再生する意味 7
「イリス! 一体どうしたんですか?!」
背後にラプラの呼びかける声を聞きながら、イリスは混乱する頭で足早に自室へと向かっていた。
「イリス!」
何故、こんなところで彼に会ったのだろう。
もっとも捨てたい時代の自分を知る”彼ら”に、何故。
怖い。
彼らは……いや、彼は一番汚い自分を知っている。
ユエや子どもたちに知られたくない最悪の自分の姿を知っているのだ。
知られてしまう。薄汚く生きてきた自分の姿を、ユエたちが知ってしまう。
全てが嘘と血に塗れている自分を、今度こそ本当に皆が知ってしまう。
歩んできた自分の後ろには、夥しい他人の死がある。それらの亡霊から逃れるかのように、イリスは自室へと逃げた。
「っ……!」
無意識に震える手で、イリスは部屋のドアを開ける。部屋に入りドアを閉めようとすると、それをラプラが拒んだ。
「イリス……一体どうしたのですか?」
自分を心配する眼差しで、ラプラがこちらを見ている。イリスはほとんど無意識に一言「なんでもない」と彼に返した。
「何でもないって……ひどい顔色ですよ? どこか具合が悪いのなら……」
「違うっ! いいから……私に構うな!」
優しさが気持ち悪くて、イリスはそれを拒むように叫ぶ。叫び、ハっとしたように彼は顔を上げた。そして彼は頼りなく小さな声で「ごめんなさい」と呟く。
「違うんだ……こんな……あなたにあたるなんて、最悪だ私……ごめんなさい……私はただ、自分が……嫌なんだよ……」
頭の中がぐちゃぐちゃで、一体自分が今なにを口走っているのかも理解できない。気持ち悪い。吐きそうで、体が震えて、どこかに逃げ出したかった。
「イリス、私の事はどうか気になさらず……それよりも、大丈夫ですか?」
「っ……だいじょうぶ、じゃ、ない……だいじょうぶな、わけない……っ」
答える声は素直な返事だったが、いつの間にか涙に揺れていた。本当の涙はただ苦しい。
嗚咽交じりに「大丈夫じゃない」と繰り返すイリスは、やがてその場に崩れ落ちるように膝をついて苦しみを叫んだ。
目を閉じれば、あの日自分を拒んだギースの瞳が脳裏に思い浮かぶ。
「……イ、リス」
「だって……嫌われたくない……ユエや、皆に……嫌われるのが怖い、よ……っ!」
身勝手な想いだということはわかっていた。
それでも今更に手に入れた平穏な日常が心地よくて、その幸せを失うのが何よりも恐ろしく思えた。死よりも。
「なぜ、自分が嫌われると……?」
膝を付き、ラプラは泣き崩れたイリスに静かに問う。優しく聞えたその問いに、イリスは嗚咽交じりに答えた。
「私は……汚い、から……」
「あなたが汚いなど……」
「汚いよ……汚く生きてきたんだもの……今更、こんな自分が平穏を望む方がやっぱり……おかしいのかな……」
『笑え』と、そう言って自分たちに希望を託していった彼の想いに応える為にも、笑顔で生きる道を探してきた。そして、やっと見つけた答えがこれだったのだ。この場所で、優しくて大好きな人たちの為に自分は力を尽くしたいと思った。
ここが自分の居場所だと、そう思いたかった。
「レイリス、あなたが何を恐れてそんなふうに考えているのか私にはわかりませんが、誰にでも幸福になる権利はあるのだと私は思いますよ」
ラプラの真剣な声がイリスの耳に届く。そう言ってくれる彼の優しさは嬉しかったが、やはり辛かった。
「でも、私は人殺しだよ? それも卑怯な……本当に最低な方法でたくさん殺してきた……子どもや、女性だってたくさん……そんなこと、ユエたちに知られたら……」
「あなたにはそうせざるを得ない事情があったのでしょう?」
「事情はたしかにあった……でもそれは言い訳にはならないよ……私がそうしてきた理由は、自分が生きる為だもの。自分勝手な理由だよ」
「それは正しい理由になり得ると私は思いますよ。自分が生きるためとは、正当な理由です。皆誰しも、自分が生きるために何かしら犠牲を生んでいるんですから。人はそういうものなのです……」
ラプラの言う事も理解は出来た。しかしそれを自分に当てはめるのはおこがましいとも思えた。自分は犠牲にしてきたものが大きく、そして多すぎる。
「それでも……」
「それでもあなたが過去を負い目に感じて恐れるのならば、正直に彼らにそれを伝えてしまうのも選択肢の一つですよ」
「……怖い。知られたくない……」
「えぇ、そうでしょう。誰しも自分の過ちや醜い部分を知られたくはありません。それが大切な人ならば尚更。しかし過去は変えられません。過去ありきの、今の自分なのですから」
真摯なラプラの言葉に少し驚き、イリスは顔を上げる。涙の視界の先には、どこか寂しげな笑みがあった。
「過去が罪と思うならば、悔いてこの先を精一杯に生きるしかありませんよ、レイリス」
「いき、る……」
死の淵に立たされた今、改めて自分が生きる意味を教えられた。それは皮肉か、それとも別の意味あることなのだろうか。後者だと願いたい。
「ラプラ……」
「はい、何でしょう」
「ありがとう」
「……はい」
エプロンの裾で涙を拭い、イリスはラプラにほんの僅かな笑みを向ける。
「本当に……あなたはいい人だね。私なんかの為に、真剣な言葉をくれた……」
イリスのその言葉に、ラプラは困ったような笑顔を返した。
「大体いい人で終わってしまうのが私にとって辛いところですけどね」
冗談交じりのその返事に、イリスも少し困った笑みとなる。
「今思ったけど……ラプラって少し私の兄に似てるかもしれない」
「お兄さんがいるのですか?」
驚いた顔を見せるラプラに、イリスは「今はいない。ずっと昔に亡くなってしまったから」と答えた。
「そうなのですか……」
「でも、なんだか懐かしい……兄もちょっと変な人だったけど、でも優しくて真剣な人だったから」
「へ、変……変ですか……」
時々彼の好意は迷惑だけども、しかしラプラのことを嫌いにはなれないのはそういう理由からかもしれないとイリスは思った。
「……そう、だね……怖くても、逃げちゃいけないよね……」
呟き、イリスはゆっくりと立ち上がる。共に立ち上がったラプラに、彼はまっすぐな視線を向けてこう言った。
「話そうと思う……私のこと、ユエたちに……」
その結果に彼らに嫌われたら、それが自分の罪なんだと認めようと思った。




