再生する意味 1
孤児院での食事の支度を担当するのは、基本的にはイリスの仕事だ。それは”禍憑き”が発覚した後も変わらない。
イリス自身が『自分の仕事をやらせてほしい』と頼んだ為、余程体調が優れない日以外は、彼は調理などの家事全般を担当していた。
彼はすっかりトレードマークとなったエプロン姿で、その日も朝からいつもどおり台所に立って子どもたちや皆の食事の準備を行っていた。だが今日はいつもとは若干様相が異なり、普段は一人で準備する彼の隣にはすごく楽しそうな別の人影があった。
「イリス、お皿洗い終わりましたよ!」
「あぁ、ありがとう」
「他にやる事はないですか! 私、何でもお手伝い致しますよ!」
「え……うん……じゃあそっちの鍋、吹き零れないか見てて」
「わかりました!」
イリスが朝食用に作っているスープの鍋を指差すと、ラプラは命令された飼い犬のように鍋をじっと見始める。そんなラプラの姿を溜息を漏らしながら眺め、イリスは野菜を切る手を再び動かした。
「それにしてもイリス……」
「なに?」
野菜を切る手は止めないまま、イリスはラプラの問いに返事をする。
「なんだか私たち、新婚みたいな雰囲気ですよね」
「……」
「朝から一緒にご飯を作るなんて、新婚の夫婦みたいですよね!」
聞かなかったことにして無視したらわざわざ言い直してきやがったので、イリスは仕方なく「そうかな?」と返事をした。
「そうですよ。それに昨晩だって私たち、あんなに激しく愛し合って……」
「床に敷いてあげた布団で寝てって言ったのにしつこく私のベッドにもぐりこんでくるから、いい加減怒って激しい踵落としくらわせたらあなたは白目向いて気絶したけど、それがあなたにとっての愛だったなんて知らなかった」
「えぇ、あれは痺れるいい一撃でした! あなたから受ける全ての行為は愛に変換されるんですよ!」
「……あぁ、そう……」
イリスの返事には、自然と疲労と溜息が混じる。
治療法が無い病だとは言ってないが、しかし自分の体調が悪いとは聞いているはずのラプラは、そんなのお構いなしに迷惑行為を行うので、今のイリスは普段以上に疲れていた。
(でも今は体調は良いんだよね。少しだるい感じはするけどいつもほどじゃないし……ラプラ相手にしてるから、気が紛れてるのかな?)
考えながら包丁を動かしていると、イリスの指先に痛みが走る。
「っ……!」
「どうしました、イリス!」
イリスの様子にラプラが血相を変えると、イリスは「ちょっと考え事してたら、指切っちゃったみたい」と答えた。言うとおり、彼の指先には小さな切り傷が生まれていた。
「あぁ、なんということでしょう!」
「大袈裟な……これくらい舐めとけば直ぐ治るよ」
慌てるラプラにイリスがそう答えると、ラプラは「そ、そうですね」と力強く頷く。そして彼はイリスの予想の斜め上をいく行動に出た。
「では失礼して……レイリスの指はぁはぁ……」
「待て! 何でお前が舐めようとするんだ! おかしいだろその発想!」
自分の指を引っ掴んではぁはぁ言いながら舐めようとする怖い変態に、イリスは必死に抵抗してそれを阻止する。彼は物凄く残念そうな顔をするラプラに、「いいよ、心配しなくても」と言った。
「し、しかし……あぁ、そうだ」
ラプラは何か閃いた様子となって、イリスに「では呪術で治しますよ」と言う。まぁ呪術ならいいか、と、イリスは「じゃあ頼もうかな」と返事をした。
「えぇ、あなたのお役に立てるのならば……では早速」
ラプラはイリスの指の先に手を翳し、短いレイスタングを唱える。白い輝きが一瞬生まれ、その光はイリスの指の傷を癒していった。
「さ、どうですか?」
すっかり傷の無くなった指を見て、イリスは微笑み「ありがとう」と告げる。途端にラプラは異常者モードになった。
「あぁ、いいんですよイリス……私はあなたのその笑顔の為ならば何でもしますよ……本当にはぁはぁ可愛い……この程度のことでそんな最高の笑顔を頂けるなんて……最高のご褒美ですよ……ふふ、ふふふっ……」
気持ち悪い発言は極力聞かない様にして精神の健全化を図っているイリスは、ラプラを無視して再び調理に戻ろうとする。そして彼は気づいた。
「あれ……」
「? どうかなさいましたか?」
ラプラが不思議そうにイリスに聞くと、イリスは考えるように沈黙してから彼にこう言う。
「ねぇラプラ、今の呪術って傷を治すだけ……だよね?」
「え、えぇ……そうですけど」
ラプラの返事にイリスは「そう……」と返事をし、また一人考えるように沈黙する。
「イリス?」
ラプラが声をかけても返事しないイリスは、たった今自分の体に起きた変化についてを考えていた。
(傷を治してもらったら、一緒にだるさも消えた……どういうことだろう?)
”禍憑き”を患ってから恒常的に体がだるかったイリスだが、しかし今ラプラに傷を治してもらった時に、同時にそのだるさが体から消えたのだ。これはどういうことなのかと、イリスは考える。
「あのー、イリス……」
そういえば昨日倒れてから目覚めても、普段より体調が良かった。それはもう、ラプラに全力でツッコミを入れられるほどにだ。
昨日の戦いでの傷が自分の体に無いので、おそらくラプラが呪術で治してくれたのだろう。そうなると、その後体調が優れた理由はやはり呪術が関係しているということだろうか。
(……治療の術が、”禍憑き”に効果がある……?)
いや、断定するのは早いとイリスは考える。ただの偶然なのかもしれないし、気分的な問題なのかもしれない。
「イリスがボーっとしてて反応が無い……こういう時私がするべき行動は……あれしかないな……!」
何にせよ、このことはレイヴンには相談すべきかもしれないとイリスは思った。
「もしかしたら治療の可能性に繋がるかもしれないし……ってラプラー! お前何しようとしてるのー!」
「え?! いえ、別に怪しい事は……ただイリスのほっぺたに熱い口付けをしようと……今がチャンスだと思いまして」
「十分怪しいっつの!」
間近にあるラプラの顔を押し返し、イリスは「とにかく早くご飯作っちゃわないと!」と言う。
「もう直ぐ皆起きてくる時間だし!」
イリスがそう言ったタイミングで、調理場に起きてきた子どもたちがやって来る。
「イリスさん、おはようございます。体はもう大丈夫なんですか?」
「あ、トウマ……おはよう。ありがとう、心配してくれて。今日はむしろ調子いいから大丈夫だよ」
イリスがマーダーを退治した事は、外に出ていたトウマも勿論知っているらしい。心配そうな顔で自分に声をかけてきた彼に、イリスは笑顔で応えた。
そして昨日は倒れた後は子どもたちとは顔を合わせずに就寝してしまったので、イリスは今始めて彼らと顔を合わすこととなった。
「お姉ちゃんせんせぇ……よかった……もう元気なんだよね?」
フィーナがお気に入りのくまのぬいぐるみを持ったままイリスに駆け寄り、何処か泣きそうな顔で彼を見上げる。イリスは屈んでフィーナの頭を撫でると、「うん、元気」と彼女に答えた。
「昨日はよかったよ、本当に……お姉ちゃんがいなかったら、ギースも皆もどうなってたか……」




