浄化 76
『オオオオオオオオアアアアアアァアアアアァッ!』
「なっ……!」
目の前で変貌するナインの姿に、イリスは突然セクハラされた衝撃とか怒りは一旦忘れて驚愕に目を見開く。大地を揺るがすような雄たけびと共に、ナインの巨躯がさらに歪に膨れ上がって体積を増していく。変わっていくその姿はいつかに異界で見た悪夢のような光景と同じだ。
「ナインが……竜に……」
ジュラードが呆然と呟いたとおり、封印を解いたというナインの姿は完全に人ではなくなっていた。ただしそれは彼の呟くどおりのドラゴンではなく、正確にはドラゴンと人が融合したようなひどく歪な異形の姿。その大きさは元々大柄だったナインを優に超えて五メートル以上はあるだろうか。浅黒い彼の肌は同色の鱗と代わり、人の面影をかろうじて残す頭部は、しかしその口は完全にドラゴンのそれである。咆哮を放ち大きく開かれた口からは鉄をも砕く凶悪な竜の牙が見えた。
肉団子とはまた別の異形へと変貌したナインは、獰猛な口元から蒸気のような息を吐いて瞳孔の細い深紅の眼差しを戦場へと向ける。そうして彼はまた咆哮した。
『――……ァァアアァァァアアッ!』
「っ……!」
間近で聞くその雄たけびは迫力が凄まじく、イリスやジュラードは思わず耳を塞ぐ。すると大きく開けたナインの口腔に赤い魔法陣が浮かび上がり、イリスは「ブレス……?」と呟いた。
「せ、先生、下がったほうが……っ!」
ドラゴンのブレスの恐ろしさはジュラードもよく理解しているので、彼はうさこが熱で解けないように腕に抱えなおしながら後方に下がる。イリスははっとした様子でナインから離れようとして、ラプラに腕を引っ張られて同じく後方へと下がっていった。そして間一髪全員がナインから離れた直後、ナインの口から灼熱の炎が放たれる。
『ゴアアアアァアアアァッ!』
ナインのブレスが発射されると場の温度が一気に上がり、まるで灼熱の地にでもいるかのような熱さだとジュラードは顔を顰める。うさこも苦しそうに「きゅううぅ~~」とジュラードの腕の中で力無く鳴いた。
ナインのブレスによって深紅に変わる視界の中、彼の放つ炎が肉団子を纏めて焼き払うのを見る。その圧倒的な強さに一瞬我を忘れて見惚れていたジュラードだが、すぐに「あ、ユーリっ!」と大切なことを思い出した。
「ゆ、ユーリはどこだ?! ナイン、ユーリを一緒に焼いてないよな?!」
一人肉団子の足止めを頑張っていたユーリは、今目の前で炎の海と変わっている戦場にいたはずだ。だが炎に焼かれる肉団子たちは見えるが、今そこに彼の姿は見えない。まさか今の一瞬で焼かれて炭と化してしまったのでは……と、ジュラードがうさこ以上の青色に顔色を変えると、「勝手に俺を火葬すんな」と傍で呆れた声がした。
「はっ! ゆ、ユーリ?! おばけか?!」
「やめろ、俺の前でオバケとか言うんじゃねぇ! 生身だよ!」
いつの間にかそばに立っていたユーリにジュラードは驚きつつ、「お前、いつの間に」と問う。するとユーリは短剣を仕舞いながら「オッサンの雄たけびが聞こえたあたりから嫌な予感がしたから逃げた」と答えた。
「そうか……よかった、てっきり俺はお前が焼かれたのかと……」
「だから勝手に焼くなよ。まぁ、俺も逃げんの間一髪だったけどな」
ユーリは熱を受けて額に光る汗をぬぐいながら、銀色の眼差しに煌々と燃える赤を映して「すげぇなオッサン」と呟く。それを聞いて、ジュラードも再び視線を前方の炎へと移した。
「エンセプトか……たしかにあいつらもドラゴンに変身してたけどよぉ……いやー反則だろ、コレ」
「そんなことが出来る種族なのか」
今までの道中でも十分にエンセプトの強さを理解してたつもりだったが、彼らの強さはあんな程度ではなかったらしい。魔族にも恐れられている種族という意味を真に理解して、ジュラードはただただ「すごいな」と驚くことしかできなかった。
『ウウウゥ……』
凶悪なブレスで一帯を火の海へと変えたナインは、突如低く呻って首を大きく左右にふるう。そして今度は土煙を上げながら火の海へと勢いよく突進した。
「な、にをする気だ?!」
暴走しているようにしか見えないナインの様子は見てて不安にもなってくる。そんなジュラードの心配などよそに、ナインはまた大きくうなり声をあげて今度はなんと焼け残っている肉団子を喰らい始めた。
ブレスを逃れてこちらに襲い掛かってこようとしていた残りの異形に対して、ナインはその肉を喰らうという手段に出たのだろう。彼は普通なら近づくのも遠慮したい見た目の悍ましい肉団子を、戸惑いなくその凶悪な牙でかみ砕いて飲み込んでいた。
「う、わ……」
「オッサン怖すぎるなぁ。完全にホラー。アーリィがいなくてよかったぜ、こんなん見たら絶対トラウマもんだろ」
うさこをしっかり抱きしめてナインの凶行を見せないようにし、ジュラードはユーリの言葉に「あぁ、こわい」と素直に返す。
ナインの強さは圧倒的で、きっとこの勢いならば彼はこのまま肉団子を根こそぎ倒してくれることは間違いないだろう。だが……。
「あのさぁ、ジュラード」
「……なんだ?」
「あのオッサンがどうしてああなったのか俺ぁ知らねぇから聞くんだけどよー」
「あ、あぁ……」
ユーリの問いに頷きながら、ジュラードは次々に肉団子を喰らい続けるナインを見つめ続ける。
「あのオッサン、もとに戻るん?」
「……。」
あの姿が封印とやらを解いた結果だとしたら、もとに戻るには本当にどうするのか。そもそも戻れるのだろうか。
「えーっと……」
元に戻る方法を教えてから暴走してほしかったと思いながら、ジュラードは「多分、もう一度キスすれば……?」と答えてユーリをひどく困惑させた。
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