世界の歪み 9
「きゅいぃ~」
「あ、うさこも……心配かけてごめんな」
うさこがローズの膝によじ登って自分の存在をアピールすると、ローズもうさこの頭を撫でながら「ありがとう」とこちらにも礼を述べる。うさこはローズが目を覚ましてくれた事が嬉しいようで、よじ登ったローズの膝の上で嬉しさを表現するようにぷるぷると何度も跳ねた。
「しかし……これでまた一段と魔法を使うのが難しくなってしまったな……今後、私の魔法が絶対必要になるような場面が無いといいんだけども……」
「どういうことだ?」
ローズが困ったように呟くと、ジュラードがその呟きの意味を問う。ローズはジュラードと視線を合わせ、こう彼に答えた。
「ほら、前に言っただろ? 私は体質的に魔力の回復が遅いらしいんだ。元々魔力を持って生まれた者がそれを消費する事で、一時的にだとしても完全に体内から失うとどうも危険らしくて……だから魔力が減ると体が自動的に、これ以上の魔力消費を避けるために今みたいに意識を喪失させたりするらしい。今回でもう倒れるのは二度目だから、相当私の中の魔力は減っているということだろうから……これを完全に回復させるには、またいっそう時間が必要になると思う」
ローズは難しい顔で「この調子だとしょっちゅう倒れる事になるから、やはりしばらくは魔法は使えないな」と、そう溜息混じりに言った。
「なんか、やっぱり大変なんだな……魔法は万能の力じゃない、か……」
「あぁ。万能の力なんてのは存在しないと、私はそう思う……でも、自分の持っている力の中で精一杯のことをしたいとは思うけどな。万能にはなれないけれども……」
呟き、ローズはうさこを膝の上で強く抱きしめる。ひんやりとしたうさこの冷たさに心地よさを感じながら、ローズは少し懐かしい過去を思い出すように目を閉じた。
アゼスティへと向かう列車は、日の落ちた夜の間も静かに走行を続ける。
座席を離れたローズは、一人人気の無い列車のデッキ部分で、紺碧に沈んだ色の車窓の風景を眺めていた。
ジュラードとうさこは、就寝出来る広さとなっている座席で体を休めるように眠っている。
「……なぁ、マヤ。ちょっと出てきてくれないか?」
独り言を呟くように、ローズは窓の外に視線を向けたままそう呟きを漏らす。すると彼女の胸元が小さくも眩く輝き、マヤが姿を現した。
「もう……ローズ、あなたってば自分の状態が分かっててアタシを呼んだのかしら?」
「……マヤ、怒ってるか?」
俯き眼差しをマヤへ向けたローズは、何処か申し訳無さそうな感情の瞳でそう問いかける。マヤは数秒彼女と視線を合わせた後、目を逸らして「そんな顔でそんな問いかけしないでよぉ」と呟いた。
「卑怯よー、そーいう顔は。そんなふうに聞かれたら、怒ってたとしても『怒ってる』って言えなくなるじゃない……」
「え……そ、そういう顔?」
ローズが困った様子で小首を傾げてそう問うと、マヤはまた顔を上げて彼女に苦笑を返す。
「あなたにしょんぼりした顔されると、強く言えなくなっちゃうのよ」
「そ、そう……か?」
なんだかいつかにそんなことを彼女に言われた記憶があるかもしれないと、そうローズは思いながら、マヤに彼女と同じ苦笑した表情を返す。
既視感のようなこの感覚は、本当に今の自分の記憶なのか、あるいは一度心の内側で向き合った”かつての自分”の記憶なのか、そのどちらなのだろうとローズは無意識に考える。するとマヤがまた口を開き声をかけた。
「……怒ってるって言うか……あなたが傷ついた人が目の前にいたら、治癒の魔法を使ってしまう性分だって事はアタシも理解してる。でもあなたを本当に心配してる人がいるんだって事、分かって欲しいよ……何だろうね……もどかしいというか……ううん、辛いのかな……」
「マヤ……」
マヤの正直な気持ちを聞き、ローズは思わず「ごめん」と呟いてしまう。マヤは顔を上げた。
「謝らないでよ。その代わり、もう無茶しないで。倒れてまで他人を助けようとしないでよね」
「……アリアにも同じこと、言ったろ?」
「え、覚えてるの?」
驚くマヤに、ローズは苦笑しながら「何となく」と答える。そうして彼女は「気をつけるよ」とマヤに告げた。
