世界の歪み 2
調合作業を終え、薬の在庫をユーリに預けたアーリィは一先ず仕事を中断して、レイチェルたちの待つ居間に向かう。
現在はアゲハが店を手伝ってくれているので、アーリィはそのまましばらく休憩することにして、久々に再会したレイチェルたちの話を少し聞くことにした。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
アーリィはレイチェルへとお茶とクッキーを用意してテーブルの上に置く。機械のミレイは飲食不可能なので、彼女はテーブルの上のクッキーを興味深そうに眺めていた。
「くっきー……いいなぁ、みれいもおねえちゃんのつくったおかし、たべてみたいなー」
そう呟くミレイの傍のソファーにアーリィは腰を下ろし、ミレイの呟きを聞いたレイチェルは苦笑した。
「ミレイが食べ物を食べるのはちょっと難しいかな……」
「ぶー。おねえちゃんはたべもの、たべれるのにな~」
不満げに顔をしかめるミレイに、アーリィも困ったように笑う。同じアンゲリクスでもアーリィは食べ物を食べないと肉体を維持できないので、アーリィに食事は重要な行為だ。その代わりにミレイは定期的に体のメンテナンスを行う必要があるから、ミレイにとっての食事はそれなのかとアーリィはぼんやり考えた。
「……ん~、なんか全然違う気もするけど」
「おねえちゃん、どうしたの?」
「あ、ごめん。なんでもない、ちょっと考えてただけ」
首を傾げるミレイに苦笑を返し、アーリィはレイチェルに向き直る。
「エルミラがなんか大変だからこっちに二人が来たって聞いたけど、エルミラは大丈夫なの?」
アーリィがそう聞くと、レイチェルも不安げな表情となってこう答えた。
「本人は大丈夫って言ってたけど、どうなんだろう……エル兄から直接話を聞いてた以上に、なんか危険な人たちに狙われてるみたいだったから……」
ここに来る途中の騒動を思い出し、レイチェルは不安宿る眼差しを伏せる。そんな彼を見て、ミレイが「だいじょうぶよ」と言った。
「赤毛、しぶといいきものだから。てーぶるにびすけっとおいとけば、そのうちわいてでてくるって」
エルミラを甘いものに寄ってくる害虫か何かと認識してるのか、ミレイはそんなことを言ってレイチェルを励ます。それを聞き、レイチェルはちょっと笑った。
一応ミレイのコアに設定されている彼女の”マスター”はエルミラなのだが、基礎人格の設計者本人であるエルミラがマスターに縛られない思考をするよう設計した為、ミレイは彼に従うどころか基本的にエルミラを自分より遥か下の存在と認識してしまっている。ミレイの認識が遥か下なのはエルミラの普段の行いが多分原因な のだろうが、それにしてもミレイも随分と”神”が生み出した当初のアンゲリクスの設計から外れた成長をしてると、アーリィは彼女を見ながら思った。勿論今の自分たちにとっては、それが良いことだと思う。
自分たちは感情の欠落も無ければ、思考を束縛される事も無い。だからもう心は苦しくならない。人と同様の強固な自我を持って”生きている”のだと、アーリィはそれを改めて自覚した。
「ミレイの言うとおり、ビスケット置いとけばエル兄出てくるかなぁ」
「……試してみる?」
アーリィが真顔で聞くと、レイチェルはまた可笑しそうに笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
マチルダに自走車なる乗り物で送ってもらい、オーラントまで無事にたどり着いたジュラードたち。彼らはそこでマチルダと別れ、そこで広大なボーダ大陸の主要都市を網羅する列車へと乗り込んで、ユーリやアーリィのいるアゼルティを目指していた。
「きゅきゅ~きゅ~きゅい~」
ローズの膝の上に座っている”うさこ”と名付けた例の魔物が、ご機嫌な様子で歌を歌いながら列車の揺れに何度も大きく跳ねる。ローズはうさこが転がってどこかに行かないようにしっかり両手で押さえながら、流れ行く車窓の風景を眺めていた。
「というか、今更だが……よくそいつ、乗車出来たよな」
ローズの向かいの席に座るジュラードが、彼女の膝の上で歌ううさこを眺めながらぽつりと言葉を漏らす。彼のこの言葉に、マヤが「まぁ、危険な生き物じゃないし」と答えた。
「あれよ、非常食と似たような認識なんじゃないかしら。生きた魚を連れてるのと同じ?」
「う、うさこは非常食なんかじゃないぞ」
「……たとえ非常食だとしても、俺は食う気がしない」
ローズたちの乗る車両は人気があまり無いのでうさこの歌に苦情は今のところ来ていないが、しかしいつ乗客たちがこのうさぎもどきの魔物の存在に苦情を入れてくるかと、ジュラードは密かに内心でひやひやしていた。
「きゅい~……きゅうぅ」
しばらくするとうさこは急に歌うのを止め、何かを訴えるような眼差しでローズを見上げる。うさこのその視線に気づいたローズは、「あぁ、お腹空いたのか?」とうさこに聞いた。
「きゅい~」
うさこが頷くと、ローズは「そうか、待ってろ」と自分の荷物を漁る。その一連のやり取りを見ていたジュラードは、『こいつらもう意思疎通が出来てる』とかなり驚いていた。
「喋る事はほぼ全部『きゅい』なのに、それで一体何故言いたい事を理解できるんだ……音程の違いとか?」
「ローズは若干不思議ちゃん入ってるから、不思議生物と気が合うのよ。だから会話も成立するんじゃない? とにかくアレよ、深く考えちゃダメよ、ジュラード」
何気にひどい事を言うマヤにジュラードは「そうか」と納得し、ローズとうさこの行動をさらに観察する。ローズはうさこに小さく甘い木の実を与え、うさこはそれを丸呑みした。
「……見れば見るほど謎の生き物だ」
うさこが丸呑みした木の実が、半透明な体から透けて見える。このうさぎもどきは主に果物を食べて生きているらしいが、こうやって果物を食べてから数時間後、気づいたら丸呑みしたものは透けて見える体の中から消えているのだ。一体いつこの体の中で消化しているのかと、ジュラードはそれが気になってしょうがなくなり、 ジッとうさこを観察し続けた。
「待てよ、消化も気になるが……は、排泄は? そうだ、排泄は一体……っ!」
「なにぶつぶつ言ってんのかしら、ジュラードの奴」
「さぁ……もしやジュラード、お前うさこに興味津々だな。本当は抱っことかしてみたいんじゃないか?」
「え!? な、なにを言ってる!」