再生する意味 3
”禍憑き”を調べる為に一人中央大陸のボーダから東のヒュンメイ大陸へと渡ったアゲハは、ユーリが受け取った手紙に書かれていた住所の地へ向けて足を進めていた。
そして今はその途中、ヒュンメイ大陸南のアイゼン地方にある温帯雨林の森の中に彼女はいた。
「な、によこれ……ただのおっきな植物じゃ……ないよね……?」
短刀を手に戦闘態勢を取る彼女の目の前には、鮮やかに毒々しい紫の巨大な花を咲かせる大きな木の枝のうねり。十メートルは軽く超えそうな程の巨大幹から伸びる枝は鼓動する脈のように蠢き、ただの巨大植物では無い事を示していた。
おそらくは魔物だろう。植物に擬態した魔物は、この辺りでは多く見られる。ただこんなにも見上げるほどに大きく、そして不気味なほど美しい花を咲かせる植物擬態の魔物の遭遇はアゲハにも初めてだった。
目的地へ向かおうとするアゲハの前に突如として立ちふさがったこの魔物は、獲物としたアゲハを捕らえんとするように問答無用で彼女へと攻撃を仕掛ける。
「くっ……!」
鋭い速さで伸縮自在の枝が自身へと放たれ、アゲハは軽い身のこなしで上へと飛翔しそれを回避した。
「もう、こんなのどう倒せって言うのよぉ!」
巨大過ぎる敵を前にそう文句を言いながら、アゲハは魔物の野太い枝の一部へと着地する。上手くバランスをとりながら、彼女は蠢くその上を素早く駆け上がった。
とりあえずどこをどう攻撃したらいいのかさっぱりわからないので、アゲハは駆け上がった勢いで枝と幹が繋がる根元へと短刀の刃を走らせてみる。しかし手ごたえは薄い。さらに追撃の刃を放とうとするも、魔物の抵抗で足場が揺れて彼女のバランスを取る体勢は崩れた。
「きゃっ!」
足を滑らせて頭から地に落ちそうになるアゲハだが、それを阻止したのは魔物自身だった。だからと言って助かったわけではなく、魔物が伸ばした伸縮自在の枝がアゲハの体に無数絡み付いて、彼女を拘束して動けなくする。
「っ……あ、あぁ……っ」
自分を捕らえた植物の枝が、拘束を強めて体を締め上げる。アゲハは苦しげにか細い悲鳴を上げた。
「いっ……ああぁ……っ……」
絡み付く触手のような枝の先が服の隙間から進入し、直接彼女の肌の上を這いずる。手や足や腹などに枝の先を伸ばした魔物は、捕らえた獲物で遊ぶように肌の表面を這いずった後、枝の先端をさらに細く伸ばして肌の下へと侵入した。
「や、あぁ……っ!」
侵食される苦痛と恐怖に、アゲハの瞳に涙が浮かぶ。自分の体の中に異物がゆっくりと進入する感覚はおぞましく、アゲハは「たすけて」と消え入りそうな声で呟いた。
短刀を掴む手の力が抜けていく。大切な武器を彼女が手放しかけた時だった。
「はああぁぁっ!」
それはまさに一瞬で方が付いた、信じられない光景だった。
雄雄しい掛け声と共に、アゲハと捕らえる魔物が一刀両断にされる。圧倒的な巨大さを誇る植物の魔物は、しかし幹を縦に両断されて一瞬で力を失った。
アゲハを捕らえていた枝の拘束力が無くなり、彼女は拘束を解かれて地に落ちていく。だが彼女の体が地面に落下する直前に、何者かが彼女の元へと駆け寄ってその体を抱きとめて追突を阻止した。
「ひゃっ……」
「大丈夫か……?」
混乱するアゲハに優しくそう声をかけてきたのは、細身ではあるが体つきのいい壮年の男。長い黒髪と切れ長の同じ色を宿した瞳が、この大陸の人間であるということを示している。
男は左手一本でアゲハを抱きかかえ、右手に握った刃の長い刀を片手で器用に腰の鞘へと収めた。
「あああ、あのぉ……」
まだまだ混乱するアゲハは、とりあえず見知らぬこの男性に助けられた事は理解する。彼女は口を開きながら、男の顔をまじまじと見つめた。
男は顎に黒い髭を無造作に生やしていたが、長髪と相俟っても不潔さは一切無く、強面な印象はあるが切れ長の瞳には確かな優しさが感じられる人物だった。というか普通にいい中年の男で、かっこよく助けられた事もあって、アゲハの頬が自然と朱に染まる。
「気をつけろ、ここは最近あのような妖艶な妖怪が増えたからな……あれは人を養分にして成長する怪物だ。あれに捕らえられたら、骨と皮になるまで全てを吸い尽くされるぞ」
アゲハを解放しながら、男はそう説明をする。アゲハは心臓が激しく高鳴るのを自覚しながら、男に深く頭を下げた。
「助けていただいて、本当にありがとうございました!」
「気にするな、たまたま通りかかったついでだ……」
男が小さく笑ってそう答えると、アゲハは「あの、お名前を……」と聞く。しかし男は小さく首を横に振り、「ただの旅の者だ」としか答えなかった。
「名乗るほどのことはしていない」
「で、でも……っ! 私、本当に死ぬとこだったし……せめて何かお礼を……っ!」
「礼など不要だ」
男がそう素っ気無く断りを告げ、アゲハの表情が消沈した時だった。男の視線が、アゲハの持つ短刀に注がれる。男は何かに気づいたように、僅かに目を見開いた。
「だけどやっぱりお礼しないと……いえ、お礼させて頂きたいんです! そうしないと私の気が治まらないって言うか……お役に立てることならなんでもしますんで!」
「お前、その小刀はまさか……『イザヨイツキ』か?」
「へ?」
男の言葉にアゲハは短刀へ視線を落とし、再び男を見て「は、はい」と頷く。
「あの、この刀のこと知っているんですか?」
忍ぶ戦闘集団の一族であるアゲハの一族が代々里の頭領となる者へ受け継がせてきたその刀は、アゲハにとっては次期頭領となることを認める証となる大切なものだ。まぁ今は事情があって、勝手に持ち出している最中ではあるが。
男は刀をじっと見つめ、そしてアゲハにこう答えた。
「昔にな……俺はその刀を持った男に助けられた事があってな」
「えぇ!?」
男の意外な言葉に驚くアゲハは、「それって誰だろう」と独り言のように考える。
「お父さん……? いや違うか、お父さんは色々自由奔放すぎて、おじいちゃんに頭領として認められて無いんだもんな。となると、おじいちゃん……?」
「お前はやはりユズキの家の者か……その刀はユズキの家の者が代々長を務める、赤月のシノビ一族の長が持つ刀と聞いたからな」
アゲハの独り言を聞いて、男がそう理解したようにアゲハに語りかける。自分の一族のことをよく知っている男に、アゲハはまた驚いて目を丸くした。
「よ、良く知ってるんですねぇ、ウチのこと……」
「助けられた男に聞いたが教えてくれんので、気になって色々と勝手に調べてしまったのだ……」




