古代竜狩り 83
そこまで正直に自分の気持ちを語り、ジュラードは急に照れ臭くなったのか苦く笑って「悪い」とローズに告げる。
「なんて、言っても仕方ないな……忘れてほしい」
「あ、いや……」
ジュラードの態度にどう返事を返せばいいのか一瞬迷ったローズは、すぐに柔らかく笑って首を横に振った。その拍子にサラサラと、乾きかけたローズの長い黒髪が微かな音を鳴らす。
「私も同じだよ。ジュラードや、みんなともっと一緒に居たいと思う」
「……そう、か」
ローズの言葉にジュラードは返事を返しながら、なんだか安堵するのを心に感じた。一方で、同時に思う恐ろしい感情にも気づく。『終わり』を意識してしまうと、やはり離れることが寂しい。怖いとすら感じる。今この場で彼女の手を取り放さないでいれば、自分は彼女と別れずに済むだろうか。そんなことを咄嗟に考えてしまうくらいに、別れが怖かった。
孤独のままならば知らずに済んだ感情は、心地よい代わりに大きな代償を自分の中に残した。
別れの寂しさに恐怖を感じているジュラードに対して、ローズはその内心を理解したように微笑んだままこう口を開く。
「大丈夫、ジュラード……今はリリンちゃんの病気を治すことだけを考えよう」
ジュラードが人付き合いが苦手で、他人との付き合い方を知らなかった青年だということはローズも理解していた。彼の本質は過去の自分と同じなのだ。
かつての自分もジュラードと同様、他者との関わりの方法を知らなかった。自分の場合は自身の中の醜い復讐心を知られたくなくて、笑顔で汚い感情を覆い隠し、それを結界にして他人を遠ざけていたのが理由だが。その後、マヤやユーリたちとの旅で自分の中の結界は消えたが、その代わりに別れの辛さを知った。しかし、それでも人は前を向いて自身の歩むべきこの先を行かねばならないともローズは理解している。
先の恐怖に怯えて、今ここで立ち止まってはならない。リリンちゃんを、多くの”禍憑き”に苦しむ人たちを助けるためにも。
「ね?」
「……そう、だな」
ジュラードはローズの言葉に素直に頷く。ひどく痛々しい笑みを表情に湛え、彼は「ありがとう」とローズに告げた。
◇◆◇◆◇◆
たぶん、これは夢なのだと思う。
魔物になってから、自分は多くの”夢”を見るようになった。それは他人のものだけではなく、自分も含めてだ。
だから、わかる。自分が中心となり見る優しい世界は、得てして自分の心が作り出した都合のいい”夢”なのだと。
耐えがたいほどに現実が辛いと、それを否定するように私はいつも優しい夢を見た。
例えば聖女の魂が神の生贄としての輪廻に囚われていたように、私の魂もきっと残酷な現実と対照的な幸夢を繰り返す、そんな永遠の牢獄の中にいるのだろう。
「ク、ロ、ウ~!」
「げぇ、レイリス」
大きな背中に声をかけると、振り返った彼は苦い顔で私を見返す。毎回そんな反応を返す彼が面白くて、私はついいつも彼をからかってしまうのだ。
「げぇ、って……人の顔見ていきなりそれは失礼じゃない~?」
可笑しそうに笑いながらそう返した私に、彼は「お前だから仕方ねぇだろ」と苦い表情のまま言葉を返す。今笑っている私は、彼に”どんな笑顔”を返しているのだろうか。
「毎度毎度、俺に嫌がらせをしてくるお前だぜ? そりゃ『げぇ』とも言いたくなるだろ」
「えー、ひどいー! 嫌がらせなんてしてないでしょう? あたしはただあなたのことがだ~い好きだから、構いたくなっちゃうだけなのに~」
「俺に構うのをやめろぉ! あと、大好きとか言うんじゃねぇ!」
「大好きなクロウと言えど、それは聞けないお願いね~」
ねぇクロウ、今の私は本当に笑えてる?
