浄化 92
「おいおいおいナイン、なんか後ろの方に飛んでるぞ?!」
イリスが何かに気づいた直後、ユーリも後ろを振り返りながら下の方を指差して叫ぶ。ナインもその存在に気が付き、「マズいな」と前を向いたまま呟いた。
「どーやら、厄介なのニ目をつけらレた」
ナインの言葉にジュラードは緊張し、表情を強張らせる。ユーリは頭の上でぶるぶる震えるうさこを押さえるのに必死になりつつ、何が来たのかを目を細めて確認しようとした。
「なんだアレ……ドラゴンじゃねぇっぽいが」
何かが後方から追いかけてくるのは見えるが、シルエット的にドラゴンではなさそうだ。その飛行速度は速く、やがて大きな翼を羽ばたかせて迫る何かの正体が徐々に見えてきた。
「……人?」
「ハルピュイアだ」
その魔物は人型のようだが、人の両腕にあたる部分が鳥の翼のような形状となっている。また、まだ肉眼でしっかりと確認できる距離ではないが、見た目は美しい女性のようでもある。砂漠の日差しを受けて輝く長い金髪を激しく靡かせ、魔物はナインたちを見つめて妖しく微笑んでいた。
ナインが口にした『ハルピュイア』という魔物について、ジュラードは「それはどんな」と彼に短く問う。
「鳥みてぇナ人型の魔物ダ。あいつラの飛行速度には勝てネぇ」
「強いのか?」
「まーそれなり、ダな。ただ俺が本気出せば大体のモンには負けネェが、今の状況だトまずイ」
ジュラードの問いにそう答えながら、ナインはさらにこう言葉を付け足す。
「あと、俺は美女に弱ぇ。美女相手にハ本気だセない。だから厄介ダ」
「はぁ?! 魔物も許容範囲内かよ、オッサン!」
ナインのどうでもいい補足発言に、ユーリは呆れながらツッコむ。しかしイリスで封印が解けるくらいなのだがら、彼の美女判定は相当ガバガバなのだろうと二人は思った。
「撒けないのなら、一旦地上に降りて戦うことは……」
自分は戦力にならないだろうが、それでもこの空中で戦うよりかは足場がある方がいいのではないかとジュラードはそう提案する。しかしナインは「それも難しイな」と答えた。
「一旦下に降りれば、ハルピュイアから一方的に上から襲われるコとにナるぞ」
「そうか……」
それはそれで確かに厄介だとジュラードも理解する。ユーリも「降りたとしても、空飛んでる相手は俺も無理だ」と悔しそうに言った。
「じゃあどうする?!」
「きゅうぅ~!」
焦るジュラードとうさこの声が砂漠の空に静かに響く。ナインは背中の上の二人を振り落とさないようギリギリの速度でハルピュイアから逃れながら、「後ろの二人になントかしてもらウしかねぇんじゃねえか?」と答えた。
「イリス、聞こえていますか?!」
「聞こえてない~っ!」
「そうですか、では目を閉じたままでいいので聞いてくださいね」
ラプラは猛スピードで飛行しつつ後方を確認し、腕の中で現実逃避寸前のイリスに語り掛ける。
「後方下よりハルピュイアが追いかけてきています」
「それって魔物?」
現実逃避を諦めたイリスが問うと、ラプラは「はい」と答える。
「あなた同様、人型の魔物です。知性が高く、我々魔族にとても近い。飛行能力が高く、おそらく逃げ切ることは不可能でしょう。ハルピュイアは風のマナを操り、美しい歌声で聴く者を惑わし、獲物を喰い殺します」
ラプラの説明する声は冷静だが、今の状況が非常にまずいものだとはイリスにもわかる。しかし今は普段ほど落ち着いて物事を考える余裕が無い。そのためイリスは簡潔にこうラプラに聞いた。
「どうにかしないと、ジュラードは危ない?」
「えぇ」
「じゃあ……どうにかしよう」
難しいことは考えられないがジュラードのためならと、イリスは覚悟を決めて目を開けた。
「うっ……」
なるべく下は見ないようにして目を開けたイリスだが、やはり今現在の高さは思わず悲鳴を上げそうになるくらい恐ろしい。意識を失わなかっただけでも自分にしては上出来だと思いながら、咄嗟にイリスはラプラにしがみついた。
「え、かわいい」
「ラプラ、どう戦うの?」
「えぇ、そうですね……イリス、先にお伝えしておくと、残念なことに私はウネのように空中戦が得意ではありません」
「え?」
ラプラはいつも見せる余裕の笑みを消し、僅かに険しい表情を浮かべた。
「呪術の属性的に、私は地を操ることに長けています。リノクの属性は地上では優位ですが、空中はその逆……」
ラプラの話を聞き、「そうだね」とイリスは理解に頷く。空中で優位となるのは、例えばウネが得意とする風属性だ。そしてそれは相手であるハルピュイアが得意とする属性でもある。それはこちらが不利な状況である確認だった。
「ですから、あなたの力も借りると思います」
「わかった」
自分に何が出来るのかはわからないが、とりあえずイリスは頷く。ラプラは「では足場がほしいので、彼らのところへ行きましょう」と、前方を飛ぶナインの元へと飛んだ。
「ちょっと失礼」
そう言ってナインの背の上に着地したラプラは、まずはイリスを下ろす。そしてジュラードたちの表情から、すでに全員状況は理解していることを確認し、ラプラは「戦うしかないようですね」と言った。
「しかしナインは戦えないそうだ、俺たちを背中に乗せているから」
「もちろん俺も無理だぜ、こんなたけぇとこで戦うのなんて。落ちて死ぬ!」
ジュラードとユーリの発言に「わかっています」とラプラは返し、背負っていたロッドを手にとった。
「私とイリスで対処しますよ。呪術でどうにかするしかないでしょうし」
言いながらラプラは懐から何かを取り出す。それは大きな深紅の宝珠が輝く指輪のようで、ラプラはそれを借りてきた猫のように縮こまって大人しくなっているイリスへ差し出した。
「え、なに?」
「イリス、これは実家から持ってきた代々伝わる大事な指輪でして……すべてが終わって落ち着いたら二人きりの夜に星空の下であなたに渡そうと思っていたのですが、仕方ありません。今、これをあなたに差し上げます」
そう言ってラプラはイリスの左手の薬指に指輪をはめる。
「この指輪の宝珠は私のロッドと同様、術制御補助の宝珠となっています。宝珠のサイズが小さいのでロッドほど優秀ではありませんが、しかしあなたを助けてくれるでしょう」
「そうなんだ。ありがとう。ところでなんで左手の薬指に嵌めるの?」
「もちろん私とあなたの愛の証ですから」
左手に輝く指輪がサイズ調整済みなのかぴったり嵌まる事実が恐ろしく、イリスは無意識に鳥肌を立てた。代々伝わる指輪とか愛の証とか、色々とワードが重くて怖すぎる。
「……。」
無の表情で何も言わないイリスの代わりに、隣でユーリが「こいつ、いつでもアホだな」とツッコむ。しかしユーリのツッコミに少し同意しつつも、非常事態だろうとなんだろうと、こうもブレないと逆に安心もするとジュラードは内心で思った。




