禍の病 13
朝早く、イリスは町唯一の医者であるレイヴンの診療所に足を運んでいた。
開業の時間の直ぐに診療所に訪れた彼だが、既にレイヴンは町の他の患者の所に出かけているらしい。それを看護師から説明されたイリスは、彼が戻るまで待合室で待つことにした。
一時間ほどしてから、白衣を着た中年の男性が待っていたイリスの元にやってくる。
痩せ型で若干頼りなさは感じるも、柔和な雰囲気を宿した表情がどこか安心出来る彼こそが、この町で活躍する医者のレイヴンだった。
「イリスさん、すみません。お待たせしました」
「あ、いえ……」
腰掛けていた椅子から立ち上がり、イリスはレイヴンと向き合う。イリスは「相変わらずお忙しそうですね」とレイヴンに声をかけた。
「朝早くにモイエさんの子どもさんが熱を出したようなので治療をしてきました。病気や怪我は時間を問わず起こりますからね、仕方ない事です」
レイヴンはそう言うと、イリスに「イリスさんはどうしたのですか?」と問う。
「リリンちゃんのことですか?」
「はい。リリンもまた昨日の夜中から熱が出てしまって、結構高熱なのでレイヴン先生に診てもらいたいと思って……」
「そうですか……では準備して、すぐに向かいましょう」
「ありがとうございます、先生」
イリスは深く頭を下げて礼を言う。そうして彼が顔を上げるとしばらく、レイヴンは何故かじっとイリスの顔を観察するような様子で見つめた。
「……あの、先生?」
レイヴンが何故か無言で自分を見てくるので、イリスはひどく戸惑った表情となる。レイヴンはそんな彼に、険しい表情のままこう問いかけた。
「イリスさん、あなたも顔色が良くないですよ?」
「え? そ、そうですか?」
レイヴンの言葉に、イリスは戸惑ったような笑みを返しながら返事をする。「気のせいですよ」と続ける彼に、レイヴンはやはり表情を崩さぬまま言葉を向けた。
「わたしはこの町の医者です。町の皆さんの命を預かる身ですので、住人の皆さんの健康を常に把握するよう努めています」
「そ、それは勿論知っています……」
「えぇ、ですからわかるんですよ。住人の方ならば、普段と顔色が違うとか様子がおかしいとか……イリスさん、本当にあなたに何も異常は無いのですか?」
レイヴンに真剣な表情で問われ、イリスは困惑した表情を返す。やがて彼は迷う数秒の沈黙の後に、「先生には敵いませんね」と小さく呟いた。
「でも、そうですね……やっぱり先生には言っといた方がいいのかも」
「一体どうしたのですか?」
イリスはどこか疲れた笑みを見せ、レイヴンに「診察室でお話します」と告げる。レイヴンは「わかりました」と、彼に頷いた。
「これは……っ」
診察室に入ったレイヴンは、ズボンと脱いだイリスが見せた右太股の状態にそう驚きの声を上げる。イリスは小さく息を吐いた。
「……いつから”これ”が出てきたのですか?」
レイヴンが硬い声音でイリスに問う。イリスは「五日ほど前からです」と彼に答えた。
「五日……出来れば直ぐに知らせに来て欲しかった……イリスさん、あなたは」
「はい。”禍憑き”ですよね、これ……」
落ち着いた様子でイリスは答える。身近に同じ症状の人物がいる為に、彼も把握は出来ていたのだろう。
イリスの右太股に、まるで痣のように浮かび上がっているのは赤黒い色の不可思議な模様。それは”禍憑き”となった者に刻まれる、死へのカウントダウンを告げる印だった。
イリスはズボンを穿き直し、レイヴンは彼に「模様が小さいので、今はまだ初期の段階ですね」と言う。
「はい」
「何か体調に変化はありますか? 初期はだるさや目眩があったとリリンちゃんは言っていました。どんな小さな症状でも、とても大事な事ですのでわたしに話してくださいね?」
レイヴンに真剣な声音で問われ、イリスは少し考える。
「……えっと……確かに数日前からちょっとだけ疲れやすくなったとは感じてました。それ以外には、今はとくには……」
「そうですか……しかし顔色は良くないですね。食欲はありますか? 睡眠は十分に取っている?」
「睡眠は大丈夫だと思います。食欲は……疲れやすくなったので、それで落ちた部分もあると思います」
レイヴンはイリスの話を聞きながらカルテに文字を書き込む。それを見ながら、イリスは不安な事を彼に告げた。
「あの、先生……私、まだユエや子どもたちにはこのこと言ってないんです。だから先生も内緒にしておいてください」
「……」
レイヴンはペンを走らす手を止めて、イリスに向き直る。彼はイリスを気遣いつつも、こう返事をした。
「医者には守秘義務がありますから、あなたがそう言うのならばわたしからは彼女たちにあなたの病気を教えることは致しません。しかし”禍憑き”は……残念ですが、今はまだ治す術の無い病気です。隠し続けてもあなたの病状は徐々に進行して、いずれは彼女らにもそれは気づかれますよ」
レイヴンの言い分は、当然イリスにも理解出来ていた。それでも彼は、「今はまだ、心配かけたくないんです」とレイヴンに自分の気持ちを伝える。
「リリンのことでユエや子どもたちは毎日不安を感じながら、それでも頑張ってます。そこに私までこの病気ってわかったら……頑張ってる皆を苦しめてしまいそうで……それにリリンの傍にいた私がこうなったことで、もしかしたらこどもたちはこの病気がうつるものなんじゃないかって思うかもしれないし……」
そう言い目を伏せるイリス。
レイヴンは彼が家族同然に思うユエたちに心配かけまいとするその気持ちを理解しているので、余計に彼の気遣う気持ちに心が痛くなった。
「……わかりました。しかしいつかは伝えなくてはなりませんよ。その覚悟はしておくべきです。それと何かあったら直ぐにわたしに知らせてください。”あなたの為の薬”も、わたしのところには用意がありますから」
「はい……」
「いいですか、イリスさん。あなたのことを大事に思うユエさんや子どもたち皆、そしてあなた自身の為にも、くれぐれも悲観的にはならないように。リリンちゃんのことも含め、わたしは医師としてあなた方のその”禍憑き”を、治せる病気にするよう精一杯努力します」
「ありがとうございます、先生……私は大丈夫です」
力強いレイヴンの言葉に、イリスは少し励まされる。微笑んだ彼に、レイヴンも小さく笑顔を返した。
「あの、それじゃあ先生、リリンのとこに行ってもらえますか? ユエも待ってると思うんで」
「そうでしたね。用意しますので少しお待ちください」
そう行ってレイヴンは椅子から立ち上がる。彼はイリスに背を向けて外出の為の準備を始めながら、独り言のようにこう小さく呟いた。
「しかし、リリンちゃんにイリスさん……共にゲシュであることはただの偶然なんでしょうか……それとも……」
「……」
イリスは沈黙したまま、レイヴンの呟きの意味を考えた。
【禍の病・了】