浄化 68
気持ち悪いものに極力近づきたくない二人は笑顔で互いに相手を譲る。そんな悠長な二人を前にして、先に魔物が行動を始めた。
『オオオオオオォオオォオォ!』
不明瞭な雄叫びに似た声と共に、魔物が大きく口を開けて周囲のものを吸い込み始める。その吸引に対して咄嗟にラプラがロッドを地面に突き刺して支えにし、傍にいたイリスを抱き寄せる。ポチも地面に爪を突き立てて吸引に抵抗したが、一人ユーリだけ行動が遅れた。
「おおおおおぉ、やべえぇえ吸い込まれるううぅううぅ!」
情けない叫びをあげながら何とか足を踏ん張って吸引に抵抗するユーリを見て、イリスが「あははっ!」と楽しげな笑い声を発する。それは心配も、全く助ける気も無い非情な笑い声だった。
「見てラプラ。あいつ面白い」
「笑ってねぇで助けろよ! てめぇ、しんゆーだろ!」
「ごめん、記憶がおぼろげで覚えてない。親友だったっけ?」
「おいいいいいぃっ!」
助ける気が無いイリスと彼までは助ける余裕のないラプラは、徐々に吸い込まれようとするユーリをただ見守っている。ポチも自分のことで手一杯なので、ユーリは「くそっ!」と忌々しそうに吐き捨てて、現状を打破するには自分でどうにかするしかないと諦めた。しかし自分でどうにかするしかないといっても、せいぜい踏ん張って吸引に抵抗するので精一杯だ。やっぱりどうしようもない。
「これが終わったらイリス、てめぇ覚えてろよおぉぉっ!」
そう恨み言を叫ぶユーリに、イリスは笑うのをやめて少し真面目な顔をする。
「奥さんに旦那が魔物に美味しく食べられましたって報告はしたくないからさ、あのバカを助けたいのはやまやまだけど……でもこれ実際どうしようもなくないかな? 迂闊に近づくと私たちも吸い込まれちゃうし」
「そうですねぇ……これは呪術でどうにかするしかないでしょうが、今の状況ですとあの人を巻き込む可能性がありますし」
呪術ならば離れた場所から魔物に攻撃できるが、今はユーリと魔物の距離が近すぎて、ラプラも迂闊に呪術を放つことが出来ないようだ。一度あの魔物を倒したことがあるラプラなのでやろうと思えば倒すことは容易だろうが、その時の呪術の威力は建物を半壊させるほどの凄まじいものだったことをイリスも思い出す。たぶんアレと同じことをしたら、間違いなくユーリも木っ端微塵になるだろう。ならば他の呪術ではどうかと、イリスは考える。
「……ねぇ、ラプラってなんか拘束する呪術使えなかったっけ? 植物の蔓みたいなやつで拘束する呪術。あれで魔物を縛っちゃうのはどう?」
イリスがそう提案すると、ラプラは「あまり効果は無いと思います」と首を横に振る。
「確かにその術ならあの人を巻き込まないことは可能ですし、あの魔物の動きを止めることは出来るでしょうけど……吸引までは止められないでしょうね」
「うーん、そういうものか……確かにあの魔物は動いているわけじゃなく、あの場にとどまって口開けてるだけだしね」
二人がそう話している間にも、ユーリは魔物にどんどんと吸引されていく。もう魔物の口が2、3メートルというところまで迫り、ユーリは「お前ら悠長に喋る暇あるなら助けろおおぉーー!」と叫んだ。
「うるさいなー、考えてるよ! だからあんたももうちょっとがんばってよね! めっちゃ強いんだから、それくらいで弱音吐くな!」
「弱音って、めっちゃ強い俺にも限界ってもんがあるうううぅうぅっ!」
ガチでヤバイ状況なのか、ユーリは今度は打って変わって「万能で無敵でかわいい親友のイリスちゃん助けてくださいお願いします! マジなんでもするから!」と、露骨に媚を売り始める。イリスは心底うざそうな顔をしてユーリを見返したが、そんなイリスに妙案を思いついたラプラが耳打ちして何かを伝える。ラプラの話を聞いたイリスは驚いた表情の後に「え、無理だよ」と呟きを返した。
「私にそんなこと……できないってば」
「大丈夫ですよ。あなたは自身を過小評価しすぎています」
自身の提案に苦い顔を返すイリスに、ラプラは笑顔で「やってみましょう」という。それでも迷うイリスだが、ユーリがそろそろ美味しく食べられる寸前なので、仕方なく覚悟を決めた。
「ねぇユーリ、今から私があんたを助ける努力をするけどさ! 正直自信無いから失敗しても恨まないでねー!」
「今までのことは恨んでるけど、今回のことでは恨まねぇから早く助けろっ!」
ユーリの余計な一言が気になったイリスだが、しかし彼を助けることにする。彼はラプラに支えてもらった姿勢のまま、ラプラのロッドを掴んだ。その直後、イリスは自身の変身を解いて魔物の姿を晒す。それを目撃したユーリは、彼は一体何をする気かと不安に身構えた。
「え、まさかイリスおまえ……っ」
『CFRZECONFINCOECEZEAGELDEEOL…』
魔物の姿になったイリスの口から紡がれたのはレイスタングだ。何か呪術を使おうとしている彼に気づき、ユーリの顔色がますます悪くなる。まさかラプラではなく、イリスが呪術でどうにかしようとしているのだろうかと、彼は心底不安になった。しかし不安であっても、今は信じるしかない。
『RESCUETKIPUMENTKILNISHSCILL.』
少々長い詠唱によって周囲に凍える冷気が発生する。この周囲にあるのは歪に歪んだマナなので制御が難しいらしく、イリスの表情が苦し気に少々歪むが、しかしそれでも彼はなんとか呪術を完成させた。
「!?」
気付けば大きく開かれた魔物の口は、ユーリの背後に間近へ迫っていた。異界に続く闇の大穴にしか見えないそれを背後に見ていたユーリは、続けてそれが蒼い光と共に生み出された氷に包まれていく光景をも目撃した。呪術で生成された氷は魔物を覆い、その球体を包み込むように閉じ込める。氷が完全に魔物を覆うと、それに伴い吸引も止まった。
「お、おぉ……やった、たすかった……」
氷の織に閉じ込められた魔物を目にしながら、ユーリは安堵からその場にしゃがみ込む。周囲は息が白くなるほどに温度が下がっていたが、ユーリへの被害らしい被害はそれだけだ。とくに呪術に巻き込まれることもなく、ユーリはもう一度「たすかった……」と呟いた。
「素晴らしい! うまくいきましたね」
呪術がうまくいったことを確認して、ラプラがそう嬉しそうに声をかける。イリスも安心した様子で息を吐き、しかし次の瞬間「しんどい……」と疲れたように言った。
「こんな大きな呪術使ったことない……倒れそう……」
「大丈夫ですか? 私が抱っこしてあげますよ?」
抱っこされたくはないので根性で立ち、イリスはユーリに「大丈夫?」と声をかける。ユーリもまた立ち上がり、「おぉ」と短く返事を返した。




