浄化 15
「あ、せん、せ……」
「? どうしたの、ジュラード。すごく顔色悪いけど……」
自分は今まで呼吸を止めていたのだろうか。
息苦しくてジュラードが喘ぐように呼吸を繰り返すと、イリスがひどく心配した表情で「大丈夫?」と聞いた。
「え、えぇ……大丈夫です。なんか、先生が妙なことを言うから……想像してしまって」
「そうぞう?」
小首を傾げてイリスが問うと、少し落ち着いたらしいジュラードは脂汗が滲む額に手をあてて、「何でもないです」と苦く笑って頷いた。
「何でもないようには見えないけど……本当に大丈夫? 買い出しは私だけで行ってもいいよ?」
ジュラードを気遣うようにイリスがそう声をかけるも、ジュラードは首を横に振る。
「大丈夫です、歩けますから。それより……今の先生のお話で少しわかった気がしました」
「そう?」
自分が本当に恐れることは何か、それを理解した気がしてジュラードは力ない笑みをイリスへ向ける。
「先生の言う通りかもしれないです。俺は誰も、何も傷つけなくないから……恐れているのかもしれない」
誰かを傷つけることによって、自分が傷つくことを恐れている。
人を傷つければ恨まれる。傷つけた本人はもちろん、その人と関係する存在からも憎悪されるだろう。それは嫌だ。
じゃあ、魔物を傷つければ、誰かから恨まれるだろうか。きっと恨まれることはないとわかっていたから、魔物を倒すのは平気だったのだろう。
でも、たとえ話のようにイリスを傷つければ、その時はきっと誰かが自分を恨むだろう。それ以前に、そもそも自分が苦しくなる。
自分が本当に怖いのは、自分の心が傷つくことだ。
「……なんか、俺、弱いですね」
弱さを自覚すると途端に情けない気持ちでいっぱいになり、ジュラードは気落ちした表情を浮かべた。しかしそんなジュラードを、イリスは微笑んで否定する。
「弱くなんかないよ。誰だって普通は自分が傷つくのは嫌でしょう。……なんていうか、ジュラードはいい意味ですごく普通なだけだよ」
イリスは微笑みを苦いものに変え、「たぶんだけど」とジュラードに告げる。
「ジュラードは、ローズたちとずっと一緒にいたでしょう? で、彼女たちの逞しさを知って自分と比べちゃったんだよね」
「うっ……そ、そのとおりです……」
ジュラードが頷くと、イリスは苦笑を浮かべたまま「やっぱり」と言った。
「あのさ、ローズやマヤはいろんな経験をしてきたからその結果にあんなふうに逞しいというか、卓越しちゃった感じになってるわけだけど……ジュラードがそうなる必要はないから大丈夫だよ。むしろ今のままのジュラードの方が、貴重で大事というか……逆にね、ローズやマヤたちにいい影響を与えられるんじゃないかな」
自分の弱さを自覚して、それを素直に落ち込んだり悩んだりするジュラードはとても普通で、等身大の青年の姿だとイリスは思う。
「私はそういうジュラードが好きだし、そのままのあなたでいてほしいな」
「先生……」
イリスは微笑んで「ね?」と言い、ジュラードにうさこを差し出す。ジュラードがうさこを受け取ると、うさこも彼を肯定するように「きゅ~!」と元気よく鳴いた。
「……ありがとうございます、先生」
きゅうきゅうと鳴いてジュラードを励まそうとしている様子のうさこに視線を落としながら、ジュラードは少し笑いながら礼を告げる。そんな彼を見つめ、もう大丈夫そうだと判断したイリスは「また何かあったら、いつでも相談してね」と告げた。
「え、はい。……ところで先生」
「なに?」
ジュラードはうさこからイリスへと視線を移し、「先生、その手、どうしたんですか?」と問う。その問いの意味を即座に理解できずにイリスが疑問の表情を浮かべると、ジュラードは彼にこう言った。
「今、うさこを受け取った時見えたんですが……右手に何か、包帯していませんか?」
ジュラードは心配そうに「怪我でもしたんですか?」とイリスに問う。イリスは長い上着の袖で隠れていた右手をわずかに持ち上げ、「あぁ、大丈夫だよ」とジュラードに笑って言った。
「そう、ちょっと怪我しちゃってね。妙な痣が出来て見栄え悪いから、隠してるんだよ」
「え、大丈夫ですか? ローズに治してもらったら……」
「平気、痛くないし。それよりも、そろそろ買い出しに向かわないとね」
「あ、はい……」
何か誤魔化すような態度に見えたイリスだが、彼が踵を返して歩き出すとジュラードも慌てて彼の後を追った。