世界の歪み 10
「そ、そんな! ハルファス、お前が力を貸してくれなきゃ困るじゃないか! 今の俺にあんなでかい剣を振り回す力は無いんだから!」
『知らん。これも自業自得と思い、もっと反省することだな。……戦闘での私の力や治癒魔法は魔力を糧にするのだ。魔力が完全に無くなれば、どうあがいても私の力に頼る事は出来なくなる。魔力の大切さをもっとよく知る為に、お前にはこれくらいのことをさせんとな』
「そんなこと言われても……」
ローズが今の姿、いわゆる”アリアの姿”のままでも昔と変わらず身の丈以上の大剣を難なく振り回せているのは、ハルファスという強力の魔人の力が理由だ。そして彼女のその力をローズが得る為には、自身の持つ魔力が必要となる。
『まぁ、あと私も少し休息したいと思っていたしな。いいタイミングだろう。今はジュラードもいるし、お前一人が頑張らなくてはいけない状況でもないからな』
「ってことはぁ、お姉さまが休んでいる間はローズはアレかしら。……役立たずになるということ?」
「マヤ、そんなはっきりと役立たずって言うなよ! 悲しくなるだろ!」
ちょっと泣きたい気分になりながら、ローズは「でも、確かにハルファスの力が無ければ俺は役立たずだな……」と力無く呟く。
「まぁまぁ、そう落ち込まないでローズ。たとえ役立たずでも、アタシはローズのこと大好きよ」
「……嬉しいけど嬉しくない……むしろ悲しい……」
悲しげに呟くローズを見て、ハルファスは溜息を吐く。そのまま彼女はまた光となり、ローズの中へと消えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
人里から少し離れた小さな孤児院の庭では、朝早くからユエが子どもたちの洗濯物を干していた。
そんな彼女の元に、元気な少女の声が聞えてくる。
「せんせぇ!」
「! リリン、お前今日は元気だな!」
ユエが目を丸くしながら驚くその視界の先に、小柄で痩せた少女が走ってくるのが見えた。その後ろからは年上の少女のエリと、いつも通りのエプロン姿のイリスが歩いてくる。
ユエにリリンと呼ばれた少女は、”禍憑き”を患い苦しんでいる少女その人だ。しかし今日は普段より体調が良いようで、彼女は綺麗な青銀色の髪の毛を太陽の光で煌かせながらユエの元へと走ってきたのだった。
「せんせぇ、おはようっ!」
「おはよう、リリン。……おいおい、元気なのは良いがあんまり張り切りすぎるなよ?」
リリンは走ってきた勢いでユエに抱きつき、ユエはそんなリリンの様子に苦笑いを浮かべる。
今日の彼女は本当に体調が良いようで、いつも寝っぱなしの状態なのでその反動で元気に動き回りたいのだろう。しかし調子に乗ってまた体調を崩すといけないので、ユエは笑顔で自分に甘えるリリンに少しだけ注意を告げた。
「今日のリリンってば、ホント元気だね」
隣に立つイリスに語りかけるように、エリがそう呟く。歳よりも大人っぽい落ち着きある少女は、優しい姉の眼差しで元気なリリンを見つめていた。
「そうだね……あのまま、良くなってくれると良いんだけどね」
エリの呟きに答えるように、イリスも目を細めてリリンを見つめながらそう言う。その直後、リリンが少し笑顔を曇らせてユエにこう問いかけたのが聞えた。
「ねぇ先生、お兄ちゃんはまだ帰ってこないの……?」
「あ、あいつは……」
ユエに問いかけるリリンの表情が、途端に不安げなものに変わる。先ほどまでの元気は消え、少女は寂しげな声でユエに問いを続けた。
「お兄ちゃん、働きに外行ってるんでしょ? いつお仕事休みなの? いつ帰ってくるのかな? 私、お兄ちゃんに会いたいな……」
リリンには兄がいた。
