごゆるりと休まれよ」
ユミエルガは丁寧な礼をして宿へと戻っていった。非常に簡潔なやり取りであったと、スヴェンは今更ながらにおかしなことに気がついた。こちらが伏せた情報に気づいてはいたが勘ぐってもこないなど、まるで指揮官同士、あるいは優秀な下士官とのやりとりのようではないか。
「どちらの妻にするにしても、過ぎた嫁だな」
兄の息子は、現在二人。もしかしたら突然年の離れた甥ができるかもしれないが、兄嫁ももう四十を越えているためその線は薄そうだ。
嫡男のヴェルナーは情に厚く、スヴェンと同じ将軍位を預かる猛将だが、頭の良い女を嫌う。
次男のクラトスは快活で天賦の軍才があるが、人の機微に疎い。どちらもまだ子どもだ。
女性の方が性格の成熟は早いと聞くが、まだ十八といったユミエルガの方がずっと大人に見える。この時はまだ、スヴェンはそのように他人事として考えていた。