婚約発表1
王都にある紳士淑女の卵達が滞在する学院には、ここ数年でできた談話室がある。
【 騎士達の語らい 】
生徒達にこう呼ばれる一室は、爵位を持つ子息達の中でも武名の高い家系、あるいは軍事教練において優秀な成績を修めるもの、また時には歴史学における戦史を紐解く者達が集まる、学院の中でも奥に位置づけられる日当りの良い一室だ。
午後には手の空いた者が数人いる程度だが、大半の講義が終わる夕刻ともなれば数組の人だかりがそれぞれ長椅子を囲んで軍盤や戦術解釈に力を入れる。
その男性基準、というよりほぼ男性しかいない談話室の片隅に、一輪だけ花が咲いていた。細い金糸を緩く巻いていても、藍色の瞳の鋭さが他の令嬢とは一線を画す存在感。
ユミエルガ・カトマンズ・フォンナバルテ錫公令嬢。
王錫と呼ばれる王領の采配を取る、公爵家に次ぐ爵位の家柄の姫君だ。
「それでは昨日の続きを。アウラル戦史八章、ブリーズナンの戦いより始めましょう」
長椅子の前の卓に実際の戦場でも使われる軍議板を広げ、周囲の青年達が戦史片手に布陣を再現する。ユミエルガは周囲と比べるには余りにも細い指先で駒を一つ持ち、進めた。
「北壁を背に自軍は布陣。敵勢はクドレッカ族の三千。敵勢は傾斜の勢いがあるものとする。この時、予想被害は平地の1.3倍と試算します」
男達は静かにユミエルガ嬢の声に聞き入り、板上と戦史を見比べている。
「疑問が」
「どうぞ」
「自軍は砦から撃って出たのか。砦の上から弓を射かけるのは常套手段の筈だ」
「ええ、対人戦闘であればそれが定石。けれど敵は北稜線より向こうの蛮族の膂力は強く、近づくだけの距離を許せば投石の類いが北壁を襲います」
「だが敵への有効度は大差ない筈だ」
「自軍陣地への損耗度が変化します」
「人的損害と陣地損害を計りにかけると?」
彼ら将校となるべき若者は、まず敵へ如何にして損害を与えるかを教えられる。その次に味方への被害をどれだけ軽減するか、また被害をどういった面で受けるのかを選ばされる。中でも人的損害は最も憂慮すべき事項だった。
それもそのはず、兵がいなければ軍は成り立たない。兵数が減れば戦力は落ち、再度戦う為には再編の手間も必要となる。これは軍事の基本中の基本だ。
「その通り。北壁はその名の通り、北の防衛線。ここを突破されれば敵の牙は王国内にも深く食い込みます。その時に死ぬのは民草であり、奪われるのは国を潤す食料」
ユミエルガは顔色一つ変えずに述べた。人的損害の軽減は将校の基本だが、時にはそれよりも優先すべき事柄がある。
ここで突破などされなければいいのだろうという馬鹿を、ユミエルガは周囲に許していない。よって口を挟む者はいなかったし、事実この総指揮を取ったブリーズナン辺境伯も同様の考えであったのだろうと納得した。
「ブリーズナンの戦いは年の暮れ、十二月。雪解けは四月から六月の間ですから、まだ冬に入ってすぐの戦ともなれば、夏まで大規模修復ができない北壁の損耗を減らすのは上策です。続けても?」
「失礼した」
「では、まずは経過を」
バタンと音を立てて談話室の扉が開かれたのは、丁度その時だった。多くの目が開かれた扉を見つめ、立っていた令嬢の頬が恥ずかしさに朱に染まる。
「しつ、失礼いたします!姫様は、フォンナバルテ姫様はこちらにおれれますか!?」
令嬢はユミエルガの知己であり、伯爵令嬢であった。火急の用件と即断したユミエルガは扇子を閉じ立ち上がる。
「此方です。皆様、失礼」
「お手を」
「結構。ラヴェル様、続きをお願いいたしますわ」
「承ろう」
「お騒がせして失礼」
従来は女子寮へ警護してもらうのが常であるが、男性に聞かせられない話を考慮してユミエルガは微笑で断りを入れた。戸口で優雅に一礼をして扉を閉めると、もう中の声は聴こえない。つまり廊下の声も中には聴こえないということだ。
「ああ、姫様どうしましょう私こういうのは初めてで、いまもしや大変な失礼を……?」
「まあ失礼といいますか、何事かと言った感じではありましたけどね。エリステラ、まずは三つ呼吸をなさい」
「失礼をいたしました」
「宜しい。では私に何用ですか?」
「王家の方がお見えです。お伝えを運びに、姫様をお待ちです。ご案内いたします」
なるほど、エリステラが駆けてくるわけだ。ユミエルガは納得して足を速めた。
急報と言われれば多少の予感はしていた。だが実際に報せを聞くまで現実味はなかった。
「陛下よりの書状でございます。お確かめください」
「頂戴します」
騎士が携えてきたものは、現王陛下よりの直接の書状であった。これまでに触れたことのない位の書類にあわや手が震えるところだった。
『ユミエルガ・カトマンズ・フォンナバルテ錫公姫へ縁談をもたらす。北方辺境伯爵オーリンゲン次期当主への降嫁を命ずる。この縁談は両家の合意のもと、王家の祝福によって発布される命令也』
なんという。
有無を言わさない文面に二の句がつげず、自身の与り知らぬところで全ての話がまとまった事後報告の書類を見つめ、ユミエルガは頭を下げた。
「拝命致しました」
普段の冷静沈着な姿と変わらないその姿に、特使となって書状を携えてきた騎士は瞠目しながらも席を立った。