世界の歪み 4
「はああぁぁぁっ!」
混戦となる広野の戦場でローズは勇ましく大剣を振るい、熊に似た大型の魔獣を一匹仕留める。そうして重い一撃に沈んだ魔獣をもう見もせず、ローズは次の獲物を狙いながら自分の中のハルファスに声をかけた。
「ハルファス、あれは魔物か?」
ローズは魔獣と共に向かって来た実体無い謎の敵に視線を向けてそう呟く。ローズも見たことの無い魔物だったが、もしかしたらエレに生きる魔人ならば何か知っているのではと彼女は考えたのだ。
『……よく似た魔物はエレに存在している。だがそれとあれが同一の存在だとすれば非常に厄介だ』
ハルファスの答える声に、ローズは「何故?」と問いを重ねる。ハルファスはもう一度答えた。
『あれは物理的な攻撃が効かない。見ての通り実体は無いからな。唯一あれを倒す攻撃は呪術だ』
ハルファスの答える声は、同じく魂をローズの中に宿しているマヤにも伝わっている。マヤは「ならアタシの出番ね!」と、ローズの胸に揺らされながら張り切った様子で口を開いた。
「ま、マヤ! でもこんな人の多いところで魔法は……」
「ローズぅ、ごちゃごちゃうっさいわよ! 今はそんなこと気にしてる場合じゃないでしょ!」
「そ、それはそうだけど……」
迷うローズの背後から、黒い影が迫る。ローズがその気配に気づいて振り向いた時、ローズに牙を向け迫っていた魔獣は、断末魔の悲鳴と共に彼女の目の前で血飛沫を上げて地に倒れた。
「ジュラード!」
ローズを救ったのは、一足遅れて外に出たジュラードだった。彼の足元には、皆に踏まれないよう気をつけながらうさこが立っている。
「気をつけろ。あと、俺を置いて勝手に行くな」
「あ、すまない」
ジュラードはたった今敵を葬った黒い刃の大剣を構え直し、「全く……」と呆れたように呟いて背を向ける。ジュラードが他の敵を仕留めに駆け出すと、うさこも彼の足に両手両足を駆使してへばりついて彼について行った。
「さてローズ、どうする? アタシ、暴れちゃっていい? 勿論ローズに負担かからないように加減はするわよん」
「う~ん……」
迷っている暇など無いと、ローズにもわかっている。やがてローズは「仕方ないよな」と呟き、得体の知れぬまま人を襲う実体無き敵へ向かった。
ローズと離れたジュラードは、また別の魔物と対峙していた。
「っつか、お前邪魔だ! なんで俺にいつまでも引っ付いてるんだよ!」
「きゅうう~!」
ここまでうさこを連れて来たのは自分だというのに、それを棚に置いて自分の足にへばりついて離れないうさこに文句をいいながら、ジュラードは食いかかってきた狼型の魔獣の攻撃を大剣で防御し防ぐ。しかし迫ってきた魔獣の勢いに押され、彼は後方へと飛ばされた。
「ぐっ!」
「きゅいっ!」
すると飛ばされたジュラードを庇うように、うさこが彼の体の下に飛び込んで、地面に倒れたジュラードの下敷きになって衝撃を和らげる。結果おもいきりジュラードに押しつぶされたうさこは、彼の下でぺたんこに潰れた。
「うさこ!」
うさこが助けてくれたことに気づいたジュラードは起き上がってそう叫ぶも、うさこの安否を確認する間もなく先ほどの魔獣が追撃してくる。また大きく口を開けて食いかかってきた魔獣に、ジュラードは即座に起き上がり大剣の切っ先を向けた。そして彼は大きく開けられた魔獣の口腔に刃を押し込むように突き入れる。
「っ……」
魔獣はジュラードの大剣の刀身をほぼ飲み込み、そして息絶えた。
「あぁ、うさこ!」
自分を狙う魔物を倒したことで一先ず余裕が出来たので、ジュラードはうさこの安否を確認しようと、ひどく慌てた様子でまた自分の背後を振り返った。そして、その足元でいつも通りぷるぷる震える物体を確認する。
「きゅいい~」
「よかった、お前無事だったのか……しかしお前は脆いのかそうじゃないのかよくわからないな……あまり無茶するなよな」
