希望と代償 15
山に入って二日目、ジュラードたちの進むペースは決して速いものではなかったが、それでも進行はそこそこ順調であった。彼らの進行を妨害する魔物は時折遭遇したが、しかしどれもジュラードやユーリだけで問題なく対峙出来る程度の魔物ばかりだ。アーリィもマヤのアドバイスどおり魔法はなるべく温存しながら、彼らは目的とする孤児院へ向けて進んでいった。
しかし順調だったジュラードたちの前に、その進行を阻む障害が現れたのは昼を過ぎた頃だった。
それはまるでマヤが予感していた不吉を事実とする事態となり、彼らの足を止めさせる。
僅かに開けた森林道に出た途端にジュラードたちの前に突如として現れたのは、圧倒的な巨体を誇る二匹の未知なる魔物だっ た。
「おいおい、なんだよこれ……こんなの俺ぁ見たことねぇぞ? この辺にこんなバケモノがいたんだな」
「……俺も見た事は無いが……」
見たことの無い存在に対して若干苛立ったようなユーリの声と、茫然とした様子のジュラードの声がそう会話する。彼らの後ろでマヤが「嫌な予感、当たっちゃったみたいね」と苦い顔で呟くのが聞えた。
「……気味の悪い魔物だな」
ローズも目の前に立ちふさがるようにして存在する魔物を見つめ、そう呟きを漏らす。自主的にユーリの腕から離れたうさこは、その魔物に怯えるように涙目でローズの傍に駆け寄った。
ジュラードたちの前に突如として立ちふさがった魔物は、見上げる球状の巨体を持つ異形の魔物。闇と混沌を混ぜたような曖昧な黒で全身を染め、その体中を蠢く小さな触手で覆っている。単眼の瞳は無機質な宝石のようだが不気味さしか感じられず、それは見るもの全てに生理的嫌悪を感じさせる異形だった。
『オオオオォォオォォ……』
空気を振動させる怨嗟の声を発する魔物を前に、とりあえずジュラードたちは武器を構える。アーリィもいつでも魔法が使えるよう、準備の姿勢へと入った。
「うえぇ……俺、あれに近づきたくねーんだけど……」
「俺もだ」
二本の短剣を構え持ちながら、ユーリが心底嫌そうな顔でそう呟く。ジュラードも彼の意見に同意しながら、しかし行くしか無いので大剣の切っ先を異形に向けた。
二人は色んな意味で覚悟を決めて、それぞれに別の異形へ向けて武器と共に駆け出す。直後にアーリィも魔法発動の為、精神集中を始めた。
ジュラードは手前の異形へ向けて、駆ける勢いのままに黒の大剣の刃を突き刺す。近づいた事で小刻みに蠢く触手がはっきりと目視出来た時は思わずうめき声を発しそうになった彼だが、それを何とか堪えて刃を風船のような巨体にめり込ませた。そしてその手ごたえの軽さに、眉を顰める。
「な……んだ?」
ずぶずぶと一切の抵抗無く、ジュラードの剣は異形の体にめり込んでいく。いや、むしろこれは”取り込まれている”と表現した方が正しいのだろうか。まるで底なし沼に剣をつき立てたような抵抗の無さに気づいたジュラードは、慌てて異形の巨体から剣を引き抜こうとする。だが突き入れるのには何の抵抗も感じなかった異形の体は、反対に突き入れた剣を引き抜こうとすると、取り込もうとする剣を戻されないようにと抵抗するように剣が重くなる。
「なんなんだこいつ……っ!」
異常事態にジュラードが焦りと困惑を交えた声を発する一方、もう一匹の異形を相手したユーリも手ごたえと異変に戸惑っていた。
「げぇ……なんだよこりゃ……きめぇ」
ジュラードのようにリーチのある武器を持たないユーリは、弱点を狙いそこを攻撃する手段に出たのだが、彼が狙い傷つけた異形の単眼は、抉り傷つけたそばから素早い自己修復により傷を消していく。おそらくは触手に覆われた体も、同様の自己修復が可能なのだろう。ジュラードたちの様子を観察していたマヤもそれに気づき、「やっぱり厄介そうな相手のようね」と呟いた。
