浄化 77
「……終わったぞ」
パタン、と手にした本を静かに閉じ、フォカロルがそう告げる。そして傍で何かメモをしていたアーリィも「終わった」と神妙な面持ちで言ってペンを置いた。
「やっと……終わった……」
アーリィは喜び半分、疲労半分といった複雑な表情で机に突っ伏す。彼女の手から離れて机の上を転がったペンを掴み、マヤは微笑んで「お疲れ様」と二人に声をかけた。
「翻訳終了か、本当にお疲れ様」
マヤ同様に労わりの声をかけたのは、お茶とお菓子を手にしたローズだ。
ローズは持ってきたそれをフォカロルとアーリィに差し出して、アーリィは嬉しそうに勢いよく顔を上げた。
「おかし!」
「さっき炊事場を借りて作ってきた。お茶はフェイリスからだ」
別の仕事があるとのことで出て行ったフェイリスは、翻訳作業をするローズたちを気遣って疲労に効くハーブティーを用意してくれていた。それと一緒にアーリィが喜ぶようにと作りたてのお菓子を用意してきたローズは、案の定嬉しそうに食べ始めたアーリィの様子を微笑ましそうに眺める。そしてすぐにお茶にもお菓子にも手を出す様子の無いフォカロルに気づき、彼女は「あ、よければあなたも食べてくれ」と言った。
「あ、それとも魔人は食べないんだっけか? 実体化してるし食べれるかな~と思ったのだが」
翻訳作業に便利だからとアーリィの魔力を使い肉体付きで顕現したフォカロルなので、飲食できるのではないかとローズは考えた末に彼にもお茶を用意したわけだが、それに手を付けない彼を見て「余計なことをしてしまったか?」と少し心配そうに声をかける。するとフォカロルは「いや」と短く返事をして、おもむろにお茶の入ったカップに手を伸ばした。
「では、ありがたくいただこう」
「あ、あぁ」
何か自分に対して距離を置いているように感じるフォカロルの態度に気づき、ローズは首を傾げる。何か彼にしてしまったかな? と考えていると、ローズの不安に気づいたマヤが「ほっときなさい」と声をかける。
「あなたの姿を見て内心複雑なのよ。もともと彼はアリアが主人だったわけだしね」
「あ、あぁ……」
見た目はアリアうり二つの今の自分を思い出し、ローズもマヤの言わんとしていることを理解する。そして彼女もまた複雑な思いを抱き、フォカロルを見つめた。
「……やめろ、そんな眼差しで私を見ないでくれ」
ローズの申し訳なさそうな視線にいたたまれなくなり、思わずフォカロルは苦い顔をする。ローズは慌てて「すまない」と首を横に振った。するとそんな二人の様子を見ていたマヤが思わず呆れたような顔をする。
「ホント女々しい男よねー、フォカロル。どーせアリアを守れなかったこと、まだ引きずってるんでしょ~?」
「当然だろう……主を守れない魔人に何の価値があるのだ?」
フォカロルは苦い顔でマヤに視線を向け、「本来なら魔人として存在することも恥ずかしいのだ」と呟く。そんな彼に対してマヤは「気にし過ぎよ」と冷めた眼差しで告げた。
「お姉さまを見習いなさいよね。あの人だって一度主人を失ってるけど、今は現主のローズを守るのに全力前向きよ?」
「わ、私とてアーリィのことは全力で守るつもりだ。二度と同じ過ちは犯さん」
フォカロルはそう力強く言ったあと、「だが」と少し弱音を吐くように続ける。
「こうも目の前で彼女の姿を見せられると……後悔するなという方が無理だろう、マヤ」
マヤもだが、アリアという大切な存在を目の前で失ったのはフォカロルも同じだったとローズは思い出す。
フォカロルに同意を求められたマヤは、しかし感情を隠して無言でお菓子をほおばるだけだった。
「あ、あの……前世の私が大変ご迷惑をおかけしまして……」
なんだかこの重苦しい雰囲気の原因は主に自分な気がして、ローズはそう引きつった表情でフォカロルに謝罪する。そんな彼女の姿を見て、フォカロルは少し笑った。
「いや、すまない。しかしそういう面白いところは……彼女を思い出すな」
フォカロルのその言葉に、マヤは「ローズはローズよぉ、アリアとは違うんだからね~?」と注意する。ローズのことを気遣っての彼女のその言葉なのだろう、ローズはマヤに笑みを向けた。
「もちろんそれは理解している。思い出しただけだ」
「それならいいんだけどね」
フォカロルは「あぁ」と頷き、また一口お茶を啜る。そして唐突に彼はこんなことを聞いた。
「それで、そのようになってしまったお主はもとに戻れそうなのだろうか?」
「うっ……」
そのように、とは、アリアになってしまった自分の姿だろう。それを指摘されてローズはショックを受けたような顔となる。すると今までひたすらお菓子を食べているだけだったアーリィがその手を止めて、フォカロルに注意するようにこう言った。
「フォカロル、それは地雷ってやつ。聞いちゃダメだから」
「そうか……ということは、まだ全然あてはないということか」
フォカロルに残念そうに言われて、ローズも肩を落としながら「まぁ」とあいまいに頷く。そしてチラリとマヤに視線を向けた。
「まぁでもマヤがもとに戻れそうなんだ。だから、それだけでも十分というか……」
そう言ってほほ笑むローズに、マヤは感極まったように「ローズっ!」と突如叫ぶ。そして急に羽ばたいて彼女の胸に突進した。
「大丈夫よローズ、ローズのこともアタシが絶対なんとかするからね! 好きよ!」
「あ、あぁ、ありがとう……うれしいけど、その……揉むのはやめてくれ」
何を揉んでるかはあえて言わないが、ローズは複雑な笑顔でマヤにそう言う。マヤは残念そうに口を尖らせてローズから離れた。
すると彼らの様子をお菓子を食べながら黙って眺めていたウネが、ふと思いついたようにこう口を開く。
「ここは貴重な本がたくさんある場所よね……もしかしたらあなたを元に戻すヒントになる本とか、ないかしら?」
「!?」
ウネのその一言に、ローズは「あるかな……?」とマヤを見て問う。マヤは少し考えてからこう答えた。
「まぁ、確かに無いとも言えないわね。旧時代の本もあるようだし、何か手がかりになる本は……もしかしたら?」
「そ、そうか……!」