浄化 14
「ローズたちと行動している時、俺の油断で夢魔に襲われたんですが……その時、俺がどうにかしないといけない状況でした。でも俺は、相手は”魔物”だってわかっているのに、即座に魔物に剣を振り下ろすことが出来なかった。だってその夢魔が、俺たちと同じ言葉をしゃべったから……」
ジュラードは頼りなさげに眼差しを伏せ、「怖かったんです」と呟く。
「相手が俺たちと同じ言葉をしゃべっただけなのに、今相手に剣を振るえば俺は『人殺し』になってしまうんじゃないかと……そう思ってしまった」
ジュラードの話を聞き、イリスは少し考えるように、無言で彼をじっと見つめる。しかし直ぐに彼は柔らかい笑みをジュラードに向けた。
「大丈夫だよ、ジュラード。あなたは人殺しにはならない。そんなふうに悩んで、私に悩みを打ち明けるあなたはとても優しい存在だから」
「先生……」
「夢魔とか、ヒト型の魔物は知性が高いから人の言葉をまねることが出来る場合もある。でも、あくまで彼らは『魔物』だから、本能では人を襲う危険な生き物だよ。今後もあなたが剣を振るう相手は『魔物』で、それは……あなたたちとは決して分かり合えない存在。お互いに分かり合えることはないのだから、共存は不可能……手を取り合い、助け合うことは出来ない。だから魔物を殺すことは道徳に反することではないんだよ」
「……」
本当に人と魔物は、共存が不可能な存在なのだろうか。
じゃあ、今目の前にいる”彼”はどうなんだ?
今、自分を諭す彼は夢魔であり、そして自分たちにとって大切な”先生”だ。
分かり合えることは出来ない存在であるのか。
「……せんせい、は」
「なぁに?」
何かを問いかけようとしたジュラードだが、変わらぬ笑みを向けてくるイリスを見て、彼の問いかけは「いえ」という否定に途切れた。
ジュラードが問いかけようとした言葉は『先生とは分かり合えないのでしょうか』という一言。しかしそれを馬鹿正直に問おうとして、それはただイリスを傷つけるか困らせるだけの愚かな質問だと気づいたジュラードは問いかけをやめたのだった。
代わりにジュラードはイリスへとこう言葉を向ける。
「先生の方が優しいと、そう思っただけです」
「あはは、なにそれ」
ジュラードの言葉にイリスは笑い、「でも、ありがとう」と彼に礼を告げた。
「それにしてもジュラードが難しいことに悩んでて、先生びっくりしちゃったよ」
「え、な、なんですか急に……」
苦笑しながらジュラードは「別に難しいことは悩んでませんよ」とイリスの言葉を否定する。今イリスに話した悩みは、根本はとても単純な悩みであると、ジュラードはそう思っていた。そして否定するジュラードを見てイリスもそれに気付いたらしく、納得したように「そっか」と言葉を漏らす。
「じゃあ、ジュラードが私が思うよりもよっぽど大人でびっくりしたってのが正しいのかな」
「……まぁ、孤児院でお世話にはなってますけど、俺もう17ですから……」
ジュラードは「ユエ先生もですが、先生たちって俺やギースやリリンのこと『子ども』でひとまとめに考えてません?」と聞く。それを聞いてイリスは図星だったのか、ちょっと驚いた表情の後に苦笑を見せた。
「あぁ、そうかもしれないね」
「やっぱり……」
呆れた顔をするジュラードにイリスは「ごめん」と謝罪し、そして彼はふと思ったようにこう言葉を続けた。
「さっきの話さ、確かにもっと単純に考えられる話だったよね。もっと単純に……『相手を愛せるか』って、そう考えたらいいんじゃないかな」
「え?」
「『魔物を殺すことは悪か』は、『あなたは魔物を愛せるか』って、そう置き換えて考えてみればいいよ」
「愛す、る……?」
イリスは「そう、愛することが出来るか、否か」と静かに頷いた。
「”心”なんて定義が曖昧でよくわからないでしょう。それが自分自身ではなく相手で……しかも魔物だとしたら、なおさら。だからもっと直感で、自分が刃を向ける相手を自分は『愛する』ことが出来るかと考えるの。過去、今、これから……どの時間軸で考えてもいいけど、少しでも『愛せる』『愛していた』と感じたら……あなたは、それを殺すのはやめたほうがいいかもね。良心の呵責を感じて、その後ずっと後悔することになるだろうから」
「……」
どう言葉を返せばいいか迷うジュラードに、イリスは涼しげに眼差しを細めて「たとえば」と続ける。
「私は魔物だから、ジュラードが私を殺すことがあっても『人殺し』にはならないと、私はそう思う。でも、ジュラード自身はそうは思わないだろうね。私には『心』があるって、そう思っているから。きっと私を慕ってくれているわけだから、家族として愛してくれてるんだろうとも思うよ」
悪戯っぽく笑いながらそう言うイリスに、ジュラードは「例えでも、そんな話はしないでほしいです」と苦く言葉を返す。
「先生を殺すなんて、そんなの……先生の言う通りです。俺は嫌だ……怖くて、出来ない。いや、俺は、できなかった……」
「ありがと。本当はさ……私がまた『いつかの夜』みたいに自我を失って暴れたら、その時は殺してほしいんだけどね。でもそんなことをあなたやユエたちに願うのはとても酷なことだとわかっているから……私もあなたたちに刃を向けられたくはないと思うよ」
イリスは優しく笑んだまま、ジュラードを見つめていた。
「人を殺したくないって思うジュラードの優しい心は、ずっとそのままであってほしい。その思いの根本は『誰かを傷つけたく無い、悲しませたくない』って願いなんだろうから。だから、私はあなたには殺されたくはないんだ。あなたが『魔物の私』を殺したら、あなたの優しい心に一生の『罪悪感』を刻んでしまうことになるから」
イリスの言葉を引き金に、ジュラードの脳裏にはいつかに自分が殺した夢魔の姿が浮かぶ。しかし自分が振り下ろした刃に倒れた夢魔は、唐突にあの夜に暴走したイリスと重なった。
「っ……」
自分の刃が鮮血に濡れている。呆然と立ち尽くす自分の目の前に倒れているのは、イリスだ。
長い水色の髪が無造作に血の海に広がり、赤色へと染まる。
自分は一体、『なに』を殺した?
それは魔物か、それとも……――
「ぁ……」
混乱するジュラードを現実に引き戻すように、「そうしたらきっと、あなたは自分を『人殺し』と思うでしょう」と告げるイリスの声が彼の頭に響いた。その声でジュラードの瞳は現実を映す。鮮血の中に倒れるイリスの悪夢は消えていた。