「ホントかなぁ……ローズ、そう言って全然気をつけないんだから」
「ほ、本当だって! ……俺だって、お前を心配させるのは辛いんだ。今だって……なんかもう、俺は本当に『ダメ人間』なんじゃないかって思えたくらいで……」
『気をつける』と言っておきながらまたぶっ倒れたことを、ローズもローズなりに深く反省しているようだった。
悲しそうに俯くローズに、マヤはひどく大人びた眼差しを向ける。
「……本当に反省してるみたいね。ならいいわ、今回は……アタシは許すわ」
小さくなってもマヤは自分よりよっぽど懐の広いお姉さんで、優しくて頼りになる。”アリア”だった頃からの印象はそのまま変わらない。こんな彼女だからつい自分は甘えてしまうのかもしれないと思いながら、ローズは「ありがとう」とマヤに告げた。
「あ、でも……アタシは許してもお姉さまはきっと許してくれないわよ」
「え?」
マヤが言う『お姉さま』とは、ローズの守護魔人のハルファスだ。ローズは彼女の一言に、苦い顔となった。
「う……怖くて気づかないフリをしていたが、やっぱり怒ってるのか?」
マヤはちゃんと反省すれば許してくれることを理解してるローズだったが、マヤよりよっぽど自分に厳しいハルファスはそうはいかないということも分かっている。分かっている為に、彼女はマヤの言葉にすごく嫌な予感を感じた。
「もー滅茶苦茶怒ってるわよ」
「え、えぇ~……そんな……」
マヤは不安がるローズに、「お姉さまとも一回ちゃんと話しておいた方がいいわよ、ローズ」とアドバイスをする。ローズは相当ハルファスが怖いのか、顔色悪くさせながらも「わ、わかった」とマヤの言葉に頷いた。
ローズは緊張しながらも、ハルファスの名を呼ぶ。
「は、ハルファス……ちょっと、落ち着いて話をしたいんだが……」
若干震える声でそうローズが口を開くと、彼女の目の前に小さな光が出現する。その光は収束と共に、マヤと同じようなサイズとなったハルファスの姿を成した。
『……』
「……」
実体あるマヤとは違い、ハルファスはやはり肉体は無い状態のままローズの前に姿を現す。普段と違って標準の人のサイズで無いのは、人目を気にする意味とローズの負担を考えてだろう。
物凄いプレッシャー感じる怖い表情で、自分を無言で見つめるハルファスに、ローズは胃が痛くなるのを感じた。
『……ローズ』
「は、はい……」
ローズは緊張した面持ちでハルファスに返事をする。そしてハルファスは案の定、ローズに怖い顔で説教を始めた。
『マヤが許しても私は許さんからな……お前の行動には全く呆れる。お前はまるで私やマヤの忠告を聞かんではないか』
「はい、本当にすみません……」
『いいかローズ、私はジェンドやアヤの代わりにお前を立派に育てると……』
「すみません……はい、反省してます……本当に……」
覚悟していた長い長いハルファスの説教が始まり、ローズは萎縮しながらただひたすら謝る。その間マヤは暇そうに何度も欠伸をかみ殺して、二人の様子を眺めていた。
『……というわけだ。ローズ、わかったか』
「はい……よくわかりました。すみません……」
三十分近く説教され、さすがのローズも疲弊しきる。でもこれでハルファスも今回の無茶を許してくれると、長い説教が終わったことでそれを予感したローズは、ちょっとだけ気分が上向いた。
が、自分の言う事を聞かずに無茶をするローズに対するハルファスの怒りは、ここからが本番だった。
「それじゃハルファス、今回の事はこれで許してくれ……」
『甘いなローズ。私がこの程度の説教で納得するはずなかろう』
「えっ?!」
何か予想外な事をハルファスから言われ、ローズは慌てる。というか、怯える。まだ説教が続くのかと、ローズはまたどっと疲労を感じながら身構えた。
だがハルファスはもう説教はせず、その代わりにもっと恐ろしい事を言ってローズを驚愕させる。
『ローズ、私は少しの間お前の中で眠る。だからしばらくは戦闘で、私の力に頼る事は出来んぞ』
「えええぇっ?!」
夜中に迷惑な大声を出し、ローズはハルファスの発言に今度こそ青ざめる。マヤもちょっと驚いた様子となり、「あら、お姉さま……それはまた思い切った罰を……」と呟いた。




