希望と代償 2
「俺もその病気は気になっているんだが、しかし治療法はおろか原因もまだはっきりとはわかっていないんだ。ここではないが、山の向こうの町で一人その病気の患者をみたんだが、その患者も二ヶ月ほど前に亡くなってしまってな……」
医師として救える命には限界があると、それはわかっているヒスだが、しかしやはり救えなかった命には心が痛む。沈痛な面持ちでそう告げたヒスに、アゲハも同じ表情で「そうなんですか」と言った。
「何なんでしょうね……”禍憑き”って……」
「わからんな……しかしジューザスから貰った資料にあったもので、もしかしたらその病気に関係あるかもしれない少し気になる現象があるんだが」
ヒスがそう呟くと、アゲハは「え?」と疑問の眼差しで彼を見返す。ヒスは「確実に関係あることだとは言えないんだけどな」と前置きしてから、こう話を続けた。
「その俺が患者をみた山の向こうの町の付近では、ここ数年で雨が異常に多く降るようになったり新たな魔物が出現するようになったりと変化が起きているようなんだ。他の”禍憑き”が出たところでも、何かしら環境に変化があるみたいでな」
「変化、ですか……」
二人の話を聞いていたカナリティアが、紅茶のおかわりをアゲハのカップに注ぎながら「でもそれも、詳しいことはまだわかっていないんですよね?」と口を挟む。彼女の言葉に、ヒスは「あぁ、そうなんだけどな」と頷いた。
「でも環境の変化が”禍憑き”と何かしら関係していると、そう俺は考えているよ。それとどうやらこの病気は、俺が知る限り発病する人は”ゲシュ”ばかりなんだ」
「えぇ、そうなんですか!?」
大きく驚くアゲハに、ヒスは「と言っても、これもまだ確証のある話じゃないんだけどな」と付け足す。
「俺が知る限りでは、発病者は皆ゲシュだった。混血であることが何か病気に関わりがあるのかと思ったが、例えば”禍憑き”の患者が出た村にいた巨人族の混血の男性には何も変化は無かったから、混血というよりは魔族の血に何かしら原因があるんだろうか……」
「えぇ……それじゃあレイチェルとか危ないってことですか?」
不安な顔になるアゲハに、ヒスは「今はなんとも言えんな」と返す。彼もそのことに気づいた時はジューザスを心配したが、しかしそうだと決まったわけではない情報なので、杞憂に終わるかもしれない心配ではあった。
「でもたとえ魔族の血になにか原因があったとしても、”禍憑き”が広がり始めたのはここ最近ですよね? 以前にはそんな病気、名前も聞いたことありませんでしたし」
カナリティアは首を傾げながら、「何で今、そんな病気が出てきたんでしょう?」と言う。確かにそれはヒスにも疑問だった。
「……なんにしろ、詳しい事はやはり今はわからん。俺が”禍憑き”について話せるのは今の情報くらいだ」
ヒスがそう告げると、アゲハは「そうですか」と頷く。そして彼女は急に立ち上がった。
「わっ、どうしたアゲハ!」
アゲハが急に立ち上がったのでヒスが驚きの声をあげると、アゲハは何か強い使命感を持ったような瞳で「ありがとうございます、ヒスさん!」と言う。
「え? あ、あぁ……」
「とっても参考になる情報でした! うん、やっぱり私、”禍憑き”がどんなものなのかこの目で見てこないと!」
急にやる気が増したアゲハに、ヒスは「どうしたんだ?」と聞く。するとアゲハはこう答えた。
「私も”禍憑き”について調べて、ヒスさんやアーリィさんに調べた事伝えて、それで早くこの病気を治せるものにしてもらいたいって思って!」
アゲハは「私に出来ることってそれくらいしかないから」と言い、彼女のその言葉を聞いてカナリティアは「まさかもう行っちゃうんですか?」と彼女に問う。アゲハは力強い表情で「えぇ!」と頷いた。
「私の国には善は急げっていう言葉があるんですよ! なのでやっぱり急がないと!」
「で、でももう少しゆっくりしていってもいいんじゃないですか?」
今にも飛び出していきそうな様子のアゲハに、カナリティアは小さくこう告げる。
「実はプリンも作ってあるんですけど、それ食べていってからでも遅くはないんじゃ……」
カナリティアのその一言に、アゲハは「そ、それは……」と迷った末にまた椅子に腰を落ち着けた。
「……あの、じゃあすみません……プリンは食べていきます……」
「ふふっ、よかった! なら早速持ってきますね、このプリンは自信作なんですよ」
甘いものの誘惑に勝てなかったアゲハに笑みを零しつつ、ヒスも彼女の熱意に自分も応えなくてはと、それを改めて思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……」
自分に刻まれた命の残量を見つめる。いや、これは自分を喰らおうとする死の形か。
「また、大きくなってる……」
ふとももに刻まれた死の刻印は、初めてそれが浮かんだ時よりも明らかに大きさを増していた。
しかし不思議なことに、迫る死に対して恐怖は感じない。むしろ解放されるような穏やかな気持ちで、彼は自分の体に刻まれた”禍憑き”の証を見つめた。
元々自分には長すぎた”生”なのだ。長くそれに執着し続けていたが、今までで十分に自分は生きた。
自分に『生きろ』と言ってくれた人も、今ならばきっと理解してくれるだろうと思う。
「私もやっと……父さんや母さんのとこに行けるのかな……」
それとも罪にまみれた自分だから、やはり自分は彼らの元へは行けぬのだろうか。
死後の世界など信じていないと思っていたが、しかしこんなことを考えてしまうということは、それを期待しているのかもしれないと彼は思った。
「クロウ、教えて……先にいったあなたは、そこで家族と幸せに暮らしてる……?」
孤独は怖い。辛い。
ほの暗い部屋で、彼はベッドに体を埋めて小さく呟いた。