浄化 72
口腔に突き入れられたナインの拳は勢いのままに貫通し、魔獣は血と脳髄をまき散らして、地響きのような振動と共にその場に重く倒れた。
ナインは自身よりも巨大な魔獣に襲われたというのに冷静に対処し、さらに素手で倒してしまった。しかし本人はそれらが大したことではないと認識しているようで、倒した魔獣には興味無く、絶命したその瞬間からすでに見てもいない。血塗られた拳を握りしめるナインの視線はジュラードの方へと向けられていた。
「っ……!」
ナインが難なく魔物を返り討ちにした一方で、ジュラードはやや苦戦していた。
自分を喰らおうと大きく口を開けて迫る魔獣に、ジュラードは大剣の刃でそれを受け止める。しかし武器を支えることで手一杯なジュラードに対して、魔獣は前足で彼の体を掴み、伸し掛かった。
「ぐっ……」
魔獣の凶悪な爪が肩や腕にめり込み、ジュラードの衣服に鮮血が滲む。その痛みに思わずジュラードの表情が歪み、視線が繋がる先で魔獣の理性の無い眼差しが妖しく光った。
『ガアアァッ!』
ジュラードを獲物として仕留めようと、魔獣の咆哮が周囲に響く。しかしその声は途中で濁った音となり、ジュラードの目の前で魔獣の頭部が風船が弾けるように消失した。
「う、え……っ?」
目の前の光景が理解できず、ジュラードは目を見開いて困惑の声を発する。いや、魔獣の頭部は消失したわけではないと、直後に足元に落ちた頭部の重い音を聞いて気づく。まるでちぎるようにして頭部と胴体が分離した魔獣は、その瞬間に絶命したのだろう。力を失った巨体をは自立することが出来ずに、落ちた頭部から少々遅れて巨躯も地面へと倒れた。
「っ……」
突然の出来事に、ジュラードはただ茫然と足元に転がる魔獣の頭部を見下ろす。するとそんな彼にナインが、手に付いた魔物の血を服で拭いながら声をかけた。
「おぉ、大丈夫か?」
「……」
ナインに声をかけられて、ジュラードはハッとしたように彼に視線を向ける。目の前にはナインが普段通りの飄々とした表情で立っている。ジュラードは静かに剣を下ろし、そして深く息を吐いた。
「……あぁ、平気だ」
「そうか。そりゃよかった」
ジュラードの返事にナインは安心したように笑みを向ける。しかしジュラードは冴えない表情で呆然と立ち尽くすままで、そんな彼の様子を疑問に思ったナインは続けて「どうした?」と声をかけた。
ジュラードはしばらく魔獣の亡骸を見つめていたが、やがて「いや、何でもない」と答える。
「何でもないって顔には見えないが」
「……あんたが恐ろしすぎてちょっと引いてるだけだ」
そう答えたジュラードの言葉は偽りではないようで、彼は畏怖の感情を込めた眼差しでナインを見返す。
「普通素手で魔物の首を引きちぎれるか?」
「仕方ないだろ。俺は得物がねぇんだから、素手で戦うしかない」
「そ、そういうことじゃなく……」
ジュラードは「きゅううぅ~」と鳴きながら駆け寄ってきたうさこを抱き上げながら、「エンセプトがどんな存在かわかってきた」と小さく呟く。その呟きを聞いてか、ナインは苦笑しながら顎鬚を掻いた。
「バケモンだとでも思ったか?」
「近い存在だとは理解した」
「ははっ! そうか……まぁ、そうだよな」
ジュラードの返答に笑ったナインだが、直後に目を伏せた彼の表情がどこか寂しげなものに見えた気がして、ジュラードは思わず「ナイン?」と声をかける。だがナインは何でもないとでもいうように軽く手を振った。
「……」
何かまずいことを自分は言ってしまったのではないかと、ナインの反応からそう感じたジュラードは、背を向けて先へ進もうとするナインへ「あの」ともう一度声をかける。ナインは僅かに顔を向け、ジュラードに「なんだ?」と聞いた。
「あ、いや……今、俺、失礼なことを言ったと思って……」
「失礼? なんだ?」
「えっと……」
どう答えたらいいのか迷った結果、ジュラードは目を逸らしながら「別にバケモノだと本気で思っているわけじゃないから」とナインに訂正を告げる。するとナインは少し驚いたような反応を一瞬見せた後、いつも通りの内心の読めない皮肉げな笑みをジュラードに向けた。
「いいさ、実際俺たちはバケモンだからな」
「エンセプト、というやつがか?」
ジュラードが迷いつつそう問うと、ナインは「あぁ」とあっさり頷いて肯定する。その先の話を聞くべきか、ジュラードがさらに迷うと、ナインの方から口を開いた。
「エンセプトは魔族と竜を掛け合わせて生まれた種族だ。魔物の中でドラゴンは圧倒的な戦闘力を持つ捕食者だからな。エンセプトはその力を肉体に封じているわけだ。元々好戦的な魔族だが、さらに戦闘に特化したのが俺たちだよ」
「確かにあんたの戦い方を見ていると、おそろしいほど強いもんな……」
「そうだろ? 恐ろしいほど強ぇから、俺たちは同族であるはずの魔族からも畏怖された。そして閉じ込められたんだよ。広い世界の中で、特殊な結界で覆われた場所でしか生きることを許されなかった……全く、改めて勝手だと思うぜ、魔族ってやつは」
イリスやラプラから、エンセプトと魔族の間にある確執は聞いていたジュラードだが、それは自分が思うよりも根が深い問題なのだろうと、そうナインの静かな呟きから理解する。魔族であるラプラはナインを嫌っているようだったが、きっとナインも魔族を憎んでいるのだろうと、それは彼の態度と雰囲気から察することが出来た。
「なぁ……あんたは魔族が嫌いなんだろ?」
「嫌いなんて言ったか?」
「好きじゃないってことはわかる」
「……まぁな。勝手に閉じ込めてくる相手なんざ好きにはなれねぇだろ」
「じゃあ聞くが……俺だって半分魔族だ。半分は人で……ゲシュだけども。でもあんたは、俺のことは助けてくれる。たぶんゲシュだからだとは思うんだけど……でも、半分は魔族なんだから、少しは憎くないのか?」
どう聞いたらいいのか自分でもわからず、ジュラードの問いは不明瞭なものとなる。ジュラード自身、何を聞きたいのか自分でもわかっていないのかもしれない。それでも、そんな問いでもナインは彼が何を聞きたいのかわかったようで、小さく笑って口を開いた。
「あんたはエンセプトをよく知らない。だから俺をエンセプトじゃなく、ナインという個人で見ている。だから俺も同じように、あんたをゲシュだとか半分魔族だとか、そういうふうには分類して見ねぇよ。あんた『ジュラード』という個人として見ているが?」
「!?」
ナインは「種族で分けるなんてくだらねぇと、俺は思う」と呟いて今度こそジュラードに背を向けた。