この孤児院に住まう子どもたちは皆兄弟のような認識でいるが、彼女には本当に血が繋がった兄が一人いる。彼もこの孤児院で育った子どもの一人だったが、しかし彼は妹である彼女が”禍憑き”となってから数週間後、突然短い置手紙を置いて何処かへと消えてしまったのである。そしてその失踪を、リリンや他の幼い子どもたちには『遠くへ働きに出て行った』とユエは説明した。彼の失踪の真実を知るのはユエとイリス、それと年長の子どもであるトウマとエリだけだった。
兄が失踪して二ヶ月が経とうとしているが、一向に彼がこの場所に戻ってくる気配は無い。ユエは小さく溜息を吐きながら、リリンの頭を撫でた。
「……あいつは忙しくて、まだしばらくは帰って来れないんだよ……ごめんな、リリン」
「……そう……」
ユエの答えに、リリンは先ほどまでの元気さを一気に失って肩を落とす。そんな彼女の姿を見て、ユエは居た堪れない気持ちとなった。
「お兄ちゃん……げほっ、げほっ!」
呟き、リリンは俯いて小さく咳き込む。ユエが慌ててしゃがみ込み、「大丈夫か?」とリリンの顔を覗き込んだ。
「けほっ……うん、平気……」
「……そうか、ならいいんだけど……でも、あまりはしゃぎ過ぎちゃいけないよ」
「でもせんせぇ、私も今日は外で遊びたい……」
リリンが切実に訴える眼差しで見つめてくるので、ユエは「そうだね」と答えた。
「あまり走ったりはしないようにね。それと、具合悪くなったら直ぐエリかイリスに言うんだよ?」
「うん、分かった」
素直に頷いたリリンに、ユエは彼女らしい豪快な笑顔を向けて「よし、いい返事だ!」と言って頭を撫でる。リリンもそれでやっと、最初の笑顔を取り戻した。
「んじゃエリ、リリンのこと頼むな」
「分かった、ユエ先生」
エリは頷き、リリンに手を差し伸べながら「行こう」と声をかける。リリンは「うん」と頷き、彼女の元に小走りで駆け出した。
そうして少女たちは、他の子どもたちの元へと共に向かう。イリスはこの場に残り、ユエは彼に声をかけた。
「久しぶりだな、リリンが外に出るのも」
「そうだね。最近はずっと調子悪かったから……今日はご飯もいつもより多く食べれたし、ちょっと安心した」
イリスはそう返事をして、ユエの元へと足を向けて「残りの洗濯物は私が干すよ」と言う。
「もう直ぐユエ、お仕事でしょ?」
「あぁ、悪いなイリス」
イリスはユエに笑顔で「いいよ、任せて」と返事をする。ユエはその返事に洗濯物の残りを全て任せることにして、自分の仕事へ向かう為に準備をしようとイリスに背を向けて歩き出した。
「……?」
イリスに洗濯物を干すのを任せて歩き出したユエだったが、数歩歩いたところで不意に足を止める。背後で何か音を聞いた彼女は、振り返って背後を見た。そして視界の先に見つけたものに、彼女は表情を強張らせて叫ぶ。
「イリス!」
振り返った先にユエが見たものは、背を向ける直前まで笑顔で自分と言葉を交わしていたイリスがうつ伏せに倒れている状況だった。
長い水色の髪を無造作に地面に散らし、イリスはぴくりとも動かず地に伏せる。ユエは血の気が引くのを感じながら、急いで彼に駆け寄った。
「イリス、どうした! おい、しっかりしろ!」
ユエは倒れたイリスの上体を起こし、蒼白な顔色で意識を失っている彼に呼びかける。しかしイリスは彼女の声に反応せず、血の気の無い顔色で硬く目を閉じていた。
「……ユエ?」
突如意識を失ったイリスが再び目を覚ましたのはそれから二時間後で、彼は真っ白い天井の部屋で目を覚ます。傍には自分を不安げな眼差しで見つめるユエがいた。
「よかった……目、覚ましたかい……」
「……ここは」
不安げな表情は変わらず、しかし確かな安堵を呟きに宿してユエはイリスを見つめる。そして居場所を尋ねる彼に、「レイヴン先生のとこだよ」と彼女は答えた。