「どうするんだ? だ、大丈夫なのか?」
何も出来ないローズは後方でジュラードたちを見守りつつ、不安ともどかしさを感じながらそうマヤに聞く。マヤは少し考えるように沈黙してから、彼女の疑問にこう答えた。
「まぁアレを倒す確実な方法は、修復不能なまでに一気に破壊してしまうことよね」
「……難しそうなことを一言で言ったなぁ」
マヤの答えに、ローズは思わず苦い顔をする。しかしマヤは「大丈夫、何とかなるわ」と笑った。
「アーリィがいるからね。こういう時の為に魔法を温存させといたのよ」
そう言って自信ありげな不敵な笑みを見せるマヤの視線を追うと、彼女のその視線の先には呪文詠唱を行うアーリィの姿があった。
ある程度古代呪語が理解できるローズだが、断片的に聞えてくるアーリィの紡ぐ呪文の意味は、相当な上位魔法なのか自分にはさっぱりわからない。しかしおそらくはアーリィもマヤと同じ事を考え、それが可能な魔法を準備しているのだろうとローズは思った。
『fRiguSdeStRUctIOnblUEFLaShcapiEnssIn…』
強力な魔法の発動には、相応に時間がかかる。ユーリもアーリィが魔法を完成させるまでは、自分たちが時間を稼がなくてはならないと理解し、彼はジュラードに声をかけた。
「おいジュラード、俺らはこいつらの気ぃ引く係な!」
ユーリにそう声をかけられたジュラードだったが、正直彼は今それどころじゃなかった。
最初に異形の魔物へと突き刺した剣がまだ抜けずに、彼は四苦八苦していたのだ。
「んなこと言われても……くっそ、剣が抜けん……っ!」
懇親の力で引っ張ってみても、剣が吸い込まれていく力の方が遥かに強い。一体どういう構造でめり込んだ剣が吸い込まれるんだと思いながら、ジュラードは抵抗を続けた。だが今まである意味で受身だった異形の魔物は、ついに自ら行動を起こしてジュラードをさらなるピンチに陥れる。
『オオアアァアァアアアァァァ』
「!?」
触手にまみれた球体の中央下あたりに大穴が開く。おそらくはそこがこの魔物の口なのだろう。単眼の瞳の下のその口が大きく開き、魔物は息を吸い込み始めた。その吸引力の凄まじさに、ジュラードの体が魔物へと引き寄せられて吸い込まれそうになる。剣を引き抜くどころじゃなくなった彼は、一瞬剣を手放しかけた。だが直ぐに彼は再び剣を強く掴む。借り物であるこの剣を手放すわけにはいかなかったのだ。
「っ……!」
踏ん張り、ジュラードは魔物の吸引に抗って耐える。だが彼の体は抵抗虚しく徐々に徐々にと異形の開く大穴へ吸い寄せられていった。そして彼がその瞳に光の無い穴を映して、そこに取り込まれる自分を想像した時だった。
「ジュラード、動かないで!」
「は……?」
アーリィの叫びが聞え、ジュラードが意識をそちらに向けようとした瞬間に、アーリィが長く詠唱を唱えて紡いだ魔法が現実空間に放たれる。蒼い閃光が彼の目の前に生まれ、異形の魔物をその色の中に包んだ。
「!」
ジュラードの間近に急激に一切の熱を奪う冷気が漂い、彼の肌に鳥肌が湧き立つ。
吸引が止んだ事に気づかず、それに抗っていたジュラードの体が自然と後退した。同時に剣も抜ける。手袋越しでもわかるほどに、掴んでいた大剣の柄が冷気を帯びて冷たくなっていた。
「おい、お前も氷付けになるぞ!」
「え……っ!?」
いつの間にかジュラードの傍に駆け寄っていたユーリが、茫然と立ち尽くすジュラードの腕を引っ張って後退を促す。先ほどジュラードがアーリィに『動くな』と注意されたのは、それ以上魔物に近づくなという意味だったらしい。ジュラードは目の前に起こる光景をその瞳に映しながら、ユーリに引っ張られるように安全な位置まで後退をした。そうしながら彼は呟く。
「凄い……」