浄化 71
「あら、別に内容はわからなくてもいいわ! 解読できるならそれでいいのよ。たぶんそこにはある薬の調合方法が書かれているはずだからね」
「そこまではわかっているのか」
「そう。でもどのように材料を調合したらいいのかがわからなくてね。あなたにはそれだけ翻訳してもらえればいいわ」
マヤがそう声をかけると、フォカロルは小さなマヤをまじまじと見てから「了解した」と返事を返す。マヤは微笑み、「よろしくね」とフォカロルに言った。
「しかし……随分と可愛らしいサイズになったものだな、マヤ」
「そうでしょう? まーアタシは元々大きくても可愛んだけど」
「いや、サイズのことを言ってるんだが……」
小さくなっても態度は相変わらずのマヤに、フォカロルは思わず苦笑を漏らす。そんな彼にレイスが恐る恐る声をかけた。
「あのぉ~、それじゃ翻訳お願いいたしますねぇ~。それにしてもぉ、魔人さんって初めてみましたよ~」
「そうか? 実はそう珍しい存在でもないかもしれないぞ」
「そうですかぁ。珍しい存在だと思いますけど……そう言えばローズさんたちと一緒にいるといろいろ不思議体験ができるとぉ、フェイリスさんが言ってましたけどぉ」
最初は遠慮して遠くからフォカロルを眺めていたレイスだが、彼と話しているうちに好奇心が勝ったようで、フォカロルに近づいてじろじろと彼を観察し始める。やがて好奇心のままに彼の体を遠慮なく触り始め、その行動に対してさすがのフォカロルも戸惑いの表情を浮かべた。
「へぇぇ……肉体もしっかりと存在しているんですねぇ。……どのような理由でこの肉体は存在しているのでしょう次元を超えて実際の肉体が転送されてきているのかそれとも架空の肉体その場合はこの肉体を構成するのは一体」
「……あの、そんな触られると作業できないのだが」
「はっ! あわわ、すみません~」
レイスは慌ててフォカロルから離れ、「作業、お願いしますぅ~」と眼鏡のずれを直しながら言った。
◆◇◆◇◆◇
「ん~……」
何か考えるように顎鬚を撫でながら唸るナインを横目に、ジュラードは「どうだ?」と彼に問いかける。二人の目の前には何かに荒らされたような形跡の地面。そこには木々が散乱し、地面もえぐれたような跡がある。あきらかに『何かあった』とわかる痕跡だが、果たしてこれが目的の魔物によるものなのだろうか。
「きゅううぅ~っ」
不安に鳴くうさこを頭の上であやしつつ、ジュラードはもう一度ナインに「どうなんだ?」と聞く。するとナインは一拍の間の後に首を横に振った。
「これはちげぇな。あの魔物の痕跡ではない」
「そう、なのか?」
ナインの推測の結果を聞き、ジュラードはやや目を見開く。ナインは「あぁ」と小さく頷き、そして深く息を吐いた。
「あの魔物の仕業だったら、こんな激しく地面がえぐれたりしねぇよ。これはもっと獰猛で俊敏な、別の魔物だな」
「目撃情報はこの辺りだったから、もしかしたらと思ったのだけど……」
一応構え持っていた大剣を一旦下ろし、ジュラードは周囲を見渡す。近くに魔物の気配は感じられないので、争った後に魔物たちはどこかに消えたのだろうかとジュラードは考えた。
「まぁ、でもこの辺りをもう少し捜索してみるか」
「そうだな」
ナインの提案に頷き、ジュラードは剣を背負いなおす。そして二人は再び歩き出した。
歩き出してすぐ、ナインが突然こんなことをジュラードに言い出す。
「……におうな」
「は?」
唐突なナインの呟きにジュラードが思わず足を止めると、ナインも同じく歩みを止める。
「におうって、なにが?」
ジュラードがナインの横顔に問うたその瞬間、ナインは突如ジュラードを近くの茂みに突き飛ばす。体勢を崩したジュラードが思わず声を上げ、ジュラードの頭の上から振り落とされたうさこも甲高い悲鳴を上げた。
「きゅううぅうぅうぅ~!」
『グルウウアアァアァッ!』
うさこの悲鳴と同時に何かが唸り声と共に後方の茂みから飛び出す。ナインに突き飛ばされたジュラードが驚いて視線を上げると、全身が黒い毛におおわれた大型の魔獣がナインに飛び掛かるのを目にした。
「ナインっ!」
うさこを安全な場所に放り投げ、ジュラードはナインに叫ぶ。放り投げられたうさこが恨めしそうにまた悲鳴を上げたが、自分を庇ったことで大型の魔獣に襲われたナインを心配するジュラードにはうさこに構っている余裕はない。背丈が3メートル近くありそうな巨大な魔獣はナインに覆いかぶさり、大きく口を開けて凶悪な牙を見せた。
「ナ、……」
「いいからこいつは俺に任せなっ!」
剣を手にして駆け寄ろうとしたジュラードを制すようにナインはそう叫ぶ。それでもジュラードが彼に助太刀しようとした直後、さらに茂みから飛び出してくる影が視界の端に見えた。
「なっ……まだいるのかっ」
そう小さく驚愕を叫び、ジュラードは次いで飛び出してきた魔獣の元へと駆ける。ナインとすれ違いざまに「すまない、そっちを頼むっ」と、そう彼に伝えたジュラードは、もう一匹の魔獣と対峙した。
『グウウウウゥウゥっ!』
次いで出てきた魔獣はナインを襲っている個体よりはやや体躯が小さいが、それでも2メートルはあるだろう。興奮して殺意が剥き出しの赤い瞳がジュラードを見据え、ジュラードも険しい表情でその眼差しを見返した。
「ふっ……!」
大柄の自分よりもなお大きな魔獣に覆いかぶさられ、しかしそれでもナインは余裕の表情を見せていた。太い唇には笑みすら浮かぶ。
一方で魔獣も力で獲物を抑え込み、それを喰らおうと大きく口を開く。その理性の無い深紅の瞳はただ本能に従い、獲物を捕食する存在であることを暗示していた。だが、それはナインも同じで。
「俺を喰らうか? 無理だな……っ!」
ナインの暗い深紅の瞳に、凶悪な本能が宿る。それは普段ヒトとしての理性で抑え込んでいるはずの、狂暴な魔の血の本能。
「お前が俺の餌になれよっ」
大きく口を開いた魔獣の、鋭利な牙が覗くその口腔に向けて、ナインは躊躇なく拳を突き入れる。




