希望と代償 1
「御免くださ~い!」
そんな元気な呼びかけの声が玄関先から聞えてきた、ある日の昼間のヒスの診療所。
「カナリティア、すまんが出てくれないか?」
「はいはい、わかりました。患者ですかね?」
「どうだろうな、やけに元気な声だし……って言うか、聞いたことある声だな」
午前中に来た患者のカルテにペンを走らす手を止めながら、ヒスは玄関の方から聞えてきた声についてふと考える。休憩のお茶の準備をしていたカナリティアがそれを中断して部屋を出て行くと、ヒスは「もしかして」と声の主の心当たりを思い出した。
「は~い……って、アゲハじゃないですか!」
「カナリティアさん、お久しぶりです!」
元気いっぱいな声で診療所に突然やって来たのは、ヒュンメイへと向かう途中のアゲハだった。
カナリティアは突然訪問してきたアゲハに驚きながらも、懐かしい友人の姿に喜びの笑みを零す。
「そうですね、半年ぶりくらいでしょうか? 今日はどうしたんですか?」
「ちょっとヒュンメイ行く途中なんですけど、近くに来たから寄っていこうかなぁ~なんて思いまして!」
一体何故アゲハがヒュンメイ大陸に向かおうとしているのかはカナリティアにはわからなかったが、アゲハの相変わらずの行動力には彼女も毎度驚かされる。
「ヒュンメイに行くんですか……あ、里帰りですか?」
「いえいえ、そうじゃないんですけど……うっかり家に帰るとおじいちゃんに物凄い怒られるから、家に帰るのはちょっと怖いんですよね~」
苦笑しながらそう答えるアゲハにカナリティアも思わず笑う。そして彼女は「あぁ、よかったら中に入ってください」とアゲハに言った。
「今、丁度休憩中なんです。時間があるなら、焼きたてのパイ食べてきませんか?」
「え! カナリティアさんの手作りパイですか!? それなら勿論食べます!」
アゲハは「カナリティアさんのパイ、すっごい美味しいんですよね~」と、うっとりした笑顔で呟く。カナリティアは照れたように「それしか作れないだけですよ」と言いながら、アゲハに中へ入るよう促した。
「あぁ、やっぱりアゲハだったか。声でもしかしたらって思ったんだ」
カナリティアに案内されて診療所に入ると、休憩室でヒスが笑顔で彼女を迎えた。
「ヒスさん、お久しぶりです!」
「あぁ。今日はどうしたんだ? 相変わらず元気よさそうで、怪我や病気したようには見えないが」
「はい、おかげさまで私は元気です! なんですけど……」
「ん?」
語尾を小さくさせて困ったように笑顔を消したアゲハに、ヒスは不思議そうな眼差しを向ける。カナリティアも、急に彼女がここに来た理由は何かあるのかと察した。
「とりあえずお茶とパイを用意しますね。アゲハの話はその後に聞きましょう」
「そうだな。とりあえずそこに座って休め、アゲハ。どこから来たかは知らんが、でもここまで来るの大変だったろ」
「あ、はい。ありがとうございます!」
今日の休憩のおやつにとカナリティアが焼いたパイは、漂う甘い香りが食欲をそそるアップルパイだった。
切り分けられた美味しそうなパイを、アゲハは至高のひと時を味わうように美味しそうな表情で平らげていく。
「はぁ~……やっぱりカナリティアさんのお菓子はすっごい美味しいです~……幸せ」
「ふふっ、それはよかったです。ヒスってこういうお菓子作ってもあんまり食べてくれないので、アゲハの食べっぷりは私も見てて嬉しいですよ」
「悪いな、俺の胃は『甘いものは別腹』っていう特殊構造になってないんだよ。それと俺ももういい歳だし、そんな甘いもの受け付けられる胃じゃなくなっててな。しかしすごいな、女の子のその甘いもの食べる勢いは……やっぱり別腹構造になってんのか?」
もう切り分けられた一切れ分のアップルパイを平らげたアゲハを見て、ヒスは本気で感心した様子となる。アゲハは苦笑しながら、「かもしれません」と彼に答えた。
「でも体重は別じゃないから困るんですよ。ご飯の分もおやつの分もきっちり同じ部分に脂肪として蓄積されて……あぁやだ、これは今は考えないようにしよう……せっかく美味しいパイが目の前にあるんだもん、食べないと損だし」
体重をあえて気にしないようにしてアップルパイをもう一切れ食べ始めるアゲハを見て、ヒスは苦笑を漏らす。カナリティアも笑いながら彼女を見つめ、そして「アゲハはいつも色んなところに行って動いているんで太りませんよ」とフォローを告げた。
「そ、そうでしょうか? だといいんだけど……」
「そうですよ。そう言えばさっきも『ヒュンメイに行く途中』って言ってましたね」
カナリティアが思い出したようにそう言うと、ヒスが「里帰りか?」とカナリティアと同じことをアゲハに聞く。アゲハは「今回はそうじゃないんです」と答え、そして美味しいアップルパイですっかり忘れていた自分がここに来た目的の一つを思い出した。
「そうだ、私ヒスさんにちょっと聞きたいことがあって……」
「おぉ、なんだ?」
アゲハの言葉に、ヒスは顔を上げて彼女を見る。カナリティアも疑問の様子で彼女を見た。
「実は今回ヒュンメイ行く目的がそれなんですけど……ヒスさんは”禍憑き”って知ってますか?」
アゲハの口から出た”その名前”に、ヒスとカナリティアは反応する。勿論彼らもそれを知っていたからだ。
「あぁ、知ってるが……それがどうしたんだ?」
ヒスがそう答えると、アゲハは真剣な表情となり彼にこう話をした。
「実は今回ヒュンメイに向かうのはそれが理由なんです」
「”禍憑き”が理由?」
「はい。その病気で苦しんでる人がいるって聞いて、どんな病気なのか確認をしに行く予定なんですよ」
アゲハがそう答えると、カナリティアが驚いた様子で「何故アゲハがそんなことを?」と聞く。そのもっともな疑問に、アゲハはユーリたちの店での事を話し説明した。
アゲハの話を聞き終えると、ヒスたちはやはりまずはアゲハの行動力に驚く。
「アーリィさんの薬が効くか、アゲハがヒュンメイまで確認しに行くって訳ですか……あなたは本当に行動力ありますよね」
「本当だよ……いいなぁ、若さか?」
ヒスが心底羨ましそうな顔でアゲハを見ると、アゲハは困った笑顔で「若さとかは関係ないですよ」と返した。
「そうじゃなくて、私ってじっとしてらんないんですよね、きっと。お母さんとかによく『落ち着き無い娘で心配』って言われてたし」
アゲハは苦笑しながらそう言うと、表情を変えて「それで」とヒスに向き直った。
「ヒスさんは”禍憑き”がどんな病気なのか知ってますか?」
病気とも呪いとも言われている”禍憑き”について、医師であるヒスなら何か詳しいことを知っているのではないかと思い、アゲハはここを訪れたようだった。
しかしヒスもまだ詳しいことは把握出来ていないのが現状だ。ジューザスから資料を取り寄せたりして独自に調べてはいるが、まだ彼にもこの病の原因や治療法はわかっていなかった。




