古代竜狩り 71
「え、っと……ちょっと前から……かな? 正確にはわからないんだけど……」
考えながら答えるイリスをじっと見つめるラプラの表情は険しいままだ。彼のその視線に居心地の悪さを感じて、イリスは「そんなに心配しないでいいよ」と声をかけた。
「別に体調悪いとかじゃないし。魔物ってさ、多少食べなくても大丈夫みたい。ほら、このとおり元気だし……」
「いえ、イリス、魔物も何かしらエネルギーを摂取しないと生きていけませんよ。魔物だって、ある意味で食事をします。魔物は自分の栄養とするために人を襲うことも多いのですから」
魔物が人を餌として襲うことはイリスも当然知っている。ラプラの話を聞き、イリスは言葉を返せずにただ険しい表情で前を向いた。
「あなたは元はヒトなのですから……食べないでいると、体力が落ちますよ。体力が落ちれば、変身術を維持することが難しくなることも……」
そこまで説明しかけて、ラプラは突如「あっ」と驚きの声を上げる。思わずイリスが「どうしたの?」と問うと、ラプラは驚きに目を見開いたままイリスにこう返した。
「い、イリスっ……あなた、角が……!」
「え……?」
珍しいラプラの動揺に、イリスも思わず不安になる。
彼が口走った『角』とは、言葉通りの意味だろうか。だとしたら、自分はこんな街中で変身が解けて『魔物』である姿を晒しているということか……?
「えっ?! ウソ、まさか変身がっ……?!」
ハッとした様子でそう声を上げたイリスは、咄嗟に自分の頭を触って角を確認しようとする。しかしそれより先にラプラがイリスの服のフードを掴み、それで彼の頭を隠した。そして動揺した様子のまま、ラプラは路地裏を指差してイリスの腕を引いた。
「と、とりあえずあちらにっ……一旦、変身術を掛けなおしましょう」
「わ、わかった……!」
ラプラに引っ張られる形で、イリスは慌てて人気のない路地裏へと走る。細く暗い道を奥へと進み、やがて突き当りで足を止めてイリスは改めて自身の頭部を確認した。
「どうしよっ、まさか、誰かに角を見られたりしたかなっ?!」
あたふたしながらそうラプラに問いつつフードの上から頭を触るイリスだが、しばらくして「ん?」と疑問の表情を浮かべる。そうしてもう一度じっくりと、今度は落ち着いて自身の頭部を探り、そして彼は疑惑の眼差しを向かい合うラプラへ向けた。
「角なんて出てないじゃん……」
「ふふ、バレてしまいましたか」
にこりと微笑みながらそう答えるラプラは、いったい何を考えているのかわからない。イリスは不機嫌そうに目を細め、とりあえず「私を騙すなんていい度胸だね」と文句を返した。
「何のつもりかわからないけどさ、そーいう冗談は心臓に悪いからホントやめてくれない? 怒るよ」
「すみません……しかし、落ち着いたところであなたと真剣にお話がしたかったので」
口元に湛えた笑みはそのままに、自分を見つめるラプラの眼差しが言葉通り真剣であることに気づき、イリスは不機嫌そうな表情を疑問のそれに変えた。
「はなし……? さっきのこと?」
「それもあります。あなたの『魔物化』について、です」
ラプラのその言葉に、イリスの表情がますます疑問へと変わる。そんなイリスの疑問を置き去りにして、喧噪から切り離された静かな路地裏にラプラの囁くような声が響いた。
「一度はヒトの心を取り戻したあなたですが、ここ最近は魔物化が悪化しています。私はそれを心配しているのですよ」
「……どういうこと?」
「問いたいのは私の方ですよ、イリス」
顔を近づけてそう問うラプラから、強い圧力を感じる。息苦しいほどのそれに気づき、イリスは困惑に目を見開いた。
動揺するイリスに気づきながらも、それを無視してラプラは言葉を続ける。
「あなたは今、ヒトよりも『魔物』に近づいている。そしてそれは、あなた自身の意思のように見えるのですが……違いますか?」
「……」
真を穿つラプラの言葉に対して、イリスは咄嗟には何も言葉を返せずに沈黙する。それ以上の詮索を拒むように睨みつけるイリスを無視して、ラプラはさらなる核心に迫った。
「昨晩は何人、”食事”を?」
「っ……」
その問いの意味を理解し、イリスの目が驚愕に見開かれる。対してラプラはひどく落ち着いた様子で、どこか底冷えする視線をイリスに向けて微笑んでいた。
「なんの、こと……?」
乾いた舌で辛うじて紡げた言葉は、それだけだ。返す声も掠れ、下手な嘘だとイリス自身も思った。しかし、自覚してもうまく言葉を返すことが出来ない。きっと、そう……自分は今、ラプラに恐怖を感じているのだとイリスは理解した。
この男は一体”どこまで”知っているのだろうか。それが、怖い。
「全て知っていますよ。私はあなたをいつも見ていると、そう先ほど言ったじゃありませんか」
「な、ぜ……」
まるで自分の思考を読んだかのような言葉を投げかけるラプラに、イリスは激しく狼狽する。
ラプラはイリスの反応を楽しむように、口元だけを歪めた笑みを濃くした。
「それで、夢魔としてのあなたは昨晩、何人食事なさったのでしょう」
「……き、づいていたなら、なぜ止めない?」
返した言葉は自白だった。夢魔として人を襲い、人を喰らったことの告白。
自分は夢魔として生きることを選択した、それを知らせたと同義であった。
「質問しているのは私の方ですよ」
「ぁ……」
優位の立場から威圧される問いは覚えがある感覚だった。それは体に沁み込まれた恐怖を容易に呼び起こし、無意識に震えた指先をイリスは握りしめた。
強者に支配されるかのような感覚は過去のトラウマもあるが、今の自分は本当にそれだけでこんなにも恐怖しているのだろうか。それを頭の片隅に思いつつ、しかし普段は明瞭な思考が靄がかかったかのように濁り、冷静な判断ができない。
何かがおかしいと、そう思う一方で……今のイリスには何がおかしいのか、それがわからなかった。
「わたし……は……」
「教えてください、イリス」
命令のようなと共に、イリスの中で”それ”は優しい毒のように内側から浸食して蝕んでいく。”それ”はイリスがラプラから取り込んでいた魔力という力だ。
ラプラから奪っていた魔力はイリスの力となっていたが、同時にそれはラプラという存在を自身の中に受け入れることと同じであると、イリスはそれに気づくことが出来なかった。
ラプラは唇を歪めたまま、魔力を媒介にしてイリスの精神を侵食していく。禁呪という禁断の力に手を出した彼が、”魔物”を支配することは難しいことではなかった。
かつてその力でドラゴンを操り、魔界に来たイリスたちを助けたのと同様に、今度はその力で魔に堕ちたイリスを支配しようとしていた。
「ねぇ、イリス……私はただ、あなたを助けたいのですよ。そう、たとえ禁忌を犯そうと、ね」
「……」
いつの間にかラプラを見返すイリスの眼差しは、虚ろなものと変わっていた。しかしそれを気にする様子もなく、ラプラは問いを繰り返す。
「それで、何人?」
「ひとり……」
「……そうですか。人を喰らってしまったから、だから食欲が無いのでしょう」
「そう……だって、”そっち”の方が、よっぽど、おいしいもの……」
「残念ですよ、イリス。なぜあなたは、そんな選択を……」
「……わたし、は……ヒトじゃない……もう、こうして生きるしか……」
「あなたがそんなふうに生きることを決めたと知ったら……ユエさんが悲しみますよ?」