さっきまで『邪魔だ』とか言ってたのに、うさこの思いがけない行動に感動したジュラードは、未知の生物に対する恐怖心も消えてすっかりうさこに対して好意的になっていた。
「さっきはその、ありがとう……それに邪魔とか言って悪かったな」
「きゅい~きゅい~」
ジュラードは激しく両手を上下に動かして喜びか何かを表現しているらしいうさこを抱え上げる。その時、周囲が今までとは明らかに違う様子でざわめいた。
「! なんだ?」
うさこを胸に抱いたまま、ジュラードが顔を上げる。同時に傍で矢を放っていたハンターらしき青年が、「なんだ、あの女の子……」と呟いたのが聞えた。
魔獣と共に来た得体の知れない魔物は、防衛の為に戦う者達を混乱させて苦しめる。
「な、なんだこれ……っ!」
「武器が全く効かない!」
蒼い炎が揺らめき漂うように、その魔物は戦うものたちの間を音も無く移動する。実態の無い蜃気楼のような不思議な存在は、いくら剣で切りかかってもまるでダメージを与えられなかった。
そしてこちら側から攻撃出来ないのに、敵はこちらへと誰もが見たことの無い攻撃を容赦なく向ける。
「うわあぁあぁっ!」
複数漂う敵の内の一つが近くにいた男に迫り、その体を通り抜ける。すると男の体は幻影の蒼い炎が移ったかのように、同じ色に燃え始めた。
「なんかあれ、やべぇよ……」
「なんなの、あんな魔物見たことないし……武器が効かないならどうすればいいのよ」
「なんで燃えるんだよ……わけわかんねぇ」
ふわりと漂う魔物が接触した部分から蒼く燃えることがわかると、人々は攻撃が効かないことも含めて謎の敵に対して恐怖と絶望を感じて慄く。魔獣に対しては難なく対抗出来た戦士たちだったが、謎の敵に対しては皆無力だった。
そして魔獣の多くが倒された今、漂う炎たちが一斉に戦士たちへ反撃に出る。
「うわ、くるぞ!」
「あれに触れると危険よ! 絶対に触れないように!」
「くそぉ、あんな魔物しらねーぞ! どうなってやがる!」
炎が人々を燃やそうと無音の風を纏い素早く動き出す。未知なる敵を前にして、皆は大混乱となった。
マヤが口を開き、ローズが彼女に合わせて周囲のマナを自分の体内へと取り込む。
『FiREdeEPPPurIfiCAtIOn.』
静かな呪文詠唱と共に、魔法陣は作られる。
敵へ向けた大剣の切っ先に魔法陣と輝きを宿し、ローズは大量の紅蓮の炎をそこから敵へ向けて放った。
「皆さん、避けて!」
射程範囲に人が入らないよう考慮して魔法を放ったローズだが、それでも一応彼女は叫んで注意を促す。言われなくても危険を感じた人々は四方に散り、魔法で生み出された真紅の炎は蒼い炎の魔物を包んだ。
人々が驚いて見守る中で二色の炎は溶け合うように混じりあい、やがて一切音を発さなかった未知の魔物は、耳を劈くような金切り声のような音を発して赤い炎に完全に飲まれる。獲物とした魔物を燃やし尽くしたアレスの炎は、そのまま消した魔物と共に徐々に形をなくして大気に溶けるように消失した。
「まだまだぁ! 残りも一気に片付けちゃうわよ!」
そう言ったのは勿論ローズでは無くマヤだ。彼女は二匹残った不明な魔物の対して、もう一度呪文詠唱を行う。そしてマヤの詠唱に合わせ、ローズは放つ魔法の狙いを残った魔物へと向けた。
「あれが……魔法……」
ローズたちから少し離れた場所で、彼女たちの放つ紅蓮の炎を眺めていたジュラードが小さく呟く。彼に抱かれたうさこも、魔物を燃やす炎を眺めながら「きゅい~」と何か関心するように鳴いた。
「……かつての俺たちは、あんな力を持ってたんだな」
初めてこの目で”魔法”を見つめ、ジュラードは誰に言うでもなくそう言葉を漏らす。
自分の命を繋げた力であり、そして逆にああして敵を倒すことも出来る”魔法”という力を自身の目で見て、ジュラードはその力の凄さを実感した。
(あの力なら……妹を助けられるかも知れない……そう、信じていいよな……)