この笑顔は本物だろうか。それとも……それすら、今の私にはわからない。
だからあなたに教えてほしいのに、どうしてあなたは現実に居ないのだろう。
「全く、てめぇは……レイリス」
「ふふ、なぁに?」
彼の額に大きく刻まれた古傷が、顰め面に合わせて歪む。随分と悲しそうな目でこちらを見る彼に、私は疑問を抱いた。
「どうしたの、クロウ?」
「ちゃんと笑えって、俺はお前にそう言っただろ?」
あぁ、やっぱり私はうまく笑えていなかったのだろうか。
「ふぅん……あたし、笑ってるように見えない?」
「あぁ」
彼の大きな手が、父親のように私の頭を乱暴に撫でる。髪が乱れるからやめてほしいのに、そんな思いとは裏腹に、私はその手を振り払うことは出来なかった。だって、本当は嬉しかったから。嬉しくて……それ以上に、残酷だ。
クロウ、こういうことは現実でしてほしいな。
「そう……難しいな、笑うって」
「演技は得意なんだろ?」
「そのはずだったんだけどね~」
「だったら、なんでだよ」
クロウが真剣な眼差しを私に向ける。その目が宿す感情の意味を私は知っている。我が子を心配する父親のような、それ。
「俺は笑えって言ったのに……お前はなんで、泣いているんだ?」
「!?」
夜の闇を反映した薄暗い中で、灰色の天井を見上げながらイリスは目覚める。覚醒した現実世界、視界は涙に歪んでぼやけていた。
「……なんで、泣いてるかって……あんたが死んで、現実にいないからだよ……クロウ」
灰色の天井を見つめたまま、そう掠れる小さな声で苦く言葉を吐き出す。そうして重い腕を持ち上げて服の袖で涙を拭うと、直ぐ傍で声がした。
「何か夢を見ていたのですか、イリス」
イリスは僅かに首と腕を動かし、目を覆った腕の隙間から声のした方へと涙を拭った眼差しを向ける。瞳孔の細い人外の瞳は、ベッドの傍に立つラプラの姿を映した。
「あなたはいつも辛そうだ……だから、せめて夢の中では幸福であってほしいのですが……泣くほどつらい夢を?」
微苦笑を湛えながらそう問うラプラに、イリスは腕で表情を覆い隠したまま淡々とした口調で答える。
「わりと幸せな夢を見ることが多いよ。でも、だから……現実がクソ過ぎて、起きると死ぬほど辛い」
「そうでしたか」
イリスが腕を退かしてラプラをはっきりその視界に捉えると、彼は苦い笑顔のままでイリスを見返していた。
「では、今も幸せな夢を見ていたのですね。どんな夢を見ていたのか興味があります。他者の夢を見ることが出来る夢魔の能力がうらやましいですよ」
ラプラの言葉にイリスは無表情のまま何も言葉を返さず、彼は感情の凪いだ眼差しでラプラを見た。
しばらく静寂が部屋を包んでいたが、やがてラプラが小さくため息を吐くと、口を開く。
「気分はいかがですか? 体調は……?」
彼の問いかけに対して、イリスは何も答えない。代わりに彼は先ほど涙を拭った右手を持ち上げて、手の甲に視線を向けた。
「……」
「あぁ……すみません、”そこ”に紋様が刻まれてしまいました」
”禍憑き”の呪いにどこか似ている赤い紋様が、イリスの手の甲に刻まれている。それは魔物である自分を縛る制約の証だ。それを無表情に見つめるイリスに、ラプラは少し申し訳なさそうな表情を浮かべて「もう少し目立たぬ場所だとよかったのですけど」と伝えた。
「……いいよ。この手がすでに異常だし……どうでもいい」
異形の魔物の手と化している自分の手を見つめながら、イリスは静かな声で言葉を返す。腕を下ろし、イリスは代わりに体を起こした。
「ラプラ」
「なんでしょう?」
体を起こしたイリスは、ラプラの名を呼ぶ。彼はラプラに視線を向けて、制約が刻まれた手を彼に差し出した。
「もうクソみたいな現実は嫌なんだ。だから、この先は……この制約で、あなたが私を幸せにしてね」
ずっと表情の無かったイリスが、そこで初めて笑みを浮かべる。弱々しい、諦めに似た笑顔。
笑顔で生きるための努力を、自分は精一杯頑張った。
きっとこれが自分の限界なのだろうと、イリスは理解する。だからもう、これ以上自分自身が頑張ることは無意味だ。
「もう、疲れた……だから、お願いだよ」
「……えぇ、もちろんですよ」
差し出された手を握り返し、ラプラは深く頷く。その返事を聞き、イリスは「ありがとう」と笑った。
【古代竜狩り・了】