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神化論 after  作者: ユズリ
古代竜狩り
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古代竜狩り 72

「ひっ……あ、ぁ……!」


 『ユエ』と、その名を聞いた瞬間、虚ろなイリスの眼差しが恐怖に見開かれ、その肩が大げさに震える。


「ユ、エ……ユエ……う、ぁ、あっ……っ!」


 イリスは譫言のように彼女の名を繰り返し、恐怖に見開かれた異形の目はここではないどこかを見つめる。その眼差しには深い絶望と、そして後悔が滲んでいた。

 ラプラは目を細め、ただ淡々と問いかけるような言葉を続ける。その一言一言が呪詛のようにイリスの精神に作用した。


「……あなたの望みは、イリス」


 望みを問われ、一度は魔物として生きることを決めた彼の中の決意が揺らぐ。

 もう自分は後戻りできないところまで心を侵食されている。しかし、それでも脳裏に浮かぶ幻想は愛しい人たちの笑顔と、共にある自分の姿。


「わ、たしは……」


 こんなに堕ちてもまだ自分は、何かを望むことが出来るのだろうか。


 ――教えてほしい、クロウ……。


「わたし、は……まだ……クロ、ウ……」


 虚空を見つめるような眼差しのまま、イリスは救いを求めるように手を伸ばす。その先に救いの光があるかのように、震える左手を伸ばして……そして、ラプラはその手を掴んだ。


「では、私の望みを教えましょうか。……あなたの幸せが私の望みなんです、イリス」


「……」


「ずっと……かつての未熟な私の過ちのせいであなたを失った時から、後悔と共に願いは変わらない……再会した時今度こそ、あの時の贖罪すると誓ったんですよ」


 何かを独白するようなラプラの言葉の意味を、イリスは知ることはない。ただ寂しげに目を細めて笑うラプラをその瞳に映して、彼は呆然とした表情で言葉を聞いた。


「だから、私は……あなたを救いましょう。どんな手を使ってでも……必ず、救います。ですから、心配せず私の手を握ってください」


 掴もうとした救いの光は、本当に救いであったのだろうか。

 あるいはそれは、悪魔の契約なのかもしれない。濁った思考の片隅で警告する本能が、後者である可能性を強く訴えていた。


 それでも思考を蝕まれたイリスは、『救う』と告げたラプラの手を握り返す。

 それはこの先のほんの少しの幸福と引き換えに、長い苦しみを選択した瞬間だった。


「……契約成立ですね」


 大きく唇を歪め、ラプラは暗く笑う。続けて「よかった」と小さく呟き、彼は自分という悪魔と契約した魔物を熱の無い眼差しで見下ろした。


「あなたに無理強いすることは、出来ればしたくなかったので。こうして私の『提案』を受け入れてくれて安心しましたよ」


「っ……」


 ラプラのその言葉に、急にイリスは正気に戻った様子となる。虚ろだった眼差しは目の前のラプラを映し、魔性のそれは怯えを孕んでいた。


「な、なにを……?」


「……安心してください、イリス。あなたには、”あのドラゴン”と同じような手段は用いませんよ。だって、もっと簡単に……そう、私を何度も支配したあなたのおかげで、私たちの境界は今やこんなにも曖昧だ」


 身の危険を感じたイリスが反射的に夢魔の力を使い、ラプラを支配しようとする。魔性の瞳に赤い光が宿るが、しかしそれより先にラプラの唇が禁呪を紡ぎ、イリスの肌に禁呪の印が広がった。


「ぐっ……ラプ、らっ……!」


 苦しげに表情を歪めるイリスとは対照的に、ラプラは暗い眼差しのままで優しく微笑みを返す。


「心がある存在を支配するのがこんなにも簡単だなんて、驚きですね。私を容易に操るあなたを見ていても思いましたが……今後の研究の参考に致しましょう」


「うっ、ぁ……わたしを、どうする気……っ」


 ラプラの習得する禁呪の一つ――魔物を使役する術が自身に刻まれたことを悟り、イリスの目は絶望に見開かれる。なぜ彼はこんなことを……裏切りすら感じているイリスに、しかしラプラは殊更優しく言葉を告げた。


「すみません、イリス……あなたをヒトとして生かすためには、こうするしかないのです」


「な、ぜ……っ?」


「抗うことが難しい魔の血の呪い……あなたには理性があるが、今のままでは夢魔の本能に理性が負けてしまう。ならばその本能に枷をすれば、あなたは表面上はヒトとして生きられるはずだ」


「そ、れは……どうい、う……」


「私が使役したドラゴンは、私を喰らうことはしない。私がドラゴンの本能に枷をして、その凶暴性を封じているからです。……それと同じことですよ」


 ラプラの説明の意味を理解し、イリスは茫然と彼を見返す。それは果たして、本当に自分にとっての救済となりえるのだろうか。

 イリスの不安を察してか、ラプラは再び優しい声音で彼に語り掛けた。


「大丈夫、あなたを苦しめることはしません。私に支配されても、あなたはある程度は自由だ。それにこうすれば、ユエさんや子どもたちと共に笑顔で過ごすことが出来ますよ」


 はっ、はっ、と、過呼吸のように荒く呼吸を繰り返すイリスに、ラプラはもう一度「大丈夫」と告げる。暗示のようなその言葉を聞き、喘ぐように呼吸をしていたイリスの動きが止まった。


「イリス、またユエさんたちと共に暮らしましょう? それがあなたの、不安定なこの心を癒す唯一の方法ならば……私はそれを見守りますよ。ずっと、やがて訪れる別れの時までね……」


「……ラプ、ら……」


「けれども、私も少しは対価をいただきたい。あなたを救うのですから、それくらいは望んでも許されるでしょう?」


 心が浸蝕され、世界が暗転する。最後に彼は何を言ったのか……イリスがそれを聞くことはなかった。



「……これであなたは、私のものだ」




◆◇◆◇◆◇

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