浄化 87
朝を迎えた書庫内で机に突っ伏して寝入るローズに、マヤが優しく声をかける。
「ローズぅ、起きて~」
「むぅ……」
「起きないとそのかわいい唇にチューしちゃうわよ~」
マヤのその呼びかけに、傍で聞いていたフォカロルは真顔で「それは起きない方がお主にとっては良いのでは?」と聞く。
「まぁ、それはそうなんだけど。っていうか、起きようが起きまいがチューはするわね」
「そうか……お主は本当にブレないな」
実にマヤらしい返事を聞き、フォカロルは静かに呆れる。そんな二人の会話を耳にしてか、ローズは眠りから目を覚ました。
「んん……?」
「あら、おはよーローズ。今日も寝起きがかわいい~」
顔を上げたローズの頬には枕にしていた袖の痕が付いて赤くなっており、マヤはそこに口づけする。そんなマヤにローズは寝ぼけた様子のまま目をこすり、「おはよう……?」と言った。
「あれ、俺は……寝てたのか」
「そうよー、よく寝てたわねー」
書庫で調べものをしているうちに、いつの間にか寝ていたらしい。傍ではウネが微笑みながら本を持っていたので、自分が寝てしまった後も彼女とフォカロルは協力して調べものの続きをしていてくれたのだろう。それに気づき、ローズは「わ、すまないっ」と二人に声をかけた。
「一人で寝てしまって……」
「大丈夫、気にしないで。むしろよく寝てたからそのままにしてしまったけど、部屋に送ったほうがよかったかしらって、私の方が心配だったから」
ウネの気遣う言葉に、ローズは笑って首を横に振る。そうして彼女はマヤに視線を向けた。
「えっと、マヤは起こしに来たのか?」
「それもあるけど、一晩帰ってこないから心配して見に来たのよ~」
マヤは意地悪く笑い、「アタシという世界一かわいい相方がいながら朝帰りするなんて、ローズもいい度胸ね」と言う。その彼女の言葉にローズは「何言ってるんだ」と慌てた。
「妙な言い方しないでくれ! いや、本当寝てしまったのは悪かったと思うが……」
ローズは小さくため息を吐き、「そういえば」と話題を変えるようにこうマヤへと問う。
「薬の調合はどうなったんだ?」
アーリィがいないことを気にしつつローズがそう問う。するとマヤはテーブルの上にしゃがみ込みながら「それね」と苦い表情を浮かべた。
「ん? どうしたんだ……なんだか嫌な反応を」
「いえ、心配しなくても大丈夫よ。調合は出来たから」
マヤのその説明にローズは「本当か?」と笑顔になる。マヤは「えぇ」と頷いた。
「それは良かった。……っていうかマヤ、調合できたならもっと喜んでもいいんじゃないか? 妙な顔をするから心配したんだが……」
笑顔じゃないマヤに何か引っかかりつつ、ローズはそう彼女に聞く。マヤは「まー、それはそうなんだけどさー」と言いつつも、やはり微妙な表情を浮かべた。
「調合できたって言っても、ほんとついさっきよ。一晩中試行錯誤して、やっとできたかな? って感じ」
「そ、それは大変だったな……お疲れ様」
それならアーリィは今寝ているのかな? とローズは考える。案の定マヤは「アーリィは疲れて休んでいるわ」と、ローズに説明した。
「同じく一晩付き合わせたレイスと一緒に、ここの仮眠室で爆睡してるんじゃないかしら」
「ははは……で、マヤはなんでそんな冴えない顔を?」
「いえ、調合は出来たけどうまくいってるかはわからないからね、それがちょっと心配で」
確かにマヤの言う通り、薬の調合が上手くいっているかは実際に試してみないとわからないところだ。
「それはたしかに……というか、本当にそうだな。どうやって試すんだ?」
今更ながら首を傾げるローズに、マヤは「誰かに試しに飲んでもらうしかないんじゃないかしら」と言った。
「なんか実験台になってもらうみたいでちょっと気が引けるんだけど」
「マヤ、お主にそんな申し訳ないと感じる常識的な心があったのか」
申し訳なさそうな表情で語るマヤに、フォカロルが真剣な顔で失礼なツッコミを入れる。マヤは隣に座っている彼を睨み、「殴るわよ」と拳を見せた。
「そうだ思いついたわ、フォカロルに試してみましょうか」
「おい、我は禍憑きではないぞっ」
マヤに薬を飲まされそうになり、フォカロルは慌てる。そんな彼を見て、ローズは「うーん」と考える表情を見せた。
「まぁ、でも禍憑きであっても、いきなりできたばかりの薬を飲めと言われて飲むのは怖いかもしれないな」
「そうなのよね~。試作品第一号を誰に試してもらうかって考えるとね~……」
マヤは大きな溜息を吐き、「リリンちゃんに飲んでもらうしかないかな~」と呟く。彼女の禍憑きを治療するためにジュラードと共にここまで旅をしてきたのだがら、薬は彼女に飲んでもらいたい気もするが、しかし彼女はまだ幼い子どもでもあるのがローズも気がかりだった。未成年に出来たばかりの薬を試すのはどうなのだろうか、と。もちろん普通の人に対しても実験じみた行為は気が引けるが、成人の自己決定の意思には自己責任も伴う。一方で未成年はそうではない。
「……まぁ、それはまた後で考えよう。他の、ロンゾヴェルさんとかにも相談して……」
「そうね」
ローズは「一先ず、私もちゃんとしたところで少し休みたい」と腕を伸ばしながら言う。彼女はウネを見ながら「ウネもじゃないか?」と聞いた。
「えぇ、まぁ……」
「じゃー、二人も仮眠室借りなさいよ。ベッドがいっぱいあるし、なんならシャワーもあるわよ、この施設内」
なぜ宿泊施設でもないこの場所に仮眠用のベッドがたくさんあってシャワーまで完備しているのかを考えるとちょっと労働条件的に怖いが、できればすぐに休みたい状況の今はそれらがありがたい。ローズは「そうさせてもらおう」と苦く笑って立ち上がった